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山本太郎さんと最初に出会った日ー2013年、映画「朝日のあたる家」への道。 [映画業界物語]

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山本太郎さんと最初に出会った日ー2013年、映画「朝日のあたる家」への道。

2013年春。

近所の図書館に通い、新聞や雑誌を読んでいた。そこにはテレビでは報道されなかった原発事故の事実が綴られている。「日本、大変なことになってるじゃん!」テレビでは福島県民が避難する様子は一切報道されていない。でも、誰もが知る有名な雑誌には「東京に放射能がやってくる」と書かれている。実際、東京にも多量の放射能が降り注いでいた。どうすればいいのか?

街を歩くとデモ隊を見かけた。

何のデモ?反原発デモだった。過労でダウン。数ヶ月間、寝たきりでテレビしか見てなかったので知らなかったが、世の中は原発事故の恐怖を知った多くの人たちが行動を始めていた。どうすれば情報が得られるのか? そこで読んだのが小出裕章さん。上杉隆さんの本。そしてネット情報で俳優の山本太郎さんがデモの先頭に立ったり、集会で話したりしているのを知る。

次第に事故はテレビで伝えられたよりも酷いものであり、原発を推進してきた側にもかなり問題あることも痛感する。書籍でかなり勉強したので、街角に出る。ネットではデモに参加するのは「プロ市民」「黒く汚い奴ら」と批判する人たちがいた。本当にそうなのか? なぜ、原発に反対するのを批判する? 事実を知りたい。集会やデモを探した。

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渋谷の公園で山本太郎さんのスピーチ

と頭脳警察のパンタさんの演奏という小さな集会があることを知る。太郎さんは俳優としてよく知っている。仕事をしたことはないが、とてもいい俳優で、出演依頼をと考えたこともある。マネージャーさんともお会いした。そして頭脳警察は個人的にファン。ライブにも何度も行っている。

その日、会場近くまで行くと、腹痛が起きた。トイレに入ってからいくと、すでに太郎さんの演説は終わっていた。悔しい。パンタさんが「さよなら世界夫人」を歌う準備をしていた。集まったのは30人くらい。「こんな少ないのか?」と思いつつ、その日、行われるもう一つの集会に向かう。代々木周辺の大きな公園。太郎さんがゲストでスピーチする。先の集会で聞けなかったので楽しみ。俳優である彼が何を考え感じているのか?知りたい。ところが、

公園にはすでに何万人もの人が集合。

入場制限。入ることができない。「せめて外でスピーチを聞くか?」と入り口付近でたむろしていると、向こうから1人の青年が歩いてきた。目を引く好青年。目がとても澄んでいる。僕の真横を通り、公園に入って行く。「あ、山本太郎」と気づいた。テレビや映画では何度も見ていたが、本物は始めて。気のいい兄ちゃんタイプと思ったが、物凄く純粋な感じ。数分後に公園から声が聞こえてきた。

「みなさん。こんにちは!山本太郎です」

やはり、あの澄んだ目の青年が彼だったのだ。それが太郎さんと出会った最初。この時はまだ原発事故の悲劇を描く映画を作ろうとは考えていなかったし、数ヶ月後に太郎さんに出演してもらい「朝日のあたる家」を作ることになるなんて、この時は想像さえしなかった....。(続く)

「朝日のあたる家」予告編=>https://youtu.be/rP2ztda0kpg

「朝日のあたる家」監督日記=>http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp


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オーディションで実力ある新人を見抜く方法? [映画業界物語]

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オーディションで実力ある新人を見抜く方法?

映画監督というと「俳優に演技指導する仕事」と思われがちだが、それは違う。伊丹十三監督のように元俳優なら演技の指導もできるだろうが、ほとんどの監督は演技をしたことなんてない。そんな人が偉そうにプロの俳優に指導なんてできる訳がない。せいぜい

「もっと激しくやって?」

「静かに台詞を言って欲しい」

というイメージを伝えるくらいなものだ。監督業の一番大事な仕事の一つはキャスティングだ。有名俳優なら実績があるし、過去の作品をDVDで見れば芝居のレベルも分かる。だが、新人が難しい。オーディションに呼んで面接をするのだが、会場を使える時間、費用もあって、延々とできる訳ではない。往々にして、5人で25分とかいうこともある。

