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明日にかける橋ー6月15日 北海道の映画祭で上映! 太田監督と俳優・栩野 幸知さんによるトークショーあり。 [2019]

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明日にかける橋ー6月15日 北海道の映画祭で上映!

太田監督と俳優・栩野 幸知さんによるトークショーあり。

「向日葵の丘」(写真)「明日にかける橋」と2本続けてご一緒したトッチーさんとのトーク。

彼は黒澤明監督、大林宣彦監督、岡本喜八監督の作品にも出演するベテラン。

トークも盛り上がること間違いない!

お楽しみに!

第7回白夜映画祭2019 in 稚内にて招待上映!

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太田組作品の俳優。いろんなカテゴリーから出演している。 [映画業界物語]

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太田組作品の俳優。いろんなカテゴリーから出演している。

僕の映画。毎回、素晴らしい俳優さんが出演してくれること。本当にありがたい。テレビ局が製作する超大作でもないのに、第1線で活躍する俳優さんから、大御所のベテランまで。毎回、ありえないキャスティングとなり話題になる。その辺の話をしよう。

基本、有名だから出てほしい!というのはない。また、僕がファンだからという理由で選ぶこともない。まずは、役に合うかどうか? そして、思いがあるかどうか? 個性、経験、といろんな方向で考える。そんな俳優陣をカテゴリー分けすると、いろんなことが見えてくる。

(映画、テレビで活躍しているグループ)常盤貴子さん、田中美里さん、藤田朋子さん、板尾創路さん、並樹史朗さんらが代表格。皆、主役を演じられる。任せて安心という皆さん。

(大御所グループ)長門裕之さん、松坂慶子さん、津川雅彦さん、宝田明さんと、日本映画黄金時代から活躍する超ベテランの方々。画面に登場するだけで作品が2ランク上がる力をお持ち。

(舞台系俳優グループ)僕は舞台が好きで、よく見に行く。特に唐組は好きで一時は10年間無欠席で公演を見たりした。そんな唐組(以前は状況劇場)から奈佐健臣さん、吉澤健さん、そして塩見三省さん(つか劇団)、亜子さん(天井桟敷)ら、映像系とは違う演技を見せてくれるのでホント嬉しい。鈴木杏ちゃんは本来、先のテレビグループに入るが、最近は舞台が多く、こちらのグループだと思える。

(新人実力派女優グループ)こちらは若手で可愛いだけでなく、演技力抜群という方々。谷村美月、佐津川愛美、芳賀優里亜、草刈麻有、芳根京子と、出演後、皆、大ブレイク! テレビに映画、CMに大活躍している。

太田組作品というと、初期は「若い可愛い女の子が出ている」という印象が強いと言われたが、実はいろんなタイプの俳優さんが出演していて世界観を構築している。上記で紹介したのは一部だけ。多くの俳優の力を借りて毎回、作品を作っている。俳優の力は本当に大きい。


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質問にハキハキ答えられる若手俳優はダメ!=監督はオーディションで何を見ているのか? [映画業界物語]

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質問にハキハキ答えられる若手俳優はダメ!
=監督はオーディションで何を見ているのか?

俳優になれる人。なれない人という話をオーディションのことを書いた。すると「太田監督は5分で俳優を見抜く!」というコメントを頂いた。いやいや、それは極端。5分で判断せねばならないこともあるが、10分15分のこともある。

「行けるかも?」

と思った俳優は二次オーディションに呼ぶ。そこでさらに審査だ。5分で出演者を決める訳ではない。ただ、「やる気」とか「素質」なんかは5分で分かることが多い。

「米倉涼子さんのような俳優になりたいです」

そんな子はその段階でアウト。聞けば「ドクターX」しか見ていないということが多い。それは目標ではなく憧れだ。

「大竹しのぶさんのような俳優になりたいです」

それをサラリと言えばまだまだ。もし、見る目があり、自分の実力を把握していれば、口に出すのも憚れる思いを持つはず。努力だけでは近づけない女優さんだ。それを理解していないからサラリと言える。それは演劇経験が非常に少ないということだ。プロ野球でもファンなら

