SSブログ

明日にかける橋ー編集日記(6日目) 編集中の視点はどこにあるのか? [「明日」編集]

22310311_1645090595565238_3233071954060328396_n.jpg

ラッシュを見つつ、頭から編集もスタートした。主人公みゆきが朝起きるシーン。続いて家族の朝ごはん。そして登校シーンで親友の寛子と会う。さらに高校で化学の授業。と進めていく。まだ、緩めの編集で音のダブりも直していないが、少しずつ世界観が見えてくる。

視点は主人公のみゆき。彼女の視点で編集。物語を見せて行く必要がある。往々にして男性監督が女性主人公の物語を演出すると無意識にそばにいる男性キャラに感情移入。その男の視点で物語を描いてしまうことがある。だから注意。

今回は編集中ー自分自身の精神状態。何を感じ考えるか?を記録するというテーマもあるので、あれこれ考えながら編集しているので、気づいたことを書き留めて行く。通常、編集はつながりやリズムを大切に作業する。カットとカットがうまく繋がっているか? テンポよく物語が進んでいるか?等である。

そして監督自身が編集するより、編集マンが編集する方が客観的に素材を見れて冷静にカットできるとも言われる。撮影時に苦労して撮った映像だと現場を知る監督は切りづらい「ああ、ここでA子ががんばったんだよなあ~」と思うと、その場面は残したくなる。あの苦労を無駄にするような気がするからだ。

その点、現場を知らない編集マンなら「これテンポ悪いから要らないな!」とスパッと切ってしまう。その方が作品にとってプラスな場合が多い。だからディレクターズ・カットというのは長くなりがちで、オリジナルの方が良かったんじゃない?と思うことが多いのはそんな背景があるのだ。

僕もそんな面はあると思えるが、それとは別に撮影素材を見るときに、現場にいたにも関わらず、カメラマンのそばでモニターも見ているにも関わらず、新鮮に感じることが多い。そして物語を知っている(というか、私が書いた!)にも関わらず、「この先、どうなるんだろう?」と思ったりする。

これは僕だけか? 他の監督から聞いたことがないが、その辺にいろいろ秘密がありそうだ。自分なりに考えるに、現場では三人称で俳優たちを見ている。が、撮影された映像を見るときは主人公の視点で見ているようだ。撮影時はいろんな人に気を配る必要があり、すべての俳優がやりやすいように配慮する。

それに対して編集はもう誰にも気遣う必要がなく、主人公の視点で物語を見ればいい。つまり、ドキュメンタリーを編集しているような感覚。主人公が何を思い、何を感じているか? それをいかに表現するか? どのショットを使うことで最大限に伝わるか? と考えながら、僕は編集しているようだ。

もともと僕がメイキングからスタートしたこともあるだろう。メイキングはそもそもドキュメンタリー。そこに写った人物の気持ちをどうすれば編集で表現できるか?という視点で編集をしていた。同じスタイルでドラマも編集していることに気づく。と、読んでいる人は何のことだか?よくわからないかもしれないが、太田組作品が特質はそんなことが背景なのかもしれない。



小.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。