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「ロケットマン」を見て=ミュージシャンも監督業も、俳優業も孤独を覚悟する仕事。 [映画業界物語]

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「ロケットマン」を見て=ミュージシャンも監督業も、俳優業も孤独を覚悟する仕事。

「ロケットマン」エルトン・ジョンの人生を描いた映画はとても感じるものがあった。ただ、映画監督の人生を描いた作品はあまりなく、ヒッチコックが「サイコ」を撮った時を物語にした何とかいうのがあったが、少ない。でも、映画作りも、音楽作りも共通点が多く、「ロケットマン」は見てから、あれこれ考えている。

デビッド・ボウイも、プリンスも、ミック・ジャガーも、どこへ行っても人だかりになる。だから、プライベートを明かさない。ボウイは京都に家を持っていた。ネットで阪急電車に乗っている写真を見つけた。イギリスやアメリカにいるより、京都の方が安心できるのだろうか? パパラッチに狙われ、マスコミに追いかけられる。歌手や俳優を目指す若い人はそんな生活に憧れるが、楽しいのは最初だけ、次第に疑心暗鬼になり、うんざりもして、「もう、放っておいてくれ」と思う。

芸能界のある分野で大成功した人がいる。今までバカにしていた人、無視していた人たちが手の平返しで寄って来て賞賛した。最初は嬉しかったが、次第に自分を利用したくて近づいて来る人が、ほとんどだと気づく。恋心がある振りをして近づいて来る女性もいた(「ロケットマン」のあの男を思い出す)逆に有名というだけで批判、否定、中傷する人たちもいた。嫉妬に駆られてありもしない噂を流す。金を借りに来る。断ると激怒。「金あるくせに!」と罵倒された。

誰も信じられなくなったという。ノイローゼ気味になった。昔からの友達まで距離を置き始めた。アメリカやイギリスのスターでなくても日本でも似たようなことになる。全然レベルが違うが、僕程度の映画監督でも同じ。女優の卵が近づいて来る。恋ではない。取り入って映画に出るため。利用するため。映画業界では数年で1本の映画を撮るだけでも大変なこと。前作は10年前という人もたくさんいる。新作を撮るだけで嫌われる。嫉妬し「あいつは才能ない」触れ回る。

プロデュサーが近づいて来る「監督の熱さに感動しました。応援します」製作費が目当て。必要以上の金を抜く。現場費が足りなくなる。赤字が出たからと監督料をゼロにされる。後になって数百万の経費を払わない。ロケ地では感謝されることが多いが、必ず一部には嫌われる。ロケ撮影の候補になりながら撮れなかった店は宣伝にならず、恨みを買う。「撮影後、1ヶ月経ってお礼に来ない!」と激怒した社長もいた。その時期は編集の真っ最中。でも、彼の業界では1ヶ月後に礼をいうのがしきたり。その価値観を押し付けて「あいつは応援したのに裏切られた!」と触れ回る。

もちろん、街のアピールができて喜んでくれる人の方が多い。だが、「懐中電灯を貸したのに監督は挨拶に来なかった」と怒る人もいる。が、それは製作担当の仕事。1000人近い方に応援頂いている。監督の仕事は1人1人に挨拶することではなく、「応援してよかった」と思う作品に仕上げることだ。そして1人にお礼をいうと「なぜ、うちには来ない」「***さんだけお礼するのはおかしい」と言われる。まあ、毎回、そんな繰り返し、多くの感謝と一部からの批判と中傷。

近年は俳優とは仕事以外では飲みに行かない。スタッフとも頻繁には会わない。Facebookで交流しないのも、その一つ。「会ってほしい」「シナリオを読んでほしい」「質問に答えてほしい」という連絡がよく来るが、そこからトラブルになる。以前もGoogleで調べられることを訊いて来る人がいた。流石に頭に来て「自分で調べろ」と返事すると、「優しい人だと思ったのに!」とあちこちデマを書かれた。

