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「明日にかける橋」の舞台ー1989年とはどんな時代だったのか? [「明日」編集]

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映画「明日にかける橋」は1989年を舞台にしている。昭和64年。平成元年である。バブル最盛期。日本の企業が海外の会社やビルを買収。日本人観光客もニューヨークの高級品点で爆買い(?)。円の力は強く、今では考えられない好景気だった。

広告代理店の社員は会社からもらったタクシー券で出社。OLたちは豪華レストランで毎晩のように男性から奢られ、大学生たちはスキーウェアを毎年買い替えて、卒業旅行と称して海外へ。週末の六本木のクラブはお祭り騒ぎ。扇子を振りながらお立ち台に立つ若い女性たちが踊る姿がそれを象徴した。週末ともなるとタクシーが捕まらない。それなのエピソードが象徴するパブル経済。それが1989年である。

劇中でのエピソードにもあるが、日本の企業がアメリカのコロンビア映画やユニバーサル映画(正確には1990年)を買ってしまうという驚くようなこともあった。ニューヨークのロックフェラーセンターも日本企業が買収。当時は日本製品がアメリカ中を席巻していた。SONY、Pnasonic文字が着いた電化製品がどこの家庭にも存在。車も日本車が売れまくった。

その反発がジャパン・バッシングである。アメリカ車の売れ行きが悪くなったことで労働者がリストラ、日本憎しの思いが政治活動にまで発展する。そんな時代が下り始めたのが1989年。好景気はこのあとも続くが実質的にはこの年から下り坂となる。同時に時代が大きく変わった年でもあった。

世界に目を向けても1989年は時代の変わり目だった。東西ドイツが統合。ベルリンの壁が崩れた。東西冷戦の終わりである。中国の天安門事件。チャウシェスク政権崩壊。日本国内でも昭和から平成に変わったように時代を築いて来た人たちが亡くなる。美空ひばり、手塚治虫、松田優作。犯罪の形の大きな変化がある。この年に起きた宮﨑勤事件、女子高生コンクリート詰め殺人事件等の犯罪はそれまでになかったタイプ。これ以後にこの種の「恨み」「金」が目的でない異常犯罪が次々に起こることとなる。「酒鬼薔薇聖斗事件」「西鉄バスジャック事件」「秋葉原通り魔事件」らがそれである。

ハリウッドではシリーズものが次々に作られる。「バック・トウ・ザ・フューチャーpart2」「スタートレックV 新たなる未知へ」「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」「ザ・フライ2」「13日の金曜日 ジェイソンNYへ行く」「リーサルウエポン2」また、この年に公開され大ヒット。シリーズ化されたのが「ダイハード」「バットマン」である。ハリウッドが確実に客を呼べるシリーズものに執着し出したのはこの頃から。日本企業に買収されるほど、リスクを恐れ弱体化していたことも感じさせる。

音楽でいうとローリング・ストーンズが久々に、全米コンサートツアーを開始。日本には翌90年に初来日。アメリカではマイケル・ジャクソン、マドンナ、ブルース・プリングスティーンが相変わらず人気だった。国内では80年代から続くアイドル系歌謡曲と「いか天」等に象徴されるバンド系が人気を博す。前者でいうと斉藤由貴、南野陽子、浅香唯、小泉今日子、森高千里、光GENJI。後者では爆風スランプ、プリンセス・プリンセス等。若い人たちはレンタルCDを借りて、カセットテープに録音して聴くというスタイルが多かった。レンタルビデオもまだVHSテープが主流。LDはほとんどレンタルされず、DVDの活躍はまだ先のことである。

それから27年。間もなく、その平成も終わろうとしている。バブルで始まり、その後の長い長い不況。今の若い人たちは好景気を知らない。ニューヨークのティファニーに押し掛けた日本人を少し前の中国人観光客による日本での爆買いで思い出す。シャープが台湾の企業に買い取られ、大手電気メーカーも厳しい経営を続けている。今、ニューヨークのタイムズスクエアには見慣れたSONYのネオンはもうない。ロスアンゼルスの空港に置かれていた日本製の大型テレビも今は韓国製。平成は日本人にとって、どういう意味を持つ時代だったのか? 


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