「イチロー、やっぱダメだよなあ」

と酷いことをサラリと言える。が、選手なら

「あの歳まで現役を続けただけでも凄いこと。とても真似はできない.....」

と感じる。経験があり、努力している人でないと、本当に凄い人たちの力が理解できない。その意味で今、人気の俳優。皆が憧れる可愛い、カッコいい俳優の名前を上げる人の多くは、憧れているだけであり、実力派の名前をサラリと上げる人は、大した実力はまだない。Q&Aで「うーん」と思える若手で、本読み(台詞を読むテスト)で「おー」ということはまずない。

ただ、質問しても要領を得ない。しっかり答えられないという人の中にも、本読みをすると凄い子がいる。日常はシャイで不器用なのに、演じると豹変するタイプ。逆に質問にはハキハキ答えて、そつなく、礼儀正しい、志も高い人は、企業の面接なら100点かもしれないが、俳優としての力が大してないことが多い。

というのは、普通に日常生活を送れる人は俳優になる必要はない。「楽しそうだな。モテるかもな」ということが動機であることが多い。でも、そんな人たちは普通に就職して生活して行ける。それができない。日常生活がうまくできない。世渡りも下手。でも、演じることで生きる意味を見つける。そんな人が俳優に向いている。


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「刑事ドラマ」文法とその進化?=「踊る!大捜査線」を振り返る [映画業界物語]

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「刑事ドラマ」文法とその進化?=「踊る!大捜査線」を振り返る

事件が起きる。警察に通報。刑事が捜査する。犯人を追う。逮捕。それが刑事ドラマの基本。ほとんどがその文法で作られている。が、その中でも進化がある。日本のドラマでいうと「七人の刑事」という名作シリーズがあったが、黄金パターンを作り上げたのはやはり「太陽にほえろ」だろう。

ボス。ベテランから新人までの刑事。それが上気のドラマ文法に従い事件を追う。そのパターンは「大都会」「西部警察」「新宿警察」「俺たちの勲章」「二人の事件簿」「夜明けの刑事」「警視庁殺人課」そして「あぶない刑事」まで70ー80年代に人気の刑事ドラマはほぼ同じパターンだ。それを打ち破ったのが90年代に入って登場した「踊る大走査線」だ。

脚本家の君塚良一は事前に「太陽にほえろ」を研究。要素が3つであることを把握する。

1、刑事をニックネームで呼ぶ
(Gパン、マカロニ、テキサス等。石塚刑事!とはあまり呼ばない。殿下は年下からは名前で呼ばれるが基本、殿下)

2、テーマミュージックに合わせて聞き込み捜査をする。

3、刑事が殉職する。(それでドラマを盛り上げる)

それが「太陽にほえろ」の特徴的スタイルであり、それが刑事ドラマの王道となった。確かに、その後の作品は踏襲している。それを君塚良一は封印。新しいものを作るには過去にやっていたことをやらないことが大切という。

だから、織田裕二の刑事は「青島君」と呼ばれ、深津絵里は「すみれさん」と呼ばれ、いかりや長介でさえ「チョウさん」でも「ゴリさん」でもなく「和久さん」と呼ばれる。テーマソングで聞き込みはしない。誰も殉職しない。(ユースケサンタマリアは殉職か?と思わせて死んでいない)

そうしながら新しいスタイルを持ち込む。それは刑事VS犯人(あるいは暴力団)という基本パターンは残しながらも、「踊る」の本当のドラマは現場刑事VS上層部にしたことだ。現場刑事の奮闘。それを理解せず、杓子定規の指示をする警察上層部。その間にいる所長等のおとぼけ三銃士は責任回避をするばかりで役に立たない。

そんなスタイルの刑事ものはかつてなく、それが「踊る」の爆発的ヒットに繋がる。つまり「刑事ドラマ」ファンだけでない層の支持も得たのである。90年代。日本社会は確立し、バブルで天井打ちして、先の見えない時代に突入した。にも関わらず会社でも、学校でも、古いルールをかざす上の人たちがいて、現場は振り回される。そんな憤りをを感じる視聴者が「踊る」に共感したのだろう。