1人5分だ。自己紹介2分、質問1分。本読み(シナリオの台詞部分を読んでもらう)が2分。それで終わりだ。そんな時間でその若手がどれだけの実力があり、その役に相応しいかどうか?を見抜かなければならない。もし、外れても撮影現場で交代はできない。ダメだと分かっても、その人で撮影を続けなければならない。

しかし、短時間でも僕は結構、できる俳優を見抜き大正解であることが多い。僕の映画に出て、その後大ブレイクした何人もの若手女優もそんな形で選んだ子たちなのだ。「役者を見抜く才能がある?」イヤイヤ才能なんて存在しない。でも、コツがある。

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ーーどんな俳優になりたいですか? 名前を挙げてください。

と質問する。多くが、その時代に活躍している俳優。特にテレビドラマで活躍している俳優、

「米倉涼子さんです」

という場合。大抵アウト。人気俳優に憧れて役者を目指そうと思ったというレベル。普通の子であることが多い。例えば

「大竹しのぶさんです」

ベテランを挙げた場合は、多少は芝居が分かっているが、即答した場合はまだ演劇ファンのレベルだ。ある程度、芝居をすれば大竹さんがどれだけ凄いか分かる。それを「大竹しのぶさんです!」なんて元気に言えるのは、まだまだ駆け出しだからだ。

本当の凄さが分かっていれば、簡単に名前なんか言えない。また、ベテラン女優の名前を上げることで「私は他の人と違うのよ。目標が高いの!」というアピールをしていることもある。それには要注意。その場合こう聞く

ーー大竹さんの映画、舞台は何を見ていますか? 

この質問で全作、あるいは20本以上を見ていたら真剣。だが、たいていは1ー2本。ある作品を見て

「感動した〜」「凄い女優だ!」

と思っただけ。もし、真剣に役者を目指すのなら「大竹さんの作品。若い頃から全部見たい!研究したい!」と思うはずだ。それをしないのは、憧れているだけだ。それでは役者になれない。

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以上は全てアウト。とてもプロとして通用しない。俳優業以前に、その俳優に憧れているだけなのだ。ある時こんな答えをした10代の女の子がいた。

「吉永小百合さんです」

これもアピールか?と思ったが、そんな子ではない。憧れならオンタイムで観れる有名俳優を上げる。また、言葉に尊敬を感じる。憧れではない。気になり聞いた。なぜ、吉永さんか?

「以前に共演させて頂きました。本当に凄い女優さんで、芝居だけでなく。待ち時間もいろいろ教えられました」

実は彼女、子役時代に吉永さんの娘役をやったことがあったのだ。しかし、小学生の低学年頃。その年齢だと吉永小百合が凄い人だというのは知らない。にも関わらず、凄さを感じ取っていた。それは力があるということ。

「この子はいけるな!」

と思った通り、演技力もずば抜けていた。ただ、優秀過ぎて他の俳優が下手に見えるので、残念ながら採用しなかった。その後、彼女は主演を張る女優になった。

できる子は面接だけで分かる。憧れでは俳優になれない。憧れる俳優がいるなら、その人の映画は全部見ろ。それをしていないのはファンレベル。ファン意識ではプロにはなれない。数分の会話でもそれは分かる。ただ、この記事を読んでオーディションで実践してもダメ。僕以外の監督はまた別の物差しでキャストを選ぶからね!


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日本の映画監督は感覚とノリだけの人が多い?(下)= 監督業は脚本に自分の思いを加え、作品を歪める? [映画業界物語]

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日本の映画監督は感覚とノリだけの人が多い?(下)
= 監督業は脚本に自分の思いを加え、作品を歪める?

