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実践することの大切さ。俳優業も映画監督もー僕の経験から伝える [映画業界物語]

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実践することの大切さ。俳優業も映画監督もー僕の経験から伝える



毎回、偉そうに「映画監督に成る方法」とか「俳優になる方法」なんて書いているが、僕自身も記事の中に出て来る悪い例である「夢追う若者」と大差なかった。高校時代は日本映画大嫌いで「こんな映画何で作るんだ。俺が撮った方がよっぽどマシだよ」と思っていた。インプットばかりで、アウトプットしていない典型的な勘違い。今思うと、シャアに得意の台詞をぶつけられそうな高校生だった(シャアは「ガンダム」のキャラクター。あの有名な台詞です)

それが高校卒業後。横浜で映画学校に通っている18歳のとき。プロの映画撮影現場を見る機会があった。1週間ほど撮影隊に同行できた。このときに思い知る。映画1本作るのがどれだけ大変なことであるか? もちろん、高校時代から映画撮影というのは、ロケ地に行き、カメラを置き、俳優を立たせて、「用意、スタート」で芝居をするのを撮影するということは知っていた。が、それは知識。経験してみると、本当に重労働。好きなだけでは出来ない仕事であることを痛感。それを映画館で1500円(当時の大人料金)で観れるのは安いと思ったくらいだ。

当時、通っていた映画学校。カリキュラムは日本映画史、外国映画史、シナリオの書き方、のようなもので、映画評論家養成講座か?と思えた。シナリオにしても、すでに高校時代から見よう見真似で「キネマ旬報」等に掲載された脚本を参考に書いていた。また、僕が書いたものを教師たちは頓珍漢な批評しかせず。この人たちどうなの?と生意気なことを考えていた。

もちろん、僕のシナリオなど大したものではないが、それならもっと的確な批評をしてほしかった。プロの脚本家でもある講師が「よく分からない...」というのに呆れた。前回の表現でいうとインプットばかり。学校に来なくても東京にいれば当時は山ほど名画座があり、それらに通う方が勉強になった。そんなことで夏休みが終わると、ほとんど学校には行かなくなった。

そんなときに先のプロの現場を見る機会があった訳だ。これはもの凄い勉強になった。学校にはほとんど行かなくなったが、2年目の19歳のときに助監督を経験する。あるきっかけでチャンスをもらえた。プロの現場だ。1年前は見学だが、このときはスタッフの1員。まるで違う。俳優との接し方。プロのスタッフとの仕事。撮影の進め方。それこそオーディションから編集、MA、完成まで付き合わせてもらった。

先輩から「助監督を続けるなら、俺を訪ねて来い」と言ってもらえた。ありがたかったが、連絡はしなかった。現場を経験したことでプラスもたくさんあったが、問題点もいくつか感じたからだ。ギャラが安いとか、体がキツいとかではない。実際、現場は大変だが、楽しかった。映画作りは退屈な高校や映画学校に行くよりずっとずっと面白い。けれど、このまま映画の世界で助監督として働いて行くことに疑問を感じた。その理由は後ほど。を書くと長くなるので今回は書かないが、先の撮影現場。

2つの現場を経験する間に、自主映画活動をスタートした。当時、大森一樹さんや石井聰互さんが8ミリ映画を撮っていてチャンスを掴み、映画監督デビュー。多くの学生があとに続け!と学生映画をやっていた。僕もそんな1人として19歳のときに初めて長編映画を撮った。が、ここでまた思い知る。僕が監督。映画学校のクラスメート(同じく、登校拒否組!)がスタッフ&役者として参加していた。が、監督というのはこんなに大変だとは思わなかった。想像を絶するプレシャーが襲ったのである。

このときすでにプロの現場を経験していた。どのように撮影を進めるか?見よう見まねでやってたが、本当に大変。高校時代に映画を見て「ダメだよなあ。この監督」とか言っていたのが恥ずかしくなった。どんな詰まらない映画でも、監督業って大変だということを思い知る。

まず、監督はカメラの位置を決める。映画館で映画を見ていたら「もっと、前にカメラ置かないとダメだよ」とか思っていたが、それはすでにカメラが置かれた映像に対して、指摘する簡単な行為であることを痛感した。例えば公園。その敷地内のどこにカメラを置くか? 無数の可能性がある。そして、俳優をどこに立たせて、どこからどこに、どのくらい歩かせるか? 監督が全て決めて俳優とスタッフに伝えなければならないのだ。

さらに、スタッフは皆、映画監督志望の学生。「太田。カメラはそこじゃないだろう? あっちだよ」というと、別の奴が「いや、こっちだよ。その方が全体が撮れる」と言い出す。それらの文句多い、監督志望の「我こそは第二の黒澤だ!」と思っている連中を説得し、カメラ位置を決める。次に俳優の立ち位置。これも「ここからスタート!」というと、スタッフ「違うだろ〜」とか言い出す。おまけに俳優も級友。「どんなふうに歩けばいい? 早足。ゆっくり?顔は? 何を見ればいい」と俳優経験がないので訊いて来る。

当然だ。それを監督はいちいち説明せねばならない。説明すると、スタッフたちが「でも、太田よ〜。それじゃ***だし」とか言い出す。皆、インプットはたくさんしている映画マニア。いろいろうるさい。今度はカメラ。撮影は自分でするが、望遠か?広角か?あおりか?俯瞰か?これも無数の可能性がある。それを決め手、ピントを合わせ、露出を決め、三脚を立てて撮影。もう、ここまででヘトヘトだ。

その理由はこうだ。僕自身も12年間。小学校から高校まで与えられる教育をして来た。日本で「考える」というカリキュラムは僅か。だから、自分で何かを決めるということをあまりしない。決められたことを確実にこなす練習。だから、批判はできるが、自分で何も決めない。そんな環境で12年も生きて来て、全てを細かく決めるという監督業。19歳のガキー僕ですーにとってもの凄く大変な作業だったのだ。