その新しい構図を引き継いで、さらに進化させ、大ヒットしたのが、あの刑事ドラマである!(つづく)


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プロにお任せあれ、なんだかんだ言ってもプロの力は大きい=あれこれ誰かが口を出すからトラブルになる? [映画業界物語]

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プロにお任せあれ、なんだかんだ言ってもプロの力は大きい
=あれこれ誰かが口を出すからトラブルになる?

「映画を(わが町で)撮ってくれてありがとう。撮らせてくれてありがとう」

地方で映画を撮るときは、地元も制作スタッフもそんな気持ちが大事だ。そして地元の方々の多くは

「決して高額ではない制作費で故郷の映画を撮ってくれること感謝せねば」

と思ってくれるし、スタッフも頼まれたからというだけでない責任感、職人魂があるので

「こんなに応援してくれるなら、より良いものを作られねば!」

とギャラ以上の仕事をする。そこに雇った側と雇われた側ではない、一緒に頑張る!という関係性が生まれ、映画は素晴らしいものになる。が、時には地元側で

「金をもらってんだから、良いものを作るのは当たり前だろ!」

という人もいる。もし、十分な費用を出しているのならまだ分かるが、通常の半分以下の額なのに大金を出したつもりになり上から目線。

「あの公園も撮影に使うように、マストですから」

「それから街の特産物必ず映画に出してや」

なんて指示を始める。映画というのは旅行ツアーではない。金を出したからと、映画スタッフは何でもしてくれるわけではない。例えばシェフに対して

「私はソースが好きだから、和食でもソース味にしてほしい」

なんて非常識な要望をしても受け入れられない。

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「この魚はこう言う切り方をしてほしい」

と言っても、その魚をそんな切り方したら身が壊れてしまうと言うこともある。1人が食べるだけなら良いが、それを多くの人が食べるなら心あるシェフは従わない。オーケストラの指揮者を呼び

「この楽章はこんな風に演奏してほしい」

「ベートーベンの第9は合唱なしでお願いします」

なんてことを素人が指示するのと同じ。それは指揮者に任すべきことであり、いくら金を出して楽団を呼んだからと、何を命令しても良いと言うことではない。映画も同じだ。

「餅は餅屋」と言う通り、プロは観客が喜んでくれる方法論や表現を熟知している。それを素人が上から目線で口を出しても、よくはならない。だから、そんな人がいても、僕が映画を作る時は絶対に受け入れない。すると、

「結局、監督は自分が撮りたい映画を撮るために、俺たちを利用しているんだ.....」

なんて言い触れ回ることがある。が、その人に従えば結果、映画が壊れ、良いものはできない。全国上映もできなくなり、悲しむのは街の人たちだ。例え僕が嫌われても、当て外れの批判を受けても、最後に多くの人が

「良い映画ができてよかった!」

と思ってもらうことが大事。そんな訳で素敵な作品ができても、必ず嫌われ、あとあとまで批判される。でも、それも監督業の宿命だと思える。大事なことは一部の勘違いオジさんのために作品を曲げてはいけない。その意味で「明日にかける橋」も関係者が皆、勉強家であり、そんな口出しする人は皆無、いつも以上に素敵な作品が出来た。皆が喜ぶ作品を作ること。何よりも大切なのだ。



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歳を取っていいこと。意外にある⑤ =子供達が正しい!大人の意見を押し付けてはいけない? [my opinion]

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歳を取っていいこと。意外にある⑤
=子供達が正しい!大人の意見を押し付けてはいけない?