日本映画を長らく観てきて、周りの友人監督たちを観て感じたこと。日本の映画監督はノリと感覚タイプが多いのではないか? 理屈ではない。良く言えば芸術家だが、悪く言えば観客置き去りの独りよがりに陥りやすい。だから、面白い映画が少ない。もちろん、昔は名作がたくさんあった。が、70年代後半から80年代。多くがエンタテイメントになっていないのは、日本ではやはり映画は芸術という思いが強かったのだろう。

それは悪いことではない。ただ、徹底して突き詰めて言葉や理屈で説明できないことを映像化するのであればいい。が、安易な思いつきやノリだけで演出して、芸術という隠れ蓑で逃げようとする作品が多い。それを許してしまう業界の体質がある。学生時代はそこまで考えなかったが、僕は断然ハリウッド映画派であり、日本映画をバカにしていた。

僕はエンタテイメントでありたいと考える。ハラハラ、ドキドキ、笑って、泣いて感動できる。そんな映画を撮りたい。時々

「太田監督は自分が撮りたい映画を撮っているだけだよ!」

と批判されるが、僕が撮りたい映画は観客が喜んでくれる作品だ。先に挙げた人たちのように自分の趣味で、感覚で、ノリで、観客置き去りの映画ではない。

違うのは自身でシナリオを書くということ。彼らは書かれたシナリオを読んで、そこからイメージすることを映像化する。だから、脚本家が込めた意図とかメッセージを無視することもある。そこから脱線が始まる。彼らに撮って脚本は起爆剤でしかなく、そこからどうイメージするか?が主題。だから、物語に整合性がなくなったり、話が逸れたりするのは当然なのだ。

僕の場合。観客が喜んでくれる物語を作りたい。そんなストーリーを考えて、予算内で撮影できるものを書く。各段階でもうカメラアングル、ロケ地、編集はあらかた決めている。キャストも想定して書くことが多い。だから、撮影現場で

「さて、どうしようか?」

ということはない。あとは撮影するだけだ。そこで暴走するのは、俳優の芝居があまりにもいいので、長めに撮ったりということだけ。

全てのシーンに意味がある。ここは登場人物紹介。ここは事件の発端。ここは伏線。ここは時間経過と、無意味なシーンや本筋から外れたりしない。これでお分かり頂いたと思うが、多くの監督はシナリオをもらったところから始まり、撮影でそれを膨らませる(暴走させる?)僕はシナリオを書き上げた段階でほぼ完成。それを映像にするのが撮影なのだ。暴走する余地はない。自分が望むものは全て脚本の中にある。

対して他の監督は自分の趣味思考がシナリオ内にないことが多い。だから、自分らしさを追加して世界を作る。そのために脚本家が書いたテーマが疎かになったり、意味ある場面を軽くしたりする。観客からすると無意味な展開、必要な部分がない、ダラダラしている。脇道に逸れる!それが一昔前のつまらない日本映画の背景なのだろう。昔、「地獄の黙示録」の監督フランシス・コッポラはこういった。

「私は監督であるより、演出できるシナリオライターでありたい」

いい言葉だと思った。僕もそれでいきたいと考えた。当時は深く考えなかったが、無駄のない、ダラダラしない、観客が喜んでくれる映画を作るにはそれが最適だと気づいた。

先に挙げた監督たちも決して手抜きをしているわけではない。だからシナリオと自分の方向がピタリと合ったときに素晴らしいものができる。そんな機会はなかなかない。だから自分が共感できる部分のないシナリオは少し曲げてでも、自分の思いや趣味を込めようとするのだろう。



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日本映画は感覚とノリと勢いだけの監督が多い!(中)=芸術か?娯楽か? その間にあるもの。 [映画業界物語]

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日本映画は感覚とノリと勢いだけの監督が多い!(中)
=芸術か?娯楽か? その間にあるもの。

日本の映画監督に大島渚監督のように理路整然と語る人は少なく、感覚とノリで演出するタイプが多いこと、あるときに気づいた。僕が出会った監督たちをタイプ分けしてみた。

①深く考えず、感覚や趣味で演出する人芸術家タイプ

②理屈ではなく、ノリ、勢いで演出する武闘派ジャイアン・タイプ

この2つが多いような気がする。口下手で説明されても意味の分からない監督もいるが、口達者で話を聞いていると「それもあるかなあ」と思えるが、現実的な説明にならず煙に巻かれるだけという人もいる。何れにしても、理屈や論理ではなく、感覚、趣味、ノリで演出している。70ー80年代の映画は特に無意味な場面が延々と続いたり、するものがよくあったのは、そのせいではないか?

