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映画界&芸能界で仕事ができる人。できない人。「素質」=「感受性」? [映画業界物語]

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映画界&芸能界で仕事ができる人。できない人。「素質」=「感受性」?

「有名になりたい」「芸能人と仕事がしたい」

「大手企業の仕事がしたい」そんなことが目標なら、俳優も、作家も、歌手も、ミュージシャンも、映画監督も無理!という話を前回書いた。「そうだよ。才能がないと!」という人がいるが、それも違う。

アーティストというのは「素質を磨き続ける人たち」のこと。だから、まず、「素質」が大事。これは「才能」とは違う。説明する。それは美しいものを美しいと思える感性。素晴らしいものを素晴らしいと理解するセンス。

例えば映画を観る。音楽を聴く。小説を読む。そのときにいかに多くのものを感じ取れるか? それが感性だ。その感性が鋭い人は素質があるといえる。渡されたシナリオから、自分の役のキャラクターや性格、人生を想像。それを体現するのが俳優。文章で書かれた物語からどれだけのことを感じ取るか? それが俳優の最初に仕事だ。

「俳優は綺麗な人、イケメンでないと!」

と思いがちだが、先に説明した感性がないと演じるということができない。その役がどんな幼少期を送り、どんな青年期を過ごし、大人になったか? その過程であった事件や出来事が大きな影響を与え、人格形成をしている。それを想像、演じるに役に反映せねばならない。ただ、上手に泣くとか、笑う。怒るという行為をリアルに演じるだけが俳優ではない。演劇学校ではよく

「笑う」「苦しむ」「怒る」

という感情表現のレッスンをする。講師が「はい、笑って!」というと生徒たちが一斉に笑う。そんな練習も必要なのかもしれないが、僕から見ると無意味だと思える。「演劇やってる!」という実感が持てるだけで、それが映画撮影で役に立つと思い辛い。ただ、笑えといって笑うのではなく、その役が笑うのであれば、それなりのツボというものがある。同じジョークを聞いても笑える人と笑えない人がいる。また、ジョークを言った人にもよる。Aさんがいえば面白いが、Bさんなら笑えないとか。

それなのに、ただ笑う訓練をすることに意味があるのか? ドラマというのは人と人との対峙である。笑う、怒る、悲しむ、後悔する、さまざまな感情が生まれるのは人との対峙。或は事件、現実との対峙である。それにより、さまざまな感情が生まれる。そんな微妙な感情というものを、レッスンで「笑え」「怒れ」「泣け」と指示されたままに出してもリアリティを感じるのは難しい。

分かり安く言えば、下手な女優が舞台で涙する演技をしても泣けない。でも、友人を亡くした女性が葬儀で涙するのは、胸を打つ。何が違うのか? 本物は胸を打つが、演技は心に届かないのだ。では、どうすれば心に響く演技が出来るのか? 

「笑って!」「はい。泣いて」

というレッスンで学べるものでない。感受性が大切なのだ。これは俳優だけでなく、歌手でも、ミュージシャンでも、小説家でも、映画監督でも同じ。感性が鋭くないとこれらの仕事はできない。感性が鋭い人が素晴らしい作品を作り、表現する。同じ歌を歌っても、A子のは感動するが、B子が歌うと感動がないということがよくある。芝居でも同じだ。同じ芝居を別キャストで観たとき、別物になるのも同じ。感性の鋭いアーティストが感動を呼ぶのである。

では、なぜ、感性の鋭さが感動を呼ぶのか?というと、例えば俳優なら、成り切るということ。役を演じるのではなく、役に成ってしまう。だから、その人が葬儀のシーンで泣けば、それは演技ではなく本物。だから、観客の涙を誘う。先にも書いたが人の悲しみは演技では届かない。本当の悲しみでないと心に刺さらない。素晴らしい役者というのは、演技を超える。本人になる。

だから、観客は感動し、涙を流す。本人になるには、鋭い感性がないとなれない。演技力はその次だ。では、本人になるというのはどういうことか? 例えば、友達の話を聞く、辛い話だ。そのときに一緒に泣ける人は感性が鋭いといえる。女性に多く、男性はそれを「涙もろい」とか批判しがちだが、それはとても大切な資質。子供の頃によく泣いたというのも大事。

つまり「泣く」という行為は、他人の悲しみを自分のことのように感じる力があるということ。子供の頃に、ちょっとしたことで泣く子は「悲しみ」を何倍にも感じているのだ。他人から見れば「ちょっとしたこと」なのに、それを増幅してしまう感性がある。また、友達の災難を一緒に怒れる。おもしろいことがあれば大笑いする。そんな人はよく

「天真爛漫」とか「いつまでも子供」

と言われる。が、表現の仕事をする素質があるということなのだ。ただ、その種の人は人生が大変。些細なことで泣いてしまう。塞ぎ込む。人前でも大笑いして顰蹙。日本人は特にそうだが、大人になると感情を押さえ、個性を殺し、生きていかねばならない。ある意味で無神経な方が生きて行きやすい。感性の鋭い人には生き辛い世界。豊かな感性を押さえて毎日を生きなければならない。これは一般の人が思う以上に苦しい人生だ。その種の人たちは阻害され、批判され、社会からはみ出すことが多い。

だが、そんな人たちが芸能界、映画界に行けばそれが武器になる。演じる。歌う。物語と作る。それには鋭い感性が必要。日本人社会で感情を押さえ、個性を殺して生きなければならないのに対して、より感情を豊かにし、より個性を発揮し、それを芝居や歌や楽器、物語で「悲しみ」や「喜び」を表現する仕事なのだ。

これで分かってもらえたと思う。

「有名になりたい」「芸能人と仕事したい」

「大手企業の仕事をしたい」という俗世間にまみれた人には無理ということ。一般社会で生きて行ける人は感情を押さえ、個性を殺し生きている。それに対して芸能界や映画界は正反対なものが要求される。

一般社会で普通に生きて行ける人たちには表現の仕事は無理。一方、鋭い感受性を持つ人たち。他人の悲しみを自分のことのように受け止める純粋な心。溢れる悲しみや怒り。そして喜びをどうすればいいのか分からずに社会生活で苦しんでいることが多い。それを表現という形で発揮することができる。それが芸能界であり、映画界なのだ。

その表現は演技であり、歌であり、小説であり、映画。つまり、アーティストは才能ある優れた人たちではなく、多感で、感受性が強く、一般社会で生きて行き辛い人たちが、悲しみや苦しみ。喜びや感動を表現することで、自分の存在を見いだしている人たちなのだ(だから、彼ら彼女らはとても気難しい)。

その構図が分からない人たちは、アーティストを見て「才能あるから、あんな芝居ができるんだ!」と思ってしまうが、そうではないことが分かってもらえたと思う。では、感受性の強い人は皆、アーティストになれるのか? というと、そうでもない。ここまではいつもいう「素質」である。この素質をどう磨いて行くか? で、俳優になれるか? 歌手になれるか? 作家になれるか? 映画監督になれるか? が決まって来る。「磨く」とはどういうことか?それはまた別の機会に書かせてもらう。


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