子供の頃はあれこれ親や大人から言われて、説教されて、意見されて、

「本当にそれが正しいんだろうか?」

と思えたが、反論するだけの知識も経験もない。大人たちは長い人生を生きており、いろんな経験があるので、きっと現実に即したことを言っているに違いない。と考えた。

それでも納得できない。理解できない。きっと違う。大人たちこそが間違っている。と思えることが多かった。60年近く生きて来て分かったこと。やはり大人たちは間違っていたと言うこと。知りもしないことを偉そうに言っている。世間で言われていることを代弁していることがほとんどだった。

自分の体験談ではない。自分が考え抜いた答えでもない。よく言われること。古い常識。古い価値観を振り回しているだけだったことが、大人になり、年をとることで確証を持てた。

当時、説教したおじさんを、よくよく考えてみると、普通に大学を出て、小さな会社に就職し、見合いで結婚し、子供ができて、家のローンに追われて、生活しているだけの中年男だった。海外に行ったこともない。夢を追いかけたこともない。会社で与えられた仕事をするだけ。

自分から何かを始めたこともない。起業したこともない。趣味に夢中になったこともない。ヒッチハイクの旅をしたわけでもない。大恋愛して駆け落ちしたこともない。本当に何もドラマティックのない人生を40年ほど送って来ただけ。

それがいけないのではない。安定した人生だ。ある意味で幸せ。そんなオジさんに言われた。

「世の中甘くないんだ! 夢なんて所詮、夢なんだよ。現実を見ろ」

でも、大人になって考えた。「夢は所詮、夢」と言いながら、それを実現するための戦いをしたことがあるのか? それで敗れたのなら経験談として分かる。

「世の中が甘くない」と言うが、実は「世の中」が問題ではなく、その人の「努力」が足りなかったのではないか?とも考えられる。それを世の中のせいにしているだけではないか? だとしたら責任転嫁するような大人に若者を説教する資格はない。

当時、似たようなことを言っていた大人のほとんどは、世の中と戦ったことがないのに、現実は厳しいといい、自分の努力は棚に上げて若者を説教していただけなのだ。彼らは今の僕から見れば若者の延長のような年齢。そんな大人たちの無責任な言葉に、若かった僕らは振り回され、

「俺はやっぱり甘いのか?」

「世間の厳しさを知らないから、映画監督になりたいなんて言っているのか?」

と自問自答していた。同世代の多くは大人たちの言葉に従い、夢を諦め、好きでもない仕事に耐えて、生きることが現実と思い、就職した。大人たちの罪は重い。何ら自分の利益にもなる訳でもない無責任な意見を、子供たちに強要していただけだ。

この歳になると、そんな愚かな人に振り回されることはもうない。何を言われても、借り物の意見だと分かれば聞く必要はない。悩んだりすることもない。これも歳をとって良かったことの一つだ。愚かな人を見抜く力が育った。

でも、逆にこんな時代になっているのに、今も受験勉強を強いる親たち。子供たちは僕らより哀れだ。もう、大学に行ったからと安泰な時代ではない。10年間の年月を無駄に過ごすだけだ。それより、もっと大切なこと。生きるための何か?をその時間に学ぶべきなのだが、大人たちは愛する我が子の首を絞めるようなことを今も教え続けている。

若い人たちに伝えたい。大人の言葉を聞いてはいけない。君たちが感じていることの方が正しい。言葉にできなくても、若い人の方が正しい。



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40年ほど探し続けた写真集をゲット! [2019]

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40年ほど探し続けた写真集をゲット!

「あ、この本読みたい!」と思ったら昔から徹底的に探す。新刊なら本屋で注文すればいいが、古いものは在庫がない。神保町の古本屋街で探す。が、拾いものは都心から離れた街の小さな古本屋で見つかることが多い。蒲田、大口、幡ヶ谷、大森、映画を見に行った時に街をうろついて古本屋を見つけるとチェック。

でも、最近はその手の店がほとんどなくなり、ブックオフばかり。あのチェーンは新しい本を安く売るのが狙い。古い、希少価値がある本はほとんどない。そんなこんなで40年ほど探し続けた本がある。「矢沢永吉写真集」1979年の発売。僕が矢沢のコンサートに最初行ったのは1982年の武道館。演奏が始まると会場が揺れた。アンコールではバスタオルが舞う。