芸術家なのかもしれない。ただ、青春映画と思って観に行ったら中年オヤジの恋物語だったり、アクション映画なのに途中から前衛舞台のような芝居になったり、脇道にそれたり、本筋が疎かなになる。計画的犯行?なのか、暴走した結果なのか? 観客置き去りで監督がやりたいことをやる作品が多かった。

でも、その種のものを評論家は評価。「キネマ旬報」等ではベスト10に入った。それが芸術だというかもしれないが、その多くは深く考えず、感覚とノリだけで作り、それを勘違いした映画評論家や映画マニアが喜んだだけではないか?と昔は思えていた。対してハリウッド映画はストレート。本筋から外れない。無意味なシーンをクドクド見せない。まあ、単純明快。分かりやすい。でも、観客を裏切らない。楽しませる。ハラハラさせる。感動させる。

乱暴に言うと日本映画は監督の趣味と感覚で撮った芸術映画。ハリウッドは単純明快エンタテイメント。評論家の多くはアメリカをバカにし、芸術を支持していた。が、観客は日本映画に愛想を尽かし、ハリウッドに拍手を送った。ただ、日本映画も70年代以前は娯楽映画が多く、特撮シリーズ、高倉健の任侠路線、若大将シリーズ、座頭市、悪名のカツ定食。ザッツエンタテイメントだ。

それが70年代に入ってから芸術映画=監督がノリで作る作品が増えて行ったように思える。それらは当然ヒットせず、90年代に入ってから漫画を原作した観客ウケするものが多く作られるようになって、その手のノリだけ映画はほとんどなくなった。が、そのタイプの映画を作る監督たちが今も存在。その影響を受けた次世代の監督がたちが育っているというのが現状なのだろう。

また、長くなってしまったので僕自身の話を書けなくなった。それは次回に!



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日本の映画監督は感覚とノリだけの人が多い?(上)=監督たちを分析してみた。 [映画業界物語]

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日本の映画監督は感覚とノリだけの人が多い?(上) 
=監督たちを分析してみた。

昔、ある製作会社で仕事をした時。Pでもある60代の社長に怒鳴られた。

「お前は監督じゃない。評論家だ!」

僕が編集意図を説明した時のことだ。当時は社長が理屈で反論できなくて逆上したのだと思っていた。が、それから年月が経ち、いろんな監督と接すると、理屈ではない人たちが多いと知る。そのシーンはなぜ、その演出になるか? そのシナリオはなぜ、そんな展開をするか?と聞いても明快な答えを言えない。

「そこは何か...そんな感じにしたくて...」

答えになってない。弁護すれば感覚的な問題で言葉では説明できない。が、その種のものを描きたいということだろう。中には口のうまい監督もいる。言っていることは分かるのだけど、よくよく考えると、何かはぐらされただけという気がする。その監督も感覚派だった。あとは武闘派でジャイアンのように強気なだけで現場を仕切る。このタイプも理屈ではなくノリで演出する。と書くと

「そうじゃないタイプもいるんだよ〜」

というコメントがよく来るが、今、書いているのは僕が出会った監督たちに多いタイプだ。思い出すのは80年代の邦画だ。当時、僕は20歳前後だったが、日本映画が嫌いだった。意味のないシーンが延々と続いたり、何か雰囲気だけで物語が展開したり、

「その場面いらないだろう!」

というものも多かった。アクション映画なのに無意味な台詞をダラダラ語るもの。そこから考えると日本映画の監督は理屈ではなく、感覚と趣味だけで演出する人が多いのではないか? 

対してシナリオライターと呼ばれる人と話すと、多くは理路整然と説明してくれる。各場面の意味。登場人物の理由。テーマ。メッセージ。監督とは違う。いろんな映画を観て、話題の小説も読んでいる。博学な人も多い。対して監督たちー僕が出会ったーは自分の趣味だけ、社会や政治に関心のない人が多い。口のうまい人は多いが、明快な主張やポリシーがないような?

