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横浜時代の想い出を訪ねてみた(2)〜横浜スタジアム、神奈川県民ホール、矢沢永吉 [思い出]

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 横浜に住んでいたというと、港の見えるおしゃれな街だと想像されがち。だが、そんな場所は関内から山下公園方面の観光地のイメージであり、僕の住んでいた地区はどこにでもある田舎街とほぼ同じ。田畑はないが、高いビルがある訳でもなく、由緒正しい建物がある訳でなない。商店街と住宅地。小さなビルがいくつかあるだけ。だから、何かするには関内駅や横浜駅にでなければならない。

 そんなことを考えながら久しぶりに横浜の街を歩く。関内駅を通り過ぎると、球場が見えて来る。横浜スタジアムだ。僕は野球もサッカーも詳しくないが、この場所には想い出がある。そう、1984年に矢沢永吉のコンサートがここであった。「I'll be back soon E'」ツアー。当時、ローリング・ストーンズやThe Who、Bスプリングスティーンと高校時代から聞いていた洋楽以外に、日本の歌も聴くようになり、一番熱心に聴いたのが矢沢永吉だった。

 1983年の「I AM A MODEL」ツアー以降。毎年行っていたと思う。聖子ちゃん。明菜ちゃんなら「一緒に行く」という友達はいたが、「矢沢」というと誰も興味を持ってくれなかったから、いつも1人だ。東京ドームはまだなく、東京ではいつも武道館。横浜は県民ホール。それがその年は横浜スタジアム! 会場は満員。4万人。新旧の矢沢ファッションに身を包んだファンでいっぱいだった。

 しばらく歩くと今度は大きな建物。横浜文化体育館。実はここでも矢沢のライブを観た。1987年。LA留学中に夏休みで一時帰国したとき。「Rock'n Roll Knight」ツアー。このときから、コンサートの定番となる「止まらない Ha~Ha」が歌われるようなったはず。今回は行かなかったが、神奈川県民ホールではリンダ・ロンシタットのコンサートを観た。あの名盤「What's New」のアルバムを出したときのツアー。衝撃だった。そこからビリーホリデーやナット・キング・コールを 聴くようになった。

 矢沢の話に戻るが、彼の歌には横浜を舞台にしたものが多い。「チャイナタウン」「ヨコハマ・フォギーナイト」「ニューグランドホテル」。僕自身がヨコハマに住んでいた時代に矢沢をよく聴いたので、他の歌を聴いても、ヨコハマ時代を思い出してしまう。iPadに入れた矢沢の歌をヘッドフォンで聴きながら街を歩いた。

 ♫「空のポケットに夢ばかり詰め込んで生きて来た」 〜「チャイナタウン」

 という歌がある。矢沢永吉は広島からロックミュージシャンを目指し上京。なぜか、ヨコハマで下車。そこでアルバイトをしながらバンドを始め、やがてキャロルというバンドでデビュー。ロックスターの道を歩んで行く。そんな彼がヨコハマ時代を思い作った歌だろう。その歌詞はまさにヨコハマ時代の僕自身でもあり、映画監督になる!と、大阪の高校を卒業後。東京を目指すが、なぜかヨコハマの映画学校に入学してしまい、この街で青春時代を送る。

 矢沢の「成り上がり」を読んでそれを知り、共感したことから、彼の歌を聴くようになる。横浜時代にアマチュア・バンド。僕は学生映画。彼の歌にも共感するものが多かった。そんなヨコハマ時代。その頃に聴いた懐かしい歌を聴きながら伊勢佐木町を歩いた。その通りをずっと行くと、ジャック&ベティがある。そこでは今、「明日にかける橋」を上映してくれている。30年前のあの頃には想像もしなかったことだ。

 当時、ヨコハマで8ミリ映画を作っていた。学校に失望し、ドロップアウトしたクラスメートたちと学生映画を作った。皆、空のポケットに夢ばかり詰め込んでいる奴ら。でも、1年が経ち、2年が経ち、3年が経ち。皆、夢破れてヨコハマを去って行った。「しょせん。夢は夢だよ」と言う言葉を残した奴。友人の下宿アパートを訪ねると部屋が空になっていたこともある。何の言葉も残さず去って行った奴もいる。

 そんな中で僕だけが生き残り、映画監督の仕事をしている。これはラッキーなのか? 嬉しいことか?いや、そんな簡単な世界ではない。「明日にかける橋」が僕の最後の作品かもしれない。世間が注目する監督でもなく、大ヒット作品を作ったフィルムメーカーでもない。どうにか、こうにか、毎回、映画を撮っているだけ。未だに生活は不安定。借金だらけで、結婚もできない。高校時代の同級生は皆、夫となり、父となり。子供たちも社会人になっている。

 そんな中1人。映画を作りたい!という10代からの夢を追い掛けて来た。ここ数年。いや、10年ほど。目の前の問題を片付けることに必死で余裕がなかったが、久々のヨコハマ。あの頃を思い出してしまう。あの頃を振り返ると、ここまで来たことも感じる。しかし、来年の今頃は仕事なく、路頭に迷っているかもしれない。それが映画界。昔からの知人で映画界で大ブレイクした奴がいる。が、失敗作が続き、膨大な借金をして、今はどこにいるか分からないというのもいる。僕もいつどうなるか?分からない。

 未来を想像しつつも、過去を振り返る。前回の記事で書いた映画館。蒲田パレス、横浜日劇、横浜名画座、今回は行っていないが、天王町ライオン座、大森キネカ、大井町ロマン座と、当時はいろんな名画座に通っていた。2本立て500円ほど。映画館の暗闇の中で、スクリーンを見つめる。ハリウッド映画が中心。暗い日本映画も観たが、あまり好きになれなかった。映画学校に来る奴はなぜか・芸術映画や暗い日本映画。特にATGが好きなのが多かったが、僕はハリウッド映画。

 そんな思いが嵩じて、LAに留学することになるのが、それはまた次の話。今はしばらく横浜時代を振り返ってみる....。

(つづく)


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