そんなアーティストの横顔を知りたくなった。彼は広島の高校を卒業後、上京するつもりが横浜で降りてしまい、ロック歌手を目指してバンドを始める。やがてキャロルとしてデビュー。そしてソロ活動。その後はアメリカを目指してLAに住んでレコードデビューを目指す。それが1983年頃。

感じるものがあった。僕も高校卒業後に横浜に住み。学生映画を始めプロの映画監督を目指した。デビューはできてなかったが、このままではダメとLA留学を考えていた。同じような経路を歩んでいるアーティストがいることを知り、共感した。彼の発言、行動に励まされた。そんな彼の横顔を見てみたいと思った。

彼は当時からテレビには出ない。人気番組「ザ・ベストテン」でランクインしても出演しない。ニューアルバムが出ると雑誌でインタビューは受けるが、テレビには出ない。CMだけだ。一度出たのが、NHKの「若い広場」。大反響で3回再放送された。僕もそれで興味を持った。その矢沢の写真集があると知り、見てみたくなった。が、発売は3年前。手に入らなかった。

熱狂的なファンが多く、買った人は手放さないのか? どこを探しても売ってない。20年ほど前に一度だけ、新宿西口の献血コーナー前のスペースで古本市があった時。ある店に並んでいた。が、値段が8000円くらい。当時、僕はアルバイトで生活しながら、シナリオを書いていた頃。1日1000円で暮らしていた。8千円は8日分の生活費。とても買えない。

それから20年。8千円でも買えるようにはなったが、全く見ない。あるとき閃いた。amazonならあるかも?で調べると、あった! 5万円とかのプレミアが付いてた。が、面白いことに、他のネットショップで復興版も出ていた。定価通り。三千円代。ということで、本日、それが届いた。40年の時の流れを超えてページをめくる。

少し前には映画「MISHIMA」のメイキング本を古本屋で見つけ、その時も高くて買えなかったのを15年くらいかけて手に入れたこともある。ま、昨年なのだけど。日米スタッフが制作した三島由紀夫の生涯を描いた映画。その撮影日記なのでどうしても読みたかった。夢を追うのと同じ。諦めなければいつが手に入る。何事も同じだ。

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歳を取っていいこと。意外にあるので面白い④=若くしてデビューすることに憧れてはいけない? [映画業界物語]

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歳を取っていいこと。意外にあるので面白い④
=若くしてデビューすることに憧れてはいけない?

1970年代後半。アメリカではスピルバーグやルーカスが30歳前後で監督デビュー。大活躍した。その影響を受けて日本でも20代の監督が続々と登場。そもそも、日本の映画界では伝統的に大学を出て、映画会社に就職。助監督を10年勤めてからチャンスをもらい監督デビュー。早くても30代なのだ。それが助監督経験もなく、学生映画をやっていた人たちが、20代でデビュー。大森一樹、石井聰亙、長崎俊一、黒沢清、と多くの若手が活躍。

あとに続けと多くの学生たちが8ミリカメラを手にして、映画作りに励む。僕もそんな1人だった。さらに第2世代は僕と同世代の若者たち。だが、彼らの撮った8ミリ映画を見ると凄かった。学生レベルではない。膨大な制作費をかけた企業映画にはない魅力があった。そんな彼らも20代で次々にデビュー。遅れをとった僕らは羨望の目で見つめた。

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「あんな奴ら大したことない。俺が1億円あれば、凄い映画を作ってやるのに!」

と負け惜しみいう奴もいた。皆、20代でデビューということに憧れた。それは「俺は才能あるんだ!」という証にもなり、大人たちの注目を集めることになる。雑誌やテレビにも出る。映画監督というより、ミュージシャンやアイドルのような華やかな側面もあった。当時「ぴあ」という情報誌があり、そこが毎年フィルムフェスティバルを行なった。入賞するのがプロへの登竜門と言われ、みんな8ミリ映画作りに励んだ。