そこから考えると、先の社長が言う「評論家」と言うより「脚本家」なのかもしれない。脚本家というのは書くだけでなく、物事を分析する力が問われる。政治が題材ならそれを分析し、物語に転換。再構築してドラマを作る。その意味では政治を解説する評論家というのも近い存在だ。だから社長はそんな発言をした。

その社長も理屈ではなくノリのタイプ。Pなので脚本家とは打ち合わせはするが、上がったシナリオが良ければ深く議論はしない。だが、監督とは細かな打ち合わせをせねばならない。彼と仕事をした監督たちも感覚派が多い。だから、理屈で意図を説明できない。社長はノリだけの人。議論にはなりづらい(双方共に理屈では話合えない)。そこに感覚派ではない理屈ぽく文句の多い僕が登場する。感覚派が相手であれば、社長は

「この場面はこうした方が!」

と自分の趣味を押し付けても、それで作品が歪む訳ではない。元々が感覚で撮っている「ああ、そうしましょう」と問題が起きない。が、僕の作品は全ての意味がある。部分的に趣味やノリを押し付けられては全体が壊れる。理屈で説明する。社長は戸惑う。反論できない。若いのに生意気だ。グダグダ理屈ばかり言いやがって.....

「お前は監督じゃない。評論家だ!」

となったのだろう。もし、理屈で整然と説明する監督が多ければそんな発言はでないはず。いつもは違うということだ。社長は20本近い映画を手がけている。やはり感覚とノリだけの監督が多いということだろう。長くなったので続きは次回に。



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もし、稚内で映画を撮るとしたら、どんな物語が相応しいか? [再掲載]

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もし、稚内で映画を撮るとしたら、どんな物語が相応しいか?

稚内までは飛行機で2時間ほど。新幹線で大阪に行くより早い。おまけに現地移動はスタッフの方の車。疲れることはしていないのだが、帰京して疲労困憊。まあ、3年間で2本映画を作り、過労でダウンしていた時だから、体力がないのだろう。

でも、稚内は美味しいものをたくさん食べさせてもらったし、北方領土の見える海、日本最北端の岬、全てが感動的だった。街並みもどこで撮影しても絵になるし、これまでにロケした街とは全く違う世界だ。

もし、この街で映画を撮るとしたらどんな物語が相応しいか? 帰京してからも考えている。北海道というと思い出すのは倉本聰脚本のドラマ「北の国から」「昨日、悲別で」高倉健主演の「駅」「鉄道員(ぽっぽ屋)」吉永小百合の「北の零年」「北の桜守」。どれも北国ならでは美しい映像が魅力的。そして名作が多い。

もし、そんな場所で僕が撮るなら、青春ものか? 家族ものか? タイムスリップはありか? あれこれ考えている。心に残るのは樺太記念館。戦争以前はそこに製紙工場があり、多くの日本人が住んでいた。そして今もその町には日本の建物が残っているという。稚内から40キロほど。橋をかければ車で行ける距離だ。そこに物語を感じる。

とか考えているが、静養を続ける時間はもうあまりない。次は北ではなく南に飛ぶことになる。小さな仕事だが適当にはできない。また、7月に入ると「朝日のあたる家」上映会で講演をせねばならない。滋賀県だ。なので、あと数日はおとなしく静養する。


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毎回、全力投球。手抜きなし。第1線で活躍する俳優ほど努力している? [映画業界物語]

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毎回、全力投球。手抜きなし。第1線で活躍する俳優ほど努力している?

誰もが知るベテラン俳優。数々の名作に出演している。日本の俳優の演技派ナンバー1を争う人だ。年齢は70歳前後。そんな凄い俳優さんが僕の映画に出演してくれた。

あまりにも有名、テレビでは引っ張りダコ。ただ、彼の作品を見ていると、これぞ!という映画では真剣だが、テレビドラマでは少し手を抜いているように思えた。とは言え、水準以上の演技であり、決して下手とか、やる気なしではないのだが、他に比べると、そう思えた。ベテランの方はギャラが高くて、多くの視聴者が見るテレビドラマより、現場が真剣な巨匠との映画に力を入れる人がいると聞く。

だから、その人が出てくれると決まった時。決して手抜きはしないが、僕の映画は低予算だ。それなりの演技で来ると思えた。ま、出てもらえるだけで映画は2ランクアップ。それだけの存在感がある方だ。最初、お会いするとき、こう言われると想像。

「ま、よろしく頼むよ! 楽しくやろう」

僕は間違っていた。最初にお会いした時、彼は超真面目な顔で、こう言った。

「私は演技に命を賭けています。ですから、まずは自由にやらせてください。それでもし監督が違うと思ったらいってください」

僕のような青二才の監督に、そう言った。そして、あれこれ言うなんて、おこがましいほどの素晴らしい演技を見せてくれた。鬼気迫る芝居に文句のつけようがなかった。後で、彼とよく仕事をする先輩から聞いた。

