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尊敬する人が変わってしまう悲しみ?=人はなぜ堕ちてしまうのか。 [映画業界物語]

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ドラマの「太閤記」で豊臣秀吉の後半人生が描かれない理由と、尊敬する人が変わってしまう悲しみ?

小学生の頃。大河ドラマ等の戦国時代ものを見ていて感じていたのは、なぜ、豊臣秀吉の人生後半が描かれることが少ないのか? 「国盗物語」(秀吉は火野正平)では本能寺の変、山崎の戦い辺りまで。「新書太閤記」(山口崇主演)でも「青春太閤記」(なべおさみ)でも、本能寺の変以前で終わる。不満で司馬遼太郎の小説や漫画の歴史ものを読み漁った。

ドラマで終わったあとの秀吉は、明智光秀を山崎で倒し、柴田勝家にも賤が岳で勝利。順調に勝ち進み、天下統一してからは何とも、おかしな人になっていくことを知る。利休を殺したり、秀頼を溺愛したり、朝鮮出兵、と、農民出身で庶民の気持ちが分かるはずの人が、庶民を苦しめる制度を進める。

もう、立身出世物語ではなくなり、悪の大王のような人生。前半とはかなり違う。それだけにドラマでは後半が描かれることがなかったのだろう。「スターウォーズ」で言えば、アナキンがダースベーダーになるような感じ? 

また、ドラマでは爽やかな二枚目俳優が秀吉演じていたが、後半の人生を同じ俳優が演じるには無理がある。あまりにも別人なのだ。その後半人生を描いたのが大河なら「独眼竜政宗」。秀吉は勝新太郎。怪物のような秀吉を演じ、新人だった渡辺謙の政宗を脅かす強烈な存在。実際の秀吉もこうだったのだろう。

なぜ、彼が変わってしまったのか? 富も名誉も手にすると人はあんな風になってしまうのか? いろいろ考えたが、人はあそこまで変わるものなのだろうか? そんなことを実感する経験がある。

もう20年ほど前の話だが、お世話になっていた方がいる。豪快というのがピッタリな男性で、。年齢は60代。僕は21歳。留学前からお世話になっていた。当時僕が「映画監督になりたい!」というと誰もが反対、批判した。

「無理だ。不可能だ。簡単なことではない。夢見ている歳か? お前才能あるのか?」

でも、その人はいう。

「やってみろ! ハリウッドで映画を撮ればいい!」

そう言ってくれた。留学後もお世話になり、ずっと応援してくれていた。鋭い人で、普通の人が言わないアドバイスをくれた。叱られもしたが、納得できるものだった。既成概念に囚われない。下らない風潮や世間に惑わされない。仕事でも高く評価されている人だった。

僕が帰国してから、その人は癌になり入院。手術した。かなり進行していたが、手術は成功。何度も見舞いに伺った。いつも強気なのに、流石に病室では元気が無かったが、とても喜んでくれた。経過は良く、日常生活には支障はないが、再発の恐れはあるとのこと。以前のような元気な姿は見られなくなった。

それからも何かあるたびにお訪ねしたが、次第に彼は変わって行った。以前のような鋭さが無くなる。いつも「なるほど!」という意見を言っていたのに、「それ違うんじゃないかな?」と思えることが増えた。やはり大きな病気をしたので、精神的にもダメージが大きく、感覚的にも鈍ってしまったのか?

その後、僕に対しても批判めいたことを言うようになる。当時まだ僕は監督デビューはできておらず、アルバイトをしながらシナリオを書き続けていた。そんな中、アドバイスをもらおうと訪ねたのだが、以前のような「なるほど!」と思える発言がなくなった。それどころかこんなことを言われた。

「ちょっと、やってみてダメだったら、諦めて田舎に帰って来ようと思ってんだろう?」

耳を疑った。もう、10年近い付き合い。僕が「ちょっとやってダメだったら諦める」そんな奴だと思っていたのか? アメリカで6年。帰国して2年。すでに8年。監督を目指して奮闘。それ以前の横浜時代を入れれば12年だ。そのことを知っているはずなのに、「ちょっとやってダメなら」と言うか? 同じ批判をする人は当時、多かった。でも、彼からそんな言葉を聞くのは辛かった。

しかし、なぜ「田舎に帰ってくる」になるのか? 実家は商売をしているわけでも無く、戻っても何もない。金持ちでもない。まして親は映画監督になるのを反対している。帰れば「やっぱりダメだったろう!」と言われるのは分かっている。そんな話も何度もしている。もし、万が一、監督になれなくても、東京で何か映像の仕事をするつもりだった。それも話している。なのになぜ「ダメなら田舎に帰る」と決めつけるのか?

病気でボケて誰かと勘違いしているのだろうか? でも、他でおかしな発言はない。体調が悪いのか? 別の時に訪ねても、おかしな批判をする。皮肉を言う。尊敬している人が、理解し、応援してくれていた人がそんな風になってしまい悲しい。僕が何かいけないことを言ったのか?何度も考えた。

そんな時、ある年配の女性に聞いた。その人の夫は豪快なビジネスマンだった。が、やはり大きな病で入院。命の危険を宣告されてから、変わったと言う。嫉妬深く、怒りっぽくなり、以前の頼もしさはなくなった。病気のせいだと思ったが、悲しく、やりきれなかったと言う。同じなのかもしれない。

その後、彼を訪ねることはなくなった。お会いする意味がなくなった。せめて訪ねたことを以前のように喜んでくれるのならいいが、迷惑そうに見えた。

数年後、亡くなったと聞いた。ガンが再発したと言う。やはり、変わってしまったのは病気のせいだったのだろう。命を脅かす病と闘うのは大変なことだ。そのせいで正確に物事を捉えられなくなり、おかしな意見を言ったり、ありもしないことで人を批判していたのだろう。

彼が死んで数年後、僕は監督デビューした。実家に帰ることもなかった。帰国してから16年経っていた。「ちょっとやってみてダメだったら」と言われたが、16年。それから14年、監督業を続けている。尊敬していた彼には理解も、期待もされてなかったということか?

人はなぜ変わるのだろう? 人はなぜズレて行くのだろう? 病気のせい? 加齢のせい? いろいろ理由や背景はあるだろう。でも、尊敬する人が、かつては応援し、理解してくれた人が、批判を始め、皮肉をいい、当て外れな意見を言うのを見るのは辛く、悲しい。秀吉の晩年も同じだったのだろうか? そんなことを考えてしまう...。



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