僕も3本の学生映画を作った。長編なので1本撮るのに1年かかる。最初は皆と同じように、20代のデビューに憧れたが、あるときに気づいた。

「もし、このまま監督デビューできたとして、運よく毎年1年に1本撮れたとして、80歳まで生きたら、あと60本近い映画を撮ることになる...」

と身の程知らずな、傲慢な想像をした。が、もし、それが現実になると、とんでもないことにも気づいていた。

「20歳までに3本の映画を作った。全て自分で書いたオリジナル脚本。今後もそうしたい。自分の脚本を監督したい。でも、3本でかなり厳しい。それらの作品は高校時代の経験をベースに書いた。それが5年でネタが尽きた。似たようものは書ける。でも、魅力的なネタは皆、使ってしまった」

そう、シナリオを書くのは経験が大事。漫画家の本宮ひろ志さんも言っていた。

「まず自分の経験をベースに描く。次に調べて描く。そうすると、それを超えたものが次第に描けるようになる」

彼の経験を書いたのが「男一匹ガキ大将」だ。その後、「男樹」「俺の空」「俺の空 刑事編」とヒットを飛ばし、今日も新作の連載を続けている人だ。その指摘に従えば、僕の経験は3年の高校生活しかない。次の5年は学生映画。それをネタにしても「映画を撮る映画」にしかならない。そのカードが使えるのは1回だけ。トリフォーが「アメリカ夜」を作る。元ホテルマンの森村誠一がホテルを舞台にしたミステリーを書くようなもの。何度も使えるネタではない。

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つまり、20歳の僕はもう人生のカードを使い果たしたことになる。超幸運で80歳まで映画が撮れても、シナリオを書き続けることはできないだろう。ただ、誰かの書いたシナリオや原作ものという手はある。それは嫌だった。オリジナル・シナリオで行きたい。そのためには映画界以外の経験をいかにするかだ。

しかし、映画界から離れると監督になるチャンスが掴めない。いろんな経験をしても、監督になれないと意味はない。厳しい選択だったが、経験を取った。そしてアメリカ留学を決めた。6年後に帰国した時は、こう言われた。

「あのまま学生映画を続けていれば、お前もVシネマくらいは監督できたかもしれないのになあ」

留学したからと監督になれる訳ではなく、アルバイトを続けながら脚本を書き続けた。結局、監督デビューするのは7年後。映画監督になれるのは、さらに8年後だ。物凄い遠回りをした。でも、それは無駄ではなかった。

あれからの映画界。20代で監督デビューした人たち。多くが1〜2本で消えて行った。最初は若さとみずみずしい感性で評価されたが、すぐに飽きられた。ヒットを撮ることもできなかった。

そして年月と共に、若手も30代、40代、50代になって行く。もう若さも瑞々しい感性もない。普通のおじさんだ。それも映画の世界しか知らない。何人かは今も頑張っているが、もうセンスでは勝負できない。


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別格の人もいるが、数人。結局、「一発屋」だった。お笑いでいうと、80年代に最初にブレイクした漫才師B&B。早口の漫才で大人気。でも、洋七さんはいう。

「大阪で修行して10年間かけて作ったネタ。東京に進出して1年で使い果たした」

舞台袖から見ていた島田紳助さんはこういう。

「洋七兄さん。もう、しゃべることが何もあらへん。せやから、いろんな言葉をいっぱい発しているだけ。意味がない。哀れや」

その話が僕には留学を決めた一つのきっかけにもなった。そして、帰国した時、羨んだ20代デビュー組はほとんどいなくなっていた。映画ファンにも

「デビュー作はよかったんだけどなあ」

と言われる。これも本宮ひろ志さんが言ってたことだが、

「最近の若手漫画家は漫画ばかり読んでて、自分の経験なしにデビューする。自分の好きな漫画の焼き直しを描く。感性はあるが、それだから長続きしない。デビュー作はヒットしても、後が続かない」