「あの人は毎回、全力投球なんだよ。映画でもドラマでも区別しない。手を抜いているように見えても、それはコミカルだったり、軽めの芝居が相応しいと思ってやっている。絶対に手抜きしない」

その通りだ。大手の作品は真剣に演じるが、低予算ものだと適当に演じる俳優はいる。が、彼は違った。いろんな俳優を見ていて気づいた。俳優を目指す若い人たちにそんなこと伝えたい。

「若手の方が手抜きする。この程度の作品で本気出せない。なんて考える。でも、第1線で活躍するベテランは絶対に手抜きしない。全力投球。だからこそ第1線で活躍するようになったのだ...」



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映画職人たちは素晴らしい!=手抜きしない、毎回全力、お金じゃない。そんな人たちが存在する映画界。 [映画業界物語]

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映画職人たちは素晴らしい!
=手抜きしない、毎回全力、お金じゃない。そんな人たちが存在する映画界。

映画の世界は俳優だけではなく、スタッフでも素晴らしい人達がいる。もちろん全員ではない。クソみたいな奴らもウジャウジャいる。クソ以下の連中もいる。だが、そうではない人達も結構いる。映画撮影でも昼頃にはランチタイム。基本は1時間。ロケ弁が配られ、各自は思い思いの場所で食べる。

が、ほとんどのスタッフは弁当をかきこむように食べてしまう。味わっているとは思えない。10分ほどで立ち上がり、弁当のカラを決められたゴミ箱に入れてロケ現場にもどる。そして機材の調整や午後からの撮影の準備を始める。これサラリーマンで言えばランチを食べて、1時までに会社に戻れるようにコーヒーでも飲むか? タバコ吸いながら同僚とダベろうか?という時間。

それをスタッフは食べている時間が惜しいかのように現場に戻る。撮影部も、照明部も、録音部も、演出部も戻る。制作部は弁当の片付け等があるので、その場に残るが、彼らは弁当を配るので、一番最後に弁当を食べる。そして他のスタッフより先に食べ終えて片付けにかかる。皆、本当に凄い。一部の人だけか?と思ったら、5本の映画。全てのスタッフが同じだった。

本来、ランチの1時間は休憩時間。ハードな撮影なのだから、休むべき時間だ。なのにそれをしない。午後からの撮影準備に時間を使う。よりいい仕事をするため、よりいい作品にするため。そして1時再開なら、1時からすぐ撮影ができるようにする。ある撮影なんて午後1時再開なのに、10分前に全スタッフが揃っていて、準備も終わっていた。誰が指示した訳でもない。

「監督、あと10分ありますけど始めますか?」

と演出部チーフに言われて撮影を再開したことがある。なんとも凄いやる気だ。堅気の友人に話すと驚いていた。

「俺の会社なんて、1時から午後の仕事と決まっていても、10分15分遅れて戻ってくる奴がいる。デスクに着いてもダラダラして、仕事始めない。どうせ月給安いんだから、真剣に働くと損だ!という思いがにじみ出ている。上から言われたことしかしないし、自主的に何かをしようなんて考えない。ダラダラ仕事して、残業に持ち込み、それで残業代を稼ごうとかいうやつも多い。なんで映画人って、そんなに働くの? ボーナスだってないんだろう?」

その通りだ。ボーナスもない。そして不況が始まった頃から映画の製作はどんどん削減。一番下げられたのが人件費だ。特に僕が担当する作品は低予算だ。でも、だからと言って手抜きする者はいない。懸命に仕事をする。それはもう仕事というレベルではない。アーティストとしての作品作りだ。あるカメラマンはいう。

「僕が撮影したものは映画として10年、20年、いや100年先まで残るものです。そんな作品で手抜きしたら、いい加減な撮影をしたら、100年恥ずかしい思いをするでしょう? だから全力でやるんですよ」

本当に凄い。もちろん、ギャラ以上のことは絶対にしない人もいる。撮影より撮影後に飲みに行くのが楽しみなオヤジもいる。だが、それはむしろ少数派で、少なくても太田組にはいない。多くのスタッフは全力で仕事。妥協せず、真剣にいいものを作る。プロの職人なのだ。そんな人たちと仕事をするのは楽しい。こちらもいい加減なことはできない。それが素晴らしい作品作りに繋がる。僕の作品が毎回、高い評価を受けるのは彼らがいてくれるからだ。映画職人に幸あれ!