今なら、当然の作業だが、あのときは本当に辛かった。例えれば、ボクシングのリングに上がり、相手の選手を1発KOだと思っていたのに、ボコボコに殴られ、こちらは全く手が出ず。何度もダウンして、ゴングに救われたような感じだ。

それがインプットばかりしてきた映画ファンの現実。自分で映画撮影をやったことがない。映画を見て文句を言って来ただけの19歳。その夜は塞ぎ込んで、言葉を発することもできなかった。が、撮影は翌日も続く、スタッフである級友たちが「明日の撮影はどうする?」「小道具は、衣装は?」と訊いて来るが、「もう、俺に聞かないでくれ〜」と叫び出したいほどだった。

完敗と言える。映画撮影がこんな大変とは思わなかった。もう撮影を中止したいほど。で、考えた。長年の夢だった映画監督への道。でも、自分は向いていないのかもしれない。もし、明日撮影して、うまく行かなかったら、その夢は諦めよう。二度と映画は撮らないでおこう。と考えた。ただ、明日は全力で行く。今日の反省を踏まえてやる!そう決意した。

翌日の撮影はうまく行った。昨日のプレッシャーは何だったのか?というくらいだ。ボクサーでいえば、最初はリングに立つだけで精一杯だが、次第に状況が把握できて、相手選手のパンチをかわせるようになるの同じ。やはり、現場に立たないとこれは学べない。映画を100本見るより現場だ。

ただ、ラッシュを見ると酷かった。ザ・素人という映像。もちろん、素人なのだが、高校時代に「俺が映画を撮れば…」とうぬぼれていたのに、完全に素人映画。つまらぬプライドが木っ端みじんに吹き飛んだ。考えた。プロの映像と、僕の撮った8ミリ映画と何が違うのか? 「そりゃプロと素人だからね」と言われそうだが、具体的に何が違うのか? 映画が完成してからも考え続けた。

ひとつはカメラの性能。プロはパナビジョン・カメラだったりする。こちらはフジのシングル8だ。それ以外に何か違わないか?フィルムが8ミリ。プロは35ミリ。それだけか? いろいろ考えて、レンズが違うことに気付いた。プロの絵は望遠を多様している。そして光。明るければいいーと思っていたが、光によって、かなり映像が変わることを知る。映画を作るにはセンスだけでなく、技術が大切なことを実感した。

そう、これがアウトプット。自分が表現したいことを表現するためには、技術が必要なのだ。楽器でも同じ。小説なら文章力。画家でも同じだろう。望遠レンズの効果。広角の効果。移動撮影。フィックス撮影。手持ち撮影。それぞれに別の効果を上げる。さらに光。撮影をしていると、いろんなことに気付く。

撮影後に勉強。次の撮影で生かす。これは俳優も同じだ。泣きのシーンがうまく行かなかった。なぜか? 出演した作品を何度も見る。他の俳優の仕事を見る。違いを考える。表現法を考える。次の芝居で実践する。ダメ。その次の芝居で実践する。評判よかった。こうして、アウトプットの能力を高めて行く。監督業も同じだ。

こうして僕は学生映画時代に4本の長編映画を撮った。が、そこで気付く、アウトプットだけではダメだ。技術だけではダメだ。僕は監督を目指していたのだけど、「自分で監督する作品は全てオリジナル・シナリオでやりたい!」という思いがあった。多くの監督は原作ものをシナリオライターが脚色。できたシナリオをもとに撮影する。

でも、それが嫌だった。嫌というより、自分が考える物語を映像化したかった。だから、シナリオからスタート。もし、監督業だけなら、センスと技術だけでも何とか行けるかもしれない。が、シナリオはそれだけではダメ。経験が大事。学生映画時代に書いたシナリオは高校時代の経験を元にしたもの。たった3年の高校時代。想い出なんてすぐに尽きてしまう。そのあとは学生映画。それをもとに作っても似たような話ばかりしか書けないだろう。でも、友人はいう。

「才能があれば大丈夫だよ。手塚治虫だって、あれだけいろんな物語を書いている訳だし」

そうだろうか? 当時から「才能」というものに懐疑的だった。そんなものが本当にあるのか? しかし、同じく映画監督を目指す友人たちはいう

「俺は俺に才能があると信じるよ。だから、このままAD業を続けていつか映画を撮る!」

彼らは信じる道を進めばいい。でも、このまま、僕がラッキーに監督に成れたとする。実際、学生映画をやっていて20代で監督デビューした奴が何人もいる。でも、この先、80歳まで生きるとして、60年。2年に1本撮っても30本の映画を撮ったとする。高校時代の3年間の経験を6年で使い果たした。この先30年もオリジナルで映画を撮り続けられるのか?どうでもいい作品ではなく、毎回、泣ける。感動する。ハラハラする。そんなシナリオを人生であと30本も書けるのだろうか?

20歳そこそこだったが、そんなことを考えた。そして、技術だけでは、センスだけでは、感受性だけでは、素晴らしい作品はできない。何が大切か? 経験だ。映画界以外での経験が必要ではないか? でないと、一般の人たちが共感、感動する映画が撮れないだろう。そこで考えたのが高校時代からの夢。アメリカ留学だった。映画の勉強をしながら海外の生活を経験できる。

こうして、「スターウォーズ」のジョージ・ルーカス監督が学んだという南カルフォルニア大学入学を目指し、英語力ゼロのまま、LAに留学することになる。それはまた別の話.....だが、この経験というのは「感受性」「技術」に並んで大切なものとなることを、やがて実感する。次回は「経験」が表現には重要という話を書かせてもらう。


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