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「思い」を同じくした仲間がいるから、素晴らしい仕事ができる! [映画業界物語]

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「思い」を同じくした仲間がいるから、素晴らしい仕事ができる!

「俳優さんが演技してるとは思えない。何か本気としか思えない」という感想をよく頂く。「太田映画に出た俳優は輝いている」というコメントもよくもらう。本当にうれしいことだが、僕自身、その理由が分かっていない。

「シナリオがいいので、俳優ががんばるのでは?」という意見もあるが、それだけでもなさそう。「いい俳優さんを選んでいるから?」とも聞くが、その俳優がいつも以上に輝いていることが多いとも言われる。

そう考えて、最近ある事実に気づいた。以前にも書いたが、僕の映画は全て僕自身がキャスティングする。あちこちから自他推薦が山ほど来るが、全て自分で決める。誰かの顔を立てて入れるとか、仲がいいから起用するということはない。プロダクションから何かもらっても、お世話になった方から強い推薦があっても受け入れない。

だが、通常のキャスティングは内閣の組閣と同じ。**派からは**大臣。***派には***長官という具合に適材適所ではなく、派閥の力関係で大臣の椅子が振り分けられる。

プロデュサーの***さんが推薦する子をメインの1人に。スポンサーのCMに出ている子を相手役に。主役の***さんと同じ事務所の俳優を5人というふうにして決まったりする。映画の「キャスティング権」は監督にあるのだが、まわりに気遣い。円滑に製作を進めるために、皆の顔を立てて役を決めるのだ。まさに組閣。

或は最初から主役が決まっていて、メインどころも全部キャスティングされてから監督が呼ばれることもある。テレビ局製作の映画でよくあるパターン。でも、そんな形で作られた作品はなぜか? 感動できないものが多く。素敵な作品が少ない。有名俳優がたくさん出ているのに、何かヘン。

理由のひとつは俳優たちの芝居が「お仕事」になっていて、下手ではないが75点の演技しかしないからだ。なぜ、そうなるか? いろいろ理由はあるのだけど、俳優同士のコミュニケーションがある。それなりの俳優が集まれば、それぞれが気遣う。あまり自分だけ熱を入れて演じて、相手を食ってしまうのも問題。自分の演技ペースにこだわると、相手の邪魔をすることもある。だから、空気を読み。それなりの芝居をする。

ある意味で「紅白歌合戦」だ。大物アーティストが勢揃いするので、互いに気遣い。個性が発揮できない。単独のコンサートでは魅力的な人が「紅白」ではかすんでしまう。だから、大物歌手は出演を拒否したり、中継で対応したり、ゲスト的に出てすぐ帰ったりする。自身の力を100%発揮できないので一歩引いた対応で個性を守ろうとするのだ。

同じように大手の映画でも、有名俳優が勢揃いする作品。或はひとつのプロダクションから大勢が出演していて、外部俳優の肩身が狭くなる現場も同じような環境に陥るのだ。そこで話を太田組キャスティングに戻す。

僕が選ぶ俳優さんたち。人気があるかどうか?より役にふさわしいかどうか?で選んで来た。が、それら俳優さんと現場で話している内に結構、趣味志向が近かったり、周波数が同じだったりすることが多いことに気づいた。演技志向で「いい芝居がしたい!」「命がけで演じたい!」という俳優さんがほとんど。

僕は毎回、遺作だと思って映画を作る。「最高の作品が作れれば死んでもいい!」と思っている。そのせいか、無意識に選んだ俳優さんも遺作とは言わないが、命がけで演じるタイプだったりする。だから、僕が細かいことを説明しなくても皆、それぞれの役を把握し、自分なりに考えて最善に芝居をしてくれる。

そして、趣味志向も近い、思いも同じ。そんな俳優さんたちが集まると、俳優同士も通じ合うところがあり、互いに「この人なら真剣にかかっても受け止めてくれる!」と感じて、遠慮なく熱い演技がする。相手ががんばれば、「私も負けてられない!」とがんばる。

おまけに僕はあれこれ注文を付けず、自由にやってもらう。だから、各自が真剣に考え、演技。現場が次第に熱くなり、誰もが100%の力で芝居をするようになる。どーも、それが「太田映画の俳優は皆、輝いている」といわれる背景ではないか?とある評論家さんと話をした。

これは僕自身が意識していなかったことなのだが、そういうことかもしれない。そして、それが出来るのはキャスティングは全て僕自身がやっているからだと気づく。いろんな人の顔を立てて、俳優を選ぶのではないから。もし、そんな形で選んでいたら、ギャラが安いと手を抜く俳優、芝居より自分が目立つことを優先する人、プライドがやたら高い役者、等の人たちも集まってしまい、現場の空気が悪くなってしまう。

でも、僕自身が全てを選ぶことで、気がつくと、そんな俳優は1人もいない。その理由は「感じるものがあるか?」で選ぶからだろう。感じるものあるというのは、僕が命がけで映画作りをするように、その俳優も命がけで芝居をする人だということで「感じる」のだ。そんな俳優が集まるから皆、気兼ねなく素晴らしい芝居をしてくれる。

実はスタッフも同じ発想でお願いしているのだけど、スタッフ、キャスト共にそんな熱い人たちが集まったので、毎回、現場は盛り上がり、熱くなり、評価される映画が出来るのだと思える。

映画は監督1人ではできない。「思い」を共有できる素晴らしい「仲間」が集まってこそ。素晴らしい作品になる。これは映画でなくても同じだろう。同じ思いを持った仲間がいてこそ、素晴らしい仕事ができる。そんなことを感じる。



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