同じだ。当時は「若き才能」ともてはやされ、賞賛されたが、それはひと時のこと。過ぎてしまうと、それは美しい思い出にしかならない。でも、若い時代はそれが永遠に続くと思い込み、憧れる。僕もそんな1人だった。たまたま、80歳までやれるか?という傲慢な想像をしたことで、遠回りはしただけ。

ただ、言えるのは近作の「向日葵の丘」も「明日にかける橋」もいろんな経験があったからこそ作れた作品。とりあえず映画監督業は14年目であり、6本の映画を監督した。あの頃、もし20代でデビューしていたら、もう終わっていたかもしれない。

あと何本、オリジナル脚本で行けるか?と言われると、3−4本というところだ。ただ、経験だけでなく、取材して描くこともあるので何とかやれそうだが、別の理由で映画を撮り続けるのは難しい。不況でどの企業も金を出さないからだ。

それはさて置き、結論をいうと、今も若い人たちは20歳前後でのデビューを夢見る人は多いだろう。監督業でなくても、作家でも、音楽家でも、でも、焦る必要はない。クリエーターは遠回りした方がいい。これも長い年月を生きたから分かることの一つだ。


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僕の監督作「朝日のあたる家」監督日記のヘッダーもリニューアル。 [2019]

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僕の監督作「朝日のあたる家」監督日記のヘッダーもリニューアル。

写真多めにして、カラフルにしてみた。かなり前から変えたかったのだが、疲労困憊と時間がなくできなかった。

このブログ。2013年からもう7年も連載しているが、今もSo-netブログ映画の部で第6位の人気。映画の撮影日記のみならず、原発問題、社会問題、政治危機、精神病、森友事件、トランプ問題まで幅広く記事にしている。興味ある方はぜひご覧ください。

「朝日」のイベント上映(7月に滋賀県で)の告知あり。

こちら=>https://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp


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歳を取っていいこと。意外にあるので面白い③=才能は存在しないが、資質はある?それは大事? [映画業界物語]

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歳を取っていいこと。意外にあるので面白い③
=才能は存在しないが、資質はある?それは大事?

若い頃に一番、考えたのは「俺には才能があるだろうか?」と言うこと。高校時代に映画監督になりたい!とい言うと「お前、才能あるのか?」とよく言われた。才能があるか?ないか?なんて自分で言えるものではない。黙っていると「お前に才能がある訳ないだろ?」と言われる。

だが、一般の、特に若い奴らが言う「才能がない」とは見た目だけのこと。自分と同じように制服を着て、短い髪をした10代に「才能ある訳がない」と思い込んでいるだけ。「才能あるよ!」と言っても「だったら証明してみろ」と言われてしまう。証明のためには巨額の制作費を使い映画を撮るしかない。そんなことはできない。

留学から帰国後、業界の人にシナリオを見てもらう。あれこれ批判される。反論すると、相手が答えに詰まり「あなた才能ないんじゃないですか?」と言われることがあった。業界の人にそう指摘されるとショックで

「やっぱり俺なんかダメか?」

とも考えたが、そんなことが続いた。ある種の人は新人に対して反論できないと、その言葉を投げかけて押さえ込もうとするところがある気がした。

ベテランの人に聞くと、当たり。

「彼らは反論されるのに慣れていない。アーティストの多くは論理的に自分の作品を語れない。だから反論しない。なのに反論され、おまけに言い返せない。業界人は「俺はできる」と思っていてプライドが高い。だから、反論できない否定をしてくるのさ」


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なるほど、だった。高校時代の同級生とあまり変わらないのだ。

「俺には才能があると信じたい」

そう言う友達がいた話は以前にも書いた。才能があれば特別な経験をしなくても、アイディアが湧き上がって来て、いろんな物語が作れる。映画を撮れば観客を魅了する作品になる。それが「才能」だと友人たちは信じていた。

が、才能なんてものは存在しない。本当は自分が経験したことをベースに、様々な技法を学び、応用し、表現していくこと。それが物語作りなのだ。脚本家、小説家、漫画、作詞家も同じ。何もしなくても「才能があれば」感動的な物語が作れるなんてことはないこと。今はよく分かる。

