悪意のある人より、純粋に応援してくれる人が怖い? その背景。 [my opinion]
悪意のある人より、純粋に応援してくれる人が怖い? その背景。
かなり以前だが、知事候補の話を書いたとき、Facebookに誹謗中傷のコメントが何度も書き込まれた。誰を応援しようと自由なはずだが、別の候補の支持者からの口汚い批判。感情的で議論にならない。いや、もともと議論をするつもりはないので迷うこと無くコメントは削除。そして「友達」からも、さようなら。
でも、そんなケースは分かりやすい。悪意を持つ者が直接批判をしてくるのは、誰から見ても明快。昔のアメリカ映画みたい。悪役は冷酷無比。ヒーローがやっつければ観客は拍手喝采だ。ところが、近年の社会は単純明快ではない。何が正義で何が悪か?判断し辛くなった。「24」が人気だったのも、その辺の難しさを取り入れたキャラクターが数多く、物語に今日性があったからだと思える。
さて、Facebookを続けている上で、先のような分かりやすい批判をしてくる人はまだいい。困るのは、むしろ純粋に応援してくれる人の中にいる。
「え? 何で? 応援してくれているんでしょう?」
と思うかもしれない。僕が定期的に「コメントを頂いても御返事できません」と告知するのは、そのせいなのである。最初は「いいね」を頻繁にくれる。コメントでも
「応援しています」「がんばってください!」
と書き込んでくれる。例えば現在、連載している「沖縄戦通信」のような記事を書くと、
「***という本が参考になりますよ」
とかアドバイスをくれる。「何か役に立てることはないか?」と思ってくれる。嬉しい。お礼を書き込む。相手は「いえいえ。お役に立てて光栄です」と喜ぶ。ここまでは嬉しい話だが、それを見て
「おー、何か書き込むと、監督は返事をくれるぞー!」
と思う人たちもいる。いろんな人が書き込みをしてくる。中にはよく分からないでコメントしてくる人もいる。「***という本読むと、いいんじゃない?」とか書き込むが、調べると、そんな本はない。タイトルが違っている。さらに
「先日、教えてあげた***の本。読みましたか?」
と何度も訊いてくる人。野次馬のようなコメント。意味不明のものある。そして、役に立つ情報は、申し訳ないが100件に1つ位。それでも、皆、好意でコメントしてくれる。「応援したい!」と思ってくれている。だから、昔は1人1人に返事をした。が、かなりの時間が取られた。午前中は返事の時間になってしまい、仕事は午後からになったこともあった。それが意味ある情報ならいいが、申し訳ない、ほとんどがそうではない。そのために半日も時間が取られるのは辛い。また、1度返事をすると、先のように喜んでくれてコメントが増える。
「その後、進展はどうですか?」
とか近況を訊いて来たりする。そもそも、その近況を知らせるためにFacebookをしているのに、個別に答えていたら意味がない。そんなふうに提案、アドバイス、助言がいろんな人から頻繁に来るようになる。それ以前は質問が多かった。
「どこの映画館で上映していますか?」「何時からですか?」「大阪は上映しますか?」
ーそんなことは自分で調べろ!と言える。
「女優の***さんは本当にいい人ですか?」「***の噂は本当ですか?」
ーそんなことに答えられね〜!と言える。
「デモに来てください」「シナリオを読んで下さい」
「曲を聴いて下さい」「寄付を下さい」
ーそれらも出来ない。とまだ言える。返事をしなくても許されるもの。しかし、
「この本が参考になりますよ」「***にも訪ねてください」
という情報をくれるのは、基本、こちらを応援してのこと。好意からだ。安易に無視してはいけないと思えた。が、数が増えて来ると対応が大変。毎日、書き込みの返事は書けない。そうすると
「無視された」「スルーされた」「返事をくれない」「失望した」
という人たちが出て来た。そのコメントを見て、別の人たちが
「酷い!」「可哀想!」「答えてあげなよ!」
「5分あれば、返事くらいできるでしょう?」
とか言い出す。これってどうなの? こちらとしては対応しきれないのだ。なのに「無視された」と言われ、何の関係もない人が「酷い。可哀想」と批判する。誰にも悪意がないのにトラブルになる。
では、僕がコメントしてくる全ての人に返事をすべきだったか? でも、時間がない。仕事ができなくなる。どうすれば、そんな問題を止められるか?
ーー最初から返事をしないことだ。悲しいが…。
返事したから、何度もコメントしてくる。次第にエスカレートし、プライベートまで訊いて来る。そんなコメントを見て他の人も書き込む。数が増える。対応できなくなる。有名人に街角でサインを求めて「できません」と断られた話。聞いたことあるだろう。
「ファンだったのに失望した!」
とか、それをツイートする人もときどき見かける。
「二度と応援しない!」
しかし、もし、そこでサインすると、まわりにいる人が「私も!」「僕も!」と集って来て、収拾が着かなくなることがある。「もうこれで!」と行こうとすると「何で、あの人にサインして、僕にはしないのか? 不公平だ」と言い出す人もいる。
同じ構図。誰も悪くない。なのに問題になる。だから、サインをしない有名人もいるのだ。僕は有名人ではないが、いろいろ考えて、返事しないことが一番誰にも迷惑がかからないことに気付いた。もちろん
「せっかくアドバイスしてやったのによ〜!返事なしか?」
とムカつく人もいるだろう。でも、返事したことで、さらなるトラブルが起こる。最初から「返事をしません」と告知することで、そんな事態を起こさなくて済む。何だか悲しい話だ。つまり、一番揉めるのが、純粋で、何の悪意もなく、憧れてコメントをくれる人なのだ。純粋で悪意がないので
「裏切られた」「切り捨てられた」
「素敵な映画を作る人だと思っていたのに、そういうことね」
と逆恨みをする。精神的に問題がある人もいる。友人から聞いた話だが、似たようなケースがあった。「返事がない。許せない」と、何年も恨み、あちこちで批判を書き回る。
「私は被害者。酷い目に遭ったの...」
経緯を知らない人は「可哀想ね」「その人許せないわ」と関係のない人まで攻撃を始める。分かりやすい悪意のある人ではなく、可哀想な被害者になる。精神的に問題があるので、そう信じ込む「友達」が3000人もいれば、中に1人や2人、病的な人もいる。
「応援しています」「がんばってください」
と言って来る人の中にも、その手の人はいるのだ。有名でもない監督である僕でも、そういうことがある。同じことは若い女性にも言えるだろう。Facebookに顔写真を出す。男から「友達」申請が来る。承認すると、デートの誘い。毎日、「いいね」が押される。質問コメントが入る。無視すると、バカにされたと思い嫌がらせを始める人もいる。
特に女優業をやっている人は大変。OLなら顔写真がなくてもいいが、女優は顔を売るためにネットを使う。もの凄いアプローチをされるはず。当然、その中に危ない人たちもいる。思い込みが強い人。病的な人もいる。若い女性だけではない。
ワイドショーでときどき話題になる「騒音おばさん」とか、決して人ごとではなく、どこの町にでも、その手の人はいる。仲良くしていたご近所さん。ちょっとしたことで、恨まれて、以降、嫌がらせを何年も続ける。そんなことはFacebook上でも起こる。「友達」削除をしても、他で批判を続ける。いろんな人に
「あの人酷い。傷付けられた!」
と連絡してまわる。でも、警察に言っても対応してもらえない。全てはコメントに返事をしたことから始まった….という話も聞く。悪意のある人より、悪意のない純粋な応援の方が危険だと思えて来る。そんなこともあるので「御返事できません」という告知をときどきさせてもらう。悲しい話だ。
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