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キャスティングは監督の仕事。それが日本映画の伝統であり基本! Pが選ぶと作品がダメになる? [映画業界物語]

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キャスティングは監督の仕事。それが日本映画の伝統であり基本! Pが選ぶと作品がダメになる?

映画に出演する俳優はどのようにして決められるのか? 日本映画の場合は基本、監督が選ぶ。作るべき物語を理解し、様々なプランや演出を考えるのが監督なのだから、その世界観を作り上げるべき俳優は当然、監督が選ばなければならない。

ただ、テレビドラマの場合は違う。プロデュサーが企画を立てて、脚本家に依頼。上がったシナリオを読み、キャスティング。そのあとにディレクターが決まる。なので人気俳優を選びたがる。そしてタレント事務所と付き合いもある。癒着も生まれやすい。

映画も主役に関してはスポンサー、プロデュサーが口を出す。主役は興行にも影響するので、無名の新人というののは難しい。が、その場合でも監督の意志が尊重される。僕がまだ新人監督だったときでさえ同様。主役はPたちがあれこれ上げた中から僕が選び、その他は全員、自分で決めている。まわりもそれを理解していた。それが映画界のやり方。

テレビ局で仕事したある番組(映画の監督が撮るドラマというのが売り)ときでも、ある事務所から選ぶように言われたが、その中からなら自由にキャスティングできた。そこにいないキャラは他の事務所からも選ぶことができた。その局のPは映画監督が俳優を決める重要性を理解していたのだ。僕だけではない。後輩たちも。先輩も。多くの監督は自身で俳優を選ぶ。それが映画界のしきたり。


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ただ、映画でも芸能プロと癒着したPが「この役はこの俳優でお願いします」という圧力をかけて来ることがある。「1人入れれば*万円」という裏取引が事務所からあったりするようだ。あるいは「次回はうちの人気俳優を使っていいですよ。その代わり今回は新人を10人」とかいう取引もされる。

Pはそんな提案に乗る人が多く、また、そんな仕事でもある。立場は分かるが、僕は自分で「いい!」と思わない俳優は絶対に起用しない。だからPにはよく嫌われた。それでも関係者は「キャスティングは監督!」という思いがありそのPのあと押しはしない。結果、いい作品ができた。

が、先にも書いた通りにテレビは違う。シナリオも、キャスティングも決まっており、監督は現場の仕切りだけ。監督の個性が出ず、その手の作品はかなり宣伝され、そこそこヒットはするが「中身のない映画だったなあ」と思われ評価されないことが多い。

考えてみてほしい。シェフが料理をつくるとき。材料は自身で選ぶ、野菜、肉、魚、香辛料。自身がイメージする料理に必要なものを用意する。それを料理をしたこともない第三者が集めた材料で「さあ、おいしいものを作ってください」で皆が喜ぶ料理ができるだろうか?映画も同じだ。

監督自身が好きで、評価する俳優を起用するから、その俳優の魅力が引き出される。俳優も「この監督が選んでくれたんだ」と思い、がんばる。Pが選んで押し付けられた俳優の場合。監督はその人の魅力を引き出そうとか、隠れたいい面を探そうとか思わない。セリフを間違えなければOK。俳優も真剣になれない。だから作品も盛り上がらない。

映画というのは不思議なもので「思い」というのが作品クオリティを変える。その監督が選んだ俳優なら愛が生まれる。押し付けなら「お仕事」になってしまう。さらにPは作品のことより損得を考えて俳優を選びがち。それで選ばれた俳優に対して監督は愛情を持てない。「ミスキャストだよなあ」と思って演出すると作品自体が盛り下がる。誰も得しない。

Pの多くはサラリーマンであり「この作品ができれば死んでもいい!」とは思って仕事しない。次もあるし、その次もある。大手の**芸能とは仲良くしておきたい。「売り出し中の**ちゃんを出して恩を売ろう」という輩も多い。もちろん、根性のある素敵なPもいるが、本当に少ない。そもそも撮影現場で演出しない者が俳優を選ぶこと自体が間違っている。

テレビ的なキャスティングをする作品は増えてはいるが、映画界では監督が俳優を選ぶという伝統があり、それが主流だ。そうでなくてはいい作品は作れない。だから、僕は主役から脇の1人まで自分で決める。そこに愛が生まれる。作品が素晴らしくなる。それが映画なのだ。



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町興し映画を作ろう!と市が予算を出しながら、悲しい結末に終わったある田舎町。 [地方映画の力!]

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町興し映画を作ろう!と市が予算を出しながら、悲しい結末に終わったある田舎町。

後輩のD君からこんな話を聞いた。彼の故郷で「街をアピールする映画を作ろう」と、市が予算を取った。D君はボランティア・スタッフとして参加。予算は2千万ほど無名の俳優ばかりの地元発見物語。だが、企画時から揉めに揉めた。

一つには行政側があれこれ文句を付けたことで、トラブルが続出。何かにつけ「市民の税金なんだから!」と言って、あれこれ作品に注文をつけたのだ。依頼を受けた映画監督が激怒。何度もあわや中止というところまで行った。D君に聞くと

「市が映画作りというものを全く分かっていないのに、あれこれ口を出したんですよ」

よくある話だ。金を出した側。映画製作の経験もなく、勉強もしないのに聞きかじった話で、あれこれ指示する。例えればオーケストラを呼び、「第9」を演奏して欲しいと依頼。指名した指揮者に市役所の職員がこう言うのと同じ。

「第1楽章はこんな風に演奏してください!」「バイオリンはヨーロッパの人を呼んでください!」

業界でど素人ーと言われるのはそういう人たちのことだ。

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金を出したら何を要求してもいいというものではない。指揮者を指名したなら、その人のセンス、実力、を信じて指揮してもらうのが礼儀。別の例を挙げるなら、レストランで料理を注文した後に厨房に行き、

「キャベツはもっと細かく刻んで、ソースは