ただ、「資質」はある。「資質」は「才能」ではない。「センス」とか「向き不向き」のこと。例えれば運動神経が悪い人はスポーツ選手にはなれない。努力である程度はできても、人並み以上にはならない。それが資質だ。

絵画の美しさを感じるのはセンス。「それがいかに美しいか?」を論理的に説明することはできるが、それを感じ取るのはセンス。それは努力では得られない。先の運動神経と同じで、努力すれば多少はよくなるが、それでは人一倍にはならない。スポーツの運動神経と同じで芸術関係も同じ。ただ、センスがあるだけではダメ。それを磨くことが大事。

その意味でも「才能」=「センス」ではない。センスはあくまでも感じる力であり、表現はまた別の問題。その感じる力を磨く、いろんないいものを見て鍛えた上に、表現力や技法を学び、応用して、初めて作品作りができる。センス以外にも「資質」は向き不向きと言う部分がある。多くの人と共同するのが苦手な人がいる。もちろん、努力である程度は改善できるが、もともと人付き合いが好きと言う人には叶わない。

映画監督業は多くの人を率いる仕事。1人で机に向かう仕事が好きなタイプだと資質が違う。ただ、人を引っ張るタイプでも、物語作りが苦手な人もいる。監督にはなれないのか? いや、大丈夫。脚本家がいればいい。でも、脚本家は個人作業が基本。1人で仕事するタイプ。その意味で現場で多くの人と作業する監督業には向いていないことが多い。


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資質はそれぞれに違う。そして「資質」や「センス」がなくても監督や脚本家になれる。いいものは作れないが、絶対に条件ではない。実際、センスのない監督はいっぱいいる。その意味でも多くの人が思う「才能」は「資質」ではない。一番はやはり努力。
技術や表現力を磨くことだ。

そして、人はなぜ「才能」と言う言葉を使いたがるのか? これも今はよく分かる。物凄い感動の小説がある。胸を打つ歌がある。涙が止まらない映画を見る。そんな時

「こんな凄い作品。自分には絶対に作れない!」

と感じる。なぜ、それを作り得たのか? 理由が分からない。そんな時、こう考える。

「才能があるんだ!」

しかし、多くの表現者もアーティストもクリエーターも血を吐くような努力をして作品を作る。その行程を一般の人は知らない。想像も付かない。だから

「才能と言うものを持つ人たちだ。自分たちとは違うのだ」

と考えて納得する。努力で出来ることではないと感じるのだ。そんなことから才能があれば努力しなくても素晴らしい作品を作れると言う勘違いが生まれたのだろう。

そして「資質」を「才能」だと勘違いする人も、努力せずとも素晴らしい作品が作れると思いがち。

「俺は才能がある」

と思い込み。努力や経験の重要性に気づかず、結局は作品を作れずに終わる。友人にもそんなタイプがいた。資質はあったが、それはドラマ作りに向いている。センスがあると言うだけ。それを才能だと勘違いして努力を怠り、芽が出なかった。大事なのは「努力」さらに言うと

「技法を学ぶこと」「表現の可能性を追求すること」「応用すること」「先人に学ぶこと」

スピルバーグも物凄く勉強している。過去の巨匠たちの作品を研究している。そこで学んだ技法を自分のものとして、演出に生かす。そうして大ヒット作を連打した。ビデオが普及しない時代には配給会社に頼み込み、黒澤明の映画フィルムを借りて、ビュワー(編集機)で1コマ1コマを確認したと言う。

そんな努力を知らない人が彼の映画を見て「才能ある監督んだなあ」と思ってしまう

「才能があるから、こんな映画ができる」

と考える。でも、そうではなく、資質を持つ人が人一倍の努力をして、素晴らしい作品を作るのである。これは俳優でも、ミュージシャンでも、作家でも、表現者なら皆、同じ。

そんなことが分かるようになったのも、長年に渡って表現者を目指す人たちを数多く見つめ、その展開や末路も見届けたからだ。若い頃には確信を持てないこと。歳を取ることで分かることがある。


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