SSブログ

脇役は主人公のために存在するのではない。人生と同じでそれぞれに物語がある!=それを実践したのが「アベンジャーズ」シリーズ? [2019]

18300962_1447173618690271_5675327720721269960_n.jpg

脇役は主人公のために存在するのではない。人生と同じでそれぞれに物語がある!
=それを実践したのが「アベンジャーズ」シリーズ?

先に「アベンジャーズ」シリーズはテレビドラマしかできなかった表現法ー多くのキャラクターの背景や歴史、思いを表現することーで、より観客に感情移入や共感をさせ、ドラマを面白くさせると書いた。
それに気づいたのは、僕自身がシナリオを書くときに、いつも考えていたことだからだ。

下手なドラマというのは、主人公のために脇役を配置する。ヒロインが可愛い、美人というのを引き立てるために、友達役はデブ、チビ、ブスにしたり。強さを表現するために弱い相棒を配したり。物語を盛り上げるために、嫌な同僚を用意して、秘密を知られる展開にしたり。全て主人公の物語を進めるために、脇役を利用している。

しかし、現実はそうではなく、それぞれにドラマがある。悩みがあり、葛藤があり、夢があり、悲しみがある。それと対峙して行くのが人生だ。にも関わらず古いタイプのドラマ。出来の悪いドラマの脇役はただただ嫌な奴だったり、主人公を応援するばかり。なぜ、そこまで尽くすのか?表現されていない。あるいは「友達だから」という理由で済ませるドラマが多い。

また、主人公がある問題を抱えているとき、脇役たちは何ら問題がなく、主人公に協力する。そして出番がないときは、変化のない人生を送るだけ。展開があるのは必ず主人公と接しているときだ。簡単にいうと、仮面ライダーでも、ウルトラマンでも、彼らが行った先でしか事件は起きない。

その方が物語を作るのに都合がいいのだが、それは現実とは違う。あれこれ考えて、僕がシナリオを書くときは全員が主人公と思って書く。ただ、それでは物語が混乱するから視点は決める。例えば「向日葵の丘」では多香子(芳根京子&常盤貴子)だ。

高校を卒業後。大人になった多香子は東京で脚本家をしている。同じように他の2人もそれぞれに展開しており、みどり(田中美里)は結婚。子供がいる。が、不治の病。エリカ(藤田朋子)はアメリカで生活。あれ以来、故郷へは帰っていない。皆、それぞれに問題を抱え、現実にぶつかり、悲しみと対峙している。それぞれにドラマ(人生)を演じているのだ。誰を主人公にしても物語ができる。

3人がふとしたことで再会。そのことで3つの物語が交差。その部分を映画にしたのが「向日葵の丘」である。これはみどり視点でもドラマにできるし、エリカ視点でもできる。それを多香子で描いているだけ。それぞれに人生が存在する。メインの3人だけではなく、脇役である北さん(レンタルレコードをオープン)やマリン(俳優を断念したフリーター)たちにも、それぞれにドラマがある。

映画の中では詳しくは描かれないが、北さんは大阪で両親が結婚。やがて家族で静岡に越して食堂を始める。が、父が死亡。母と姑が店を続ける。だから、母と北さんは関西弁だが、姑は標準語。一角千金を狙いあれこれ手を出し、レンタルレコードを始め成功するが、店は潰れて借金がかさみ、ヤクザに殴られて死ぬ。彼を中心とした物語を作ることもできる。

マリンはアメリカ映画が大好き。マリリン・モンローに憧れており、劇団に入った。芝居はうまいが、あがり症で舞台に立つとだめ。劇団を辞め、自分の殻に閉じこもり、北さんの母の店でアルバイト中。そんなマリンは多香子たちの8ミリ映画に出ることで、自分を取り戻して行く。と、こちらも主人公にして1本の物語が作れる。

他のキャラも同様。でも、それぞれ時間をかけて描く余裕はない。設定だけ作り、ちょっとした台詞やリアクションで、それらが分かるようにしてある。現実というのはそうしたもので、皆が人生と言う名の物語を演じている。主人公と出会ったところからドラマが始まる訳ではない。他人のために存在するのではなく、自身の人生を生きている。そんな観点でいつもシナリオを書くので、登場人物、全てに物語を作っている。

だが、それはなかなか難しく、俳優さんはそれを理解して演じてくれているし、演出もそれに沿って行うが、劇中で詳しく背景を説明する時間的余裕はない。それを実現したのが「アベンジャーズ」だ。それぞれが主演作を持つことで、人生を生きている。悲しみ、悩み、葛藤を詳しく描くことができる。

アイアンマンも、キャプテンも、ハルクも、スパイダーマンも、そしてまだ主演映画のない(今後、作られる)ブラックウイドウもそれぞれの人生を生きていることを描ける。

これはテレビドラマなら可能だった「ガンダム」なら、シャアにはシャアの人生と物語がある。1年戦争で、たままたアムロと敵対しただけであり、主人公アムロを立てるために作られたキャラではない。だから、彼を主人公に「ジ・オリジン」を作ることができた。

「ウォーキングデッド」でも「プリズンブレイク」でも多くのキャラの背景が描かれているが、映画はその時間がないこと。どうしても主人公に都合のいい、物語を進めやすい脇役を作ることが多い(テレビドラマでも、その手は多くあるが)そうではなく、それぞれに人生がある方がドラマとして面白く、深みも出る。それを映画で実践したのが「アベンジャーズ」なのだ。その意味で画期的な作品と言える。


58443247_2629706260436995_1645298239047467008_n.jpg
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。