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映画の編集作業と試合前のボクサーー共通点? [「明日」編集]

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ボクサーはタイトルマッチが決まると連日ジムで練習。遊びに行ったり飲みに行ったりせず、ひたすら練習を続けるという。試合日が近づくと、ジムに泊まり込み、外部との接触を遮断。マスコミ取材も断り、生活の全てをボクシングに注ぎ、闘争心をかき立て練習に集中すると聞く。

映画の編集というのは、それに近い。編集室に1人で泊まり込み、食事も室内。それも片手で食べるものにして作業を中断しなくても済むもの。携帯も持ち込まず、メール確認もしない。そして人には会わない。

僕だけかもしれないが、電話で誰かと話をしたり、人と会って飯を食うと日常に戻されてしまい、集中力を失うからだ。ボクサーも試合前になるとマスコミを遮断。友人たちとも会わず、スタッフともあまり口を聞かないというが、やはり日常に戻ってしまい闘争心が削がれるからだと思える。

編集作業も同じ。闘争心ではないが、映画の世界。物語に入り込むので、人と接すると現実に戻ってしまう。そんなときにプロデュサーから「調子どう?」とか電話がかかってきたら、ぶち切れ! 数日間、作業ができなくなる。集中力というのはイタコの霊を呼び出すようなもの。なかなか降りて来ない上に、すぐに去ってしまう。

作家の例でいうと、机に向かうがペンが進まないというエッセイを読んだことがある。奥さんが「夕飯どうする?」と声をかけると激怒。「仕事中だ!」というが「でも、ペン動いてないでしょう?」と奥さんに言われて困ったというもの。これも「考えている」というより、小説の霊(?)を降りて来るのを待っている状態?なのかもしれない。

ボクサーで言えば闘争心を燃え上がらせるために1人になり、悔しいこと、辛かったことを思い出し、ひたすら相手を倒すことに闘志を燃やすようなもの。そう考えると他のスポーツ選手にも当てはまる。さらに作家だけでなく画家もそうだろう。向かい合う題材と正面から対峙。その世界に入り込む。煮えたぎる情熱。怒り。悲しみ。そんな思いを原稿用紙やキャンパスにぶつける。編集もそんな作業なのだ。

しかし、そうやって外部を遮断。1週間後にメールを見ると大事件が起こっていて、クレームの嵐ということもあった。とはいえ、毎日メールチェックをすると、小さなことで日常に戻されたり、気になって作業に集中できない。一度、現実に戻ると、何日も霊が降りて来ないこともある。

思い出すのは、そうやって邪魔をして来たPがいたこと。そいつのためにたびたび作業が中断。〆切ギリギリになった。すると「お前、作業が遅いんだよ!」と文句を言って来たのでぶち切れたことがある。散々、邪魔をしておいて「遅い」だとー。今、考えると、そのPは編集というものが分かってなかったのだ。単に映像を繋げるという認識しかなかったのだが、理解しづらいのも今は分かる。

だから、毎回、そのことを伝えてから編集室に籠る。よほど重要でないことは連絡しないでほしい。何かあればプロデュサーに伝えておいてほしい。悪気なく「最近どう?」という電話の一言が波に乗った作業を全て台無しにしてしまうことがある。電話には出ないけど、着信があるだけでも、気になってしまう。編集中は神経過敏。人から見ると狂っていると思うだろう。本当に理解し辛い面倒な作業なのだ。



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