明日にかける橋ー編集日記(5日目) 編集は映像を繋ぐ作業ではなく、主人公の気持ちを表現すること [「明日」編集]
いつもどんなふうに編集しているのか? 作業が終わってしまうと覚えていないことが多い。撮影中のことはよく覚えているのになぜか? 逆に俳優は撮影中のことをよく覚えていないという。多分、物凄く集中しているときのことって記憶に残りにくいのかもしれない。そう考えるとシナリオを書いているときのことも、あまり覚えていない。
てなことをデータ書き出し待ちに書いている。「向日葵」編集中はいつ何をした?ということをブログに書いたが、今回は編集作業もしっかりと記録しておきたいと考える。編集は化石掘りだと先に書いたが、なかなかイメージしにくいはず。で、具体的に書いていく。
太田組作品はいろんな編集ができるように、いろんなショットで撮られている例えば学校のシーン。「引き絵」「主人公の寄り絵」「ラン・スー・グループのチームショット」「台詞がある生徒(手塚)の寄り絵」「(里美)先生の寄り」「先生の引き」これだけを頭から最後までほぼ撮っている。なのでどんな編集でも可能。
ただ、基本がある。主人公の視点で編集せねばならない(ときにはそうでないこともあるので基本)それが一人称。同時に二人称の視点が入ってくることがある。主人公の親友役とか、両親とか、先生。その辺を整理して繋いで行く。これは大げさに言えば心理学。
小説の場合も基本、主人公の視点で物語が進み、その気持ちを文章で表現している。「タケシは悔しいと感じた」とかいう形。映画の場合でも主人公が「悔しい」と台詞でいうことがあるが、それを映像で表現するのが王道。壁を殴りつけるとか、涙を流すとか。うなだれる。いろんな表現がある。それを動きでー映像で表現して行く。
拳を握り締めるカットがあれば、それを挿入する。そうすることで主人公の悔しそうな表情だけでなく、気持ちが観客に伝わる。下手なやり方はナレーションで「タケシは悔しいと思った」と説明すること。昔のテレビドラマでよく使われた手である。
拳を握るカットは事前に撮影しておく必要があるが、それがなくても編集時に気持ちを強調することもできる。例をあげようとと思ったが、あまりにもいろいろあるのと、ケースバイケースなので、いろいろあるとだけ書いておく。つまり編集というのは映像をつなげる作業というより、登場人物の気持ちをクリアーに表現、強調、あるいは抑える。作業とも言える。
それによって観客を共感、感情移入させて物語に引き込むのだ。「あー分かるわ〜」「俺も似たような経験がある...」「これは酷いよね〜」と見ている人が感じる。そこから他人事ではなくなり、観客は主人公と共に物語を見つめていくことになり、応援してしまうのだ。
退屈なドラマのほとんどはそんな共感、感情移入ができないことが原因。だから、どんなに主人公が不幸になっても同情できないし、悲しみが伝わらない。悲しみや喜びを共感してこそ、感動につながるのである。観客をそうさせる技術こそ、編集なのだ。と書いていると「書き出し」が終わったので編集に戻る。分かりにくい説明になったが、またその辺は書いてみる。
2017-10-10 13:50
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