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明日にかける橋ー編集日記  編集作業は子育てと同じ?! [「明日」編集]

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多くの人はこう思うだろう。「監督の頭の中では全てが出来上がっていて、それを絵にするために撮影する。だからあとはそれらの素材を繋ぐだけだ」ーある種の監督はその通りかもしれない。が、そうでもないことが多い。

というのはまず撮影にしても、監督のイメージ通りに撮れることなんて少ない。もし、それを実践しようとすれば黒澤明監督のように膨大な制作費と時間を注いで、その絵が撮れるまで粘らなければならない。が、そんなことは今、ハリウッドでもできない。

お天気、ロケ地、俳優、カメラ、美術、光、と様々な条件があり、その全てを監督が気に入るようには出来ない。そんな厳しい状況の中で何とか撮り上げた素材は当然、監督のイメージとは違う。それをどうやってイメージに近い感じに繋ぐか?というのが、ある種の監督たちの考え方である。だから「このカット繋がらないよー。あの役者ほんとダメだなあ〜」とかいいながら作業する。

僕の場合は少し違う。自分のイメージではなく、その映像素材がどんな作品なのか?を探って行く感じ。何度も書くが化石堀りのような感覚がある。チラノザウルスか? ベラキラプトルか? どんな恐竜だ? という思い。掘り進まないと正体が分からないという感じだ。自分のイメージ通りに映像を繋いで行くというのではなく、その作品が何を叫んでいるのか? どこへ行きたかっているのか?を聞き取る作業だと思っている。

そのせいか、自分でシナリオを書き、撮影現場で演出しているにも関わらず「おーこうなるのか?」「「この先はどうなるんだろう?」とか思いながら素材を見てしまう。だから新鮮。「どんな作品になるのか?楽しみ!」という感じ。「あんたが作った物語だろ!」と突っ込まれそうだが、先輩監督たちも同じことを言う。

シナリオ通りに、理屈で繋いだ映画は面白くならない。だからときには、1シーンまるまるカットすることあるし、いろんなカットを集めて、シナリオにないシーンを作ることもある。でも、それによって思いもしなかった部分が感動場面となることもある。それらは作品が要求してくる。だから、耳を傾けなければならない。

もしかしたら編集は子育てと似ているのかもしれない。親は自分の理想を押しつけ育てようとするが、子供はその通りに成長しない。むしろ、親の言う事を聞いて真面目に育った子は面白みに欠ける。だからこそ、その子の良さを見抜き、親の期待とは違う部分でもいいところがあれば、そこを延ばしてやる。映画の編集とはまさにそんな感じなのだ。


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