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映画レビューを見ると酷評が...。でも、それが映画ヒット中の証。それでいいのだ〜? [9月ー2018]

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映画が公開されると映画レビューや個人のブログ。評論家のHP等で映画の批評がアップされる。が、あれこれ見ていくと、かなり酷い批判や否定がときどきある。「レベルが低い!」「シナリオがダメ!」映画というのはいろんな感想があっていいもの。皆が絶賛するのはありえない。だから、どんなところが不満だったのか? そうした批評も読む。

また映画というのは賞賛ばかりより、賛否両論の方が大ヒットすることが多い。「2001年宇宙の旅」や「地獄の黙示録」は当時「最高の作品」「いやいや、最低の駄作だ」という両方の声があった。そんな批評を見て「本当はどうなんだ?」と多くの人が映画館に行き、ヒットに繋がった。

が、残念ながら(?)「明日にかける橋」はほとんどが「感動した」「泣けた〜」「最高でした!」という感想。賛否両論ではない。ただ先に上げた「2001年」等と違い難解な物語ではなく、まさに感動作として幅広い層に見てほしい作品なので、それらの評価はうれしい。

そして、極々一部だが厳しい批判も出て来た。実はこれは大切なこと。「批判されてムカつく」ということはあるだろうが、批判する声が出て来たということは、より広い層、より多くの人、いろんなタイプの人が映画を見てくれたという証なのだ。つまり、絶賛絶賛だと関係者しか見ていない。ファンや支持者しか見ていないということにも繋がる。

これまで僕の映画を観たことの無い人。ロケ地と関わりのない人。この映画を応援していない人。そんな人たちも見てくれたということだ。どんな人なのか?批評の中身を見ると分かる。例えば「シナリオがダメ」という声があった。理由は「タイムスリップして過去に行ったのに、現在のお金で買い物をしている。あり得ない!」というもの。笑える。その辺のことを調べずにシナリオを書く訳がない。

説明しよう。1989年と現在まで。紙幣が変更されたのは1万円札だけだ。それも比較してみないと分からない程度の変更。どちらも福沢諭吉。あとの紙幣。コインは全て同じ。問題は製造年だけ。でも、買い物するときに店員さんがコインや紙幣のひとつひとつの年号を調べて受けとるということはない。だから、主人公たちが買い物をすることはできる。

1万円札が聖徳太子から福沢諭吉に変更になったのも、500円玉が登場したのも1980年代前半。映画の舞台となる1989年には聖徳太子札も岩倉具視札(500円札)もない。だから、現代の貨幣で買い物してもバレない。つまり「買い物できない」と批判を書いた人はその知識がなかった。「昔と今はお札が違うはずだよなあ〜」という不確かな思い込みで調べもせずに「シナリオがおかしい」と批判しているのだ。

さらにいうと、お金の部分は「シナリオ」というより「設定」にあたる。「シナリオ」というのはストーリー部分を主に指す。もっと厳しく言えば、よく「シナリオがいい」という人がいるが、その人はシナリオを読んではない。映画を見てストーリーがいいと感じただけだ。さらに言えば、本来のシナリオと撮影されたものは多少違う。シナリオに書かれてあった部分がいいのか? 撮影現場で俳優がアドリブで言った台詞がいいのか? シナリオ協会と違う結末もある。映画を観ただけでは判断はできない。

なのに「シナリオがいい」という人が多い。そんな表現をするのはたいてい映画ファンと呼ばれる人たち。映画ファンはピンキリ。本当によく映画を見ている人から、ミーハーなだけのファンまでいる。その種の安易な思い込みで批判するのは初級映画ファン。中には1989年には生まれていないのに「現代のお金で買い物はできない!」という批判する人もいた。とにかく、そんな若い人たちも「明日」を見てくれたということなのだ。

他にも笑ってしまうような批判もいくつかあった。面白いのは映画を見ていて「あれ?」と思ったとき「自分に理解する力がなかったのか?」とは思わず「映画の説明が下手だから分からなかったのだ」と演出が問題だと解釈する人が近年増えている。「突っ込みどころが満載」という批評もときどき見るが、その手の表現をする人のほとんどは「あんたに見る力がないんとちゃうの?」といいたくなる。

映画はただボーと見ていて分かるものもあるが、考えながら見ないと複雑な設定を理解できないもの。表面と裏側のテーマが違うもの。いろいろある。映画はテレビドラマのようにご飯を食べながら見て分かるように作ってはおらず、暗闇の中で集中して見ることで分かる演出や構成がされている。また、全ては説明されず、映画は様々な部分が省略される。省略の芸術と呼ばれるほど。そこは想像で補う。それが映画だ。

なので「あれ?」「なんで?」と若い人が思ったとき、「あれはどういう意味だったのか?」と考えず「シナリオがダメ」「突っ込みどころ満載!」とか、自分は完璧。映画がダメなのだと判断してしまう。その背景を考えると、僕が書くいつもの「教育問題」に繋がる。与えられることをこなすだけの教育で大人になったので、考える力が不足しているのだ。が、また長くなるので別の機会にしたい。その種の映画ファン、安易な分かりやすい映画しか見ない若い人たちも、「明日」を見てくれたということが、その種の批評から分かる。

シナリオというのはプロが書き、監督がそれを把握する。そして演出部が読み込み。「矛盾点がないか? 設定に間違いがないか?」徹底して考える、美術部が当時を勉強。必要な物を探し、或は作る。撮影部がそれを撮る。時代に合わないものや当時あるはずのないものは選別。その辺はプロのスタッフ。プライドがあるので徹底している。毎回、「そこまでやるか?」というほど調べる。当然、監督は突っ込まれないように、必死に勉強をする。僕の場合、「青い空」では書道。最終的に書道協会で講演までさせて頂いた。「朝日のあたる家」では原発。徹底的に勉強した。

今回なら1989年。それだけで何時間もしゃべれるほど勉強。おまけに当時を経験している。だから、若い映画ファンが「あれ?これおかしいよ〜」なんて思っても、本人の知識不足、思い込みであることが多い。が、映画ファンの一部は努力しないのに「俺は鋭い!」と思っている人が多く、調べないでその種の批判を平気で書き込む。話が逸れたが、そんな映画ファンも「明日」を見てくれているほど、観客層が広がって来たということだ。

また、映画ファンというより映画マニアという人には世間で評判のいい映画をけなしたい。否定したいという輩がいる。とにかく否定する。「何か恨みあるの?」という感想をブログやレビューにアップする。その手の批評が出てくるのも、かなり評判がいいという証でもある。評判がいいから「否定してやれ!」とブログを書くのだ。そんなふうな批判や否定を見ると関係者は気分が悪くなるが、多くの人に見られて来たという証。その意味で「明日」はいい線行っている。

そんな人たちを集めて、疑問に答える会というのをしたい。いろいろ批判を読んだけど「なるほどーそれは気付かなかったなあ〜」というものはない。ほとんどが勘違い、知識不足。揚げ足取り。自分の趣味でない映画を「レベルが低い」と表現。レベルではなく趣味でないだけ。というものが多いので、その辺を解説してあげたい。

ただ、貧乏暇なしで、そんな余裕もないので、機会あれば「明日」の背景、設定、物語、テーマについてこのFacebookやブログで解説したい。映画公開前にそれをする訳には行かないが、静岡公開の大ヒットでさらに多くの方々が見てくれているので、もう少しすればOKかと思っている。






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