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市民映画作りの難しさー「ボランティアと非営利主義」の本当の意味 [地方映画の力!]

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僕は企業映画やテレビの仕事ばかりでなく、市民映画(或は地方映画)の監督もよくする。そのせいで自治体や市民団体からの相談を受けたり、シンポジュームに呼ばれたりすることがある。いずれにしても町の活性化や町のアピールがテーマだ。過疎化が進む村。人口は多いが知名度がない町。観光客が来る事で収入を上げたい自治体。皆、似たような問題を抱えているからだ。

そんな1つとしてこの20年ほど注目を集めているのが地元による映画作り。映画を作ることで町をアピールするというもの。ただ、残念ながら多くの町が失敗している。その辺はブログで以前に連載。多くの方が読んでくれた。今回は少し違う角度から「ボランティア」の意味と「非営利主義」の本当に意味を語りたい。

地方映画の多くはボランティア市民によるもの。寄付を集めたり、市の予算を付けたりして映画制作をする。ビジネスというより慈善事業に近い。だが、そこで勘違いしてしまい目的を達せない町が多い。ある町のグループ。「有名な映画監督を呼び、町で映画を撮ってもらおう!」と有名監督の名前を上げて寄付を集め出した。本人にも連絡。承諾を得た。が、そのグループ。いつまで経っても制作費を集められないでいる。「おかしい?」と思ったその監督の事務所が調べると、会合と称して集めた寄付で飲み会をしていたのだ。

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本人たちは「皆、がんばってくれているから、せめて食事でも!」というつもりだったというが、次第にそれがエスカレート。寄付を集めても、集めても目標額を達成できない。いつしか飲み食いする額が集める額より大きくなっていたのだ。町の人たちからは「詐欺じゃないか?」と言われ出す。その有名監督は手を引き、名前を使うのを止めるように連絡。そのグループに悪意はなかっただろう。でも、寄付で飲み食いするのはダメ。その辺を「みんながんばってくれたから」という気持ちで混同してしまったのだ。

似たようなケースがある。町をアピールするための映画。市民の寄付で完成した。市民団体はボランティアとして協力。多くの市民も手伝ってくれた。地元のホールを借りて上映会だ。「多くの人の協力で映画ができた。だから市民は全員、無料で見てもらおう!」これはよくあるパターン。一見「いいことだね」と思える展開であるが、厳しく見たい。入場料はタダ。しかし、ホールはたいてい有料。プロジェクターも必要。上映を知らせるチラシやポスターも必要。デザイン料、印刷代、経費はかかる。それを誰が負担するのか? 

映画を作ったグループはボランティアで撮影に参加。当然、交通費も自腹。なのにホールのレンタル料まで払うのか? これはおかしい。さらに言えば、その映画は町をアピールするもの。なのに無料上映してしまうと、収入は入って来ない。他県、日本全国で上映するための費用はどうするのか? 映画館で上映するためのポスター&チラシ。広告。マスコミ対応。試写会。そんなことにかなりな費用がかかる。

1本の映画を公開するのは大変なのだ。にも関わらず、地元で無料上映会。収入はなし。全国展開はできない。そのグループが持ち出しで上映。何のための映画制作だったのか? そんな地方映画がとても多い。「町のアピール」といいながら地元で上映して終わり。なぜ、そうなるのか? 全国公開のための宣伝費のことを考えていないからだ。


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そもそもの問題点は「多くの人の協力で映画ができた。だから市民は全員、無料で見てもらおう!」という発想である。基本的な間違いー市民は撮影にボランティアで参加している。それに対して上映会に「招待する」「無料で見せる」というのは代償行為。通常、映画館で見れば大人1800円。つまり、撮影のお手伝いをしたことで1800円の代償を払っているのと同じ。ここでボランティではなくなっている。そのことには気付かず「皆、手伝ってくれたから!」と思う。多くの人は「そうだね!」「無料でやるといいな」と賛同してしまう。

これは先の「手伝ってくれたから食事をごちそうする」とほぼ同じなのだ。全国で映画を公開する目的を完全に忘れている。こうして町のアピールのために作った映画は地元でしか見られずに終わる。

そんな間違った論理を信じ込んでいる人が多い。「撮影を手伝ったのに、何で入場料取るの?おかしい!」と言い出す人。こう考えてみよう。工場でテレビの製造を手伝った。ボランティアで行った。それで完成したテレビがもらえるだろうか? 例えボランティアでなくても、車を作ったからと商品はもらえない。給与がもらえるだけ。その給与がなし好意で手伝うのがボランティア。そこに「バイトは作業をすると1時間いくら」という発想を重ねてしまう。そこから来る勘違い。これはまだ日本にボランティア文化が根付いていないこと。

「だったら営利主義なの?」と批判する人もときどきいるが、上映会の入場料を自分たちの収入にすると営利主義だが、それは全国公開の宣伝費に当てる。「入場料」=「全国に地元をアピールするための寄付」なのである。それを財源とすることで配給会社を雇い、宣伝費を預けることで全国の映画館で上映できる。そのための資金。それに気付かず批判したり「無料上映会か、いいねー」と賛同してしまう人たち。町のアピールはできず自己完結して終わる。そんな町がとても多い。

全国で夏に開催される花火大会も同じ。ほとんどは寄付で賄われている。にも関わらず市民の多くは税金でやっていると思い込んでいる。だから役所の職員が寄付をお願いすると「何で?」と言われることが多い。ある自治体に聞くとこう話してくれた。

「花火大会に寄付するのは嫌だが、花火大会は見たいという人が多くて困ります。そもそも花火大会は近隣の住人にこの町に来てもらい、飲み食いしてお金をわが町に落としてもらうために始めたものです。それが近年ではどの町でも花火大会があるから、近隣からは来ない。見に来るのは地元だけ。何のための花火大会かと思いますよ。それで中止というと、寄付をしない人たちが一番反対する。そもそもの目的を失っているんです」


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その通りだ。地元映画も同じ構図に陥りやすい。市民が寄付した製作費。ボランティアで撮影のお手伝い。完成。地元で無料上映。市民満足。収入ゼロ。全国公開は不可能。他県の人は誰も映画を見ない。花火大会と同じ。「本当に町のためになるには、どうすべきか?」を考えることが大事。

ボランティアの意味を勘違い、本来の目的が果たせていない。それが多くの地方の現実なのだ。何をしてもお金はかかる。それをどう集め捻出するか? そこに映画作りだけでない市民活動の可能性が秘められている。

なんて話を自治体や団体から相談されると話すのだが、今回、「明日にかける橋」を撮らせてもらった静岡県のグループ。その辺のことをよくご存知。だからこそ、多くの寄付を集め、3つの町から集った実行委員が大活躍。

そして先に例として上げた花火大会。多くの町では問題を抱えているが、今回の地元のひとつ袋井市の花火大会は全国5位に入る大きなもの。各地から何万人もが見に来る。町をしっかりとアピール。地元も潤う。そんな背景と経験があることも他と違う強みかも。でも、市民メンバーの皆さんがもの凄く映画制作を勉強された成果が一番大きい。本当に凄い!

「明日にかける橋」は地元の花火大会をクライマックスに、袋井、磐田、森の魅力を伝える映画。12月の完成披露上映会の収入は全国公開の費用に当てるという。自治体や企業でもむずかしい「地元アピール」と「全国発信」を市民グループが実践している。新しい市民活動のモデルケースとなりそうだ。素晴らしい。


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