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俳優業はつらいよ!(下)=精神的に追い詰められ薬に走る俳優? [映画業界物語]

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俳優業はつらいよ!=精神的に追い詰められ薬に走る俳優?(下)

俳優の悩みには、相手役とうまくやれるか?ということもある。ある女優さんに聞くと、撮影前の打ち合わせで会った瞬間に「この人とは合う。うまく行ける!」と思うのだという。同時に「あーこの人は厳しいかも?」とも思うこともある。でも、仕事。合わなくても対応せねばらない。演技というのは団体戦と同じ。1人がうまくてもダメ。全体として調和が取れてなければならない。

それを考えない俳優が1人盛り上がり、力を入れた芝居をしては全てぶち壊しだ。「相手役のトーン、カラー、スタイルが自分のものと合うか?」「どうすればうまく行くか?」を考えるのだが、それを全然考えずに、自分のスタイルを押し通し演じる俳優もいる。その場合はもう1人が考えて、それに合わせなければならない。だが、相手に振り回されるばかりになることもある。テレビドラマの場合。1クールは3ヶ月。その間ずっとイライラしながら仕事することになる。

ベテラン俳優が相手役のときに「私に合わせて演技してよ。あんた本当にやりにくい!」とパワハラとも言える要求をされることもある。名優でも性格の悪い人はいる。逆に「これしかない!」と派手な演技をしたために周りから嫌われて、村八分に遭うことも...。だから精神的に追い詰められる。特に女優の場合はそれで体調を壊したり、精神病になることも少なくない。

精神科医に依存したり、宗教に入るのも。ドラッグや覚せい剤に手を出すのもそんな背景がある。だから、監督業は俳優たちが演技しやすい環境作りをすることが責務。演技指導とかではない。その人が組みやすい相手役。演じる上でプラスになるヒント。情報を準備する。余計なことを気遣わずに芝居をさせる。俳優の1番の理解者であり、応援者が監督であるべきなのだ。


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俳優業はつらいよ!(上)=監督が「困ったちゃん」だと一番苦労する? [映画業界物語]

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俳優業はつらいよ!=監督が「困ったちゃん」だと一番苦労する?

俳優の仕事。というとシナリオを読み、セリフを覚えて、カメラの前で演じることと思いがちだが、それだけではない。あれこれ考えて、精神的に極限まで追い詰められることもある。そんな話をしよう。

まずは監督との対応。俳優は仕事をするときにまず、監督が何を求めているのか?を考える。その方向で自分はどういう演技をするか?を決めて行く。その作品で何を描こうとしているのか?を考える。単に役の上でのリアリティを追求するだけが演技ではない。

なので、俳優たちは監督の言葉に耳を傾ける。が、初めての監督との仕事は試行錯誤が伴う。「この監督は言ってることと求めていることが違うなあ」とか「監督が言っていることだけやっていてはいけないんだ」とか気づく。「監督の求めるものが何なのか分からない。どういう演技を求めているんだろう?」と困惑することもある。おしゃべりな監督から無口な人までいろんなタイプがいる上に、監督には変人が多いからだ(僕も含めて)。

要求されることを全てこなすことが大事か? 全部はしなくていいのか? 言われないこともやらねばならないのか? そもそも、求めていることは何のか? 俳優はいろんな角度から監督の要望を叶えようと考え努力する。それでも「よく分からないだよ。あの監督は...」ということもあ流。助監督さんに相談すると「僕らも分からないんだよね〜」と言われて困り果てる。

もう一度、監督に質問するが、やはり要領の得ない答えしか返ってこない。「どうすりゃいいの!」ということになり、とりあえず思ったようにやってみる。俳優にとってはとても辛い現場となる。監督が厳しくて怒鳴る!怒るという現場の大変さは一般の人でも想像するが、それだけではない精神的なものを俳優たちは抱えなければならない。

だから、監督業は演技指導というより、俳優が演じる上でどんな風にどんな方向へ、どんなスタイルで進めばいいか?を明確に伝えること。大事なのだ。俳優の1番の理解者であり、応援者が監督であるべきなのだ。


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