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明日にかける橋ー編集日記 センスのないオジさんが映画を壊す? [「明日」編集]

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確認作業が続く、映像を通して見て、おかしなところがあると、編集機に戻り修正。間を延ばしたり、削ったり。別のカットと入れ替えたり。そしてまた本編映像の確認に戻る。

最初は果たして繋がるのか?と思えた動きーつまり、撮影中に同じ場面を別角度から何度も取るので、どうしても俳優の動きが違って来る。上がった映像を見ると引き絵と寄り絵の俳優の動き出すタイミングや位置が違ったりする。プロでも全く同じ動きが出来る人は少なくて、なかなか難しいところ。(ハリウッド映画でも編集で苦労する)

それを編集で直して行くのだが、動きを滑らかに繋ぐと、引き寄りがおかしな具合になる。引き寄りの演出を主にすると、俳優の動きが繋がらない。というところが何カ所かあった。が、それも何とかスムーズに見えるようにつなぎ。通してみると全く気にならないので、自身で驚いたりする。一時はどうなるか?と思えたシーンも問題がなくなる。(ま、それでも気になる部分もあるのだけど)

しかし、自由に編集できるというのは、本当にありがたい。昔は頭の古い年配のプロデュサーがあれこれ注文を付けて来て、そのたびに衝突!殴り合い寸前のことがよくあった。編集は「感性」であり、言葉で説明しづらいところが多い。あと1秒延ばした方がいいか? 1秒短くした方がいいか?はどちらが正しいではない。「感性」なのだ。

おまけに多くのプロデュサー。それも50歳を超えたオジさんに趣味のいい人は少ない。感性の鋭い人は稀。それを自覚せずに、あれこれ口を出す人が多かった。また感性なら「この人センスないから」と諦めも着くが、編集の基本が分かっていないプロデュサーもいた。転職したばかりとか、映画が本業でない人とか、経験値が低いのに、編集の常識を破るような指示をする。先の感性と違い、明らかな間違いなのだ。

それを説明するのに編集の基本、常識から話さなければならない。彼は見習いではなく、プロデュサー。編集中は神経質になり、ビビットになっているのに、なぜ、素人のような奴に基本のABCから説明せねばならないのか?また、その手の人は基本を説明しても「私はそうは思わない!」と言い出し、名作映画を見せて「このシーンも同じ手法でしょう?」と言ってみたり。

そんなど素人のために何時間も浪費せねばならないの?と思うことがよくあった。「2時間ドラマのような編集をしろ!」と言い続けたPもいた。だったら、映画やめてテレビの仕事して?と言いたいのだが、感性が古いので新しい編集の方法論が受け入れられないようだった。とにかく、オジさんたちは古い価値観を押し付けるのが好きで、大手の映画でも、そのために若い観客にそっぽ向かれた作品は数多くある。

まず身内と戦わなければならない、というのは本当に不幸なことで「一緒に素敵な映画を作ろう!」という仲間が真剣に映画をダメにすることに努力する。そんな構図は映画界ではよく起こるので、近年はその種の人々を小池発言以前から排除。理解ある人たちと仕事をしている。そして編集に関しては誰からの指示も受けないという姿勢を通している。

映画はいろんな人があれこれいう意見を取り入れて作ると、無難な作品になってしまう。作家の「これだー」という思いを前面に出してこそ、観客の心を打つ作品ができる。その辺が分からない人が業界にも多く、その種の人をいかに参加させないか?も大事なことなのである。




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