大した知名度のない映画監督でさえ、そうなので、ロックスターは想像を絶するはずだ。「ロケットマン」のエルトンほど、僕は孤独ではないが、この仕事を続けるというのは、そんなことと向き合わなければならないということ。改めて感じる。


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エルトン・ジョンと尾崎豊。アーティストの宿命。悲しみを埋めるための作品。 [映画業界物語]

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エルトン・ジョンと尾崎豊。アーティストの宿命。悲しみを埋めるための作品。

昨日、見た「ロケットマン」エルトン・ジョンの人生を描いた映画。少し前にはフレディ・マーキュリーの生涯を描いた映画「ボヘミア・ラプソディ」があった。あちらはクイーンに詳しい人からすると、あれこれ違うところが多いと批判もあった。

こちらはエグゼキュティブ・プロデュサー、つまり製作総指揮がエルトン本人なので、間違いは少ないかもと思う。が、本人だからこそ、あまりに情けない話を隠そうとするかも?とも考えたが、十分に恥ずかしい話の連続であり、この映画は懺悔であり、告白なのかもしれない。

アル中、ヤク中、自己中心、癇癪持ち、浪費癖と、本人が告白する場面があるが、人生の落伍者のようなものばかり。しかし、彼は心に染みる素晴らしい歌を書き続けてきた。以前、記事にしたことがあるが、アーティストというのは「才能ある素晴らしい人」ではなく「悲しみを埋めるために作品を作らずにはいられない人」なのだと思える。人より多感で、小さなことでも耐えられない悲しみとして捉えてしまう。

だから生きずらい。映画でも親から愛を受けなかったことが大きな心の傷となり、それが埋められない。大人になっても荒れ続けるシーンがあるが、まさにその通りだ。感受性がさほど鋭くない人なら、多少の傷になっても、彼女が出来て、結婚すれば、その痛みを忘れるもの。それが理解ある女性と出会っても埋まらない。だが、エルトンを理解する作詞家バーニー・ハミルトンがいる。

あの素晴らしい歌のほとんどを彼が書いている。日本でいうと松本隆のような人だ。だが、そのハミルトンの友情も疑い、信じられなくなり、もっともっと愛してくれと、仲違いする。まるで子供。でも、だからこそあんなピュアな歌が作れた。尾崎豊もそんな印象だ。傷つきやすい不良少年。だからこそ書けた「17歳の地図」「卒業」「15の夜」彼もまた荒れた私生活を続ける。ドラッグに走り逮捕され、そのドラッグで命を落とすことになる。

表面だけを見たとき、エルトンも尾崎も大成功した芸能人は馬鹿騒ぎをし、ドラッグをやり、身を持ちくずすダメ人間のように映る。が、そんなことで「心の傷」を癒そうとしていることは見えない。もちろん、それは褒められたことではないが、子供のような彼らには自分を止められない。

また、一般の常識で彼らを測れないからこそ、あんな素敵な歌を作れるのだ。LA時代に出会った日本人で、尾崎と親しいという若い女の子がいた。尾崎ってどんな人?って聴くとこう答えた。

「悲しみを背負う人とすれ違うだけで、その人の悲しみを抱えてしまうようなタイプ」

なるほど。だから、あんな歌が書ける。でも、だから苦しい。でも、それがアーティスト。僕は山本太郎という人もそれに近いところがあると思える。人の悲しみを自分のこととして抱えてしまう。だから、原発事故で子供達のことを心配し、俳優業まで辞めて走り回った。それは今も続いている。

今朝もエルトン・ジョンの歌を聴きながら、あれこれ考えている。僕も映画を作る仕事をしているが、どうなのだろう? そう思って窓外を見ると、晴れてはいるが、強い日差しはもうない。夏が終わろうとしていることを感じる。

「ロケットマン」感想=>https://okinawa2017.blog.so-net.ne.jp/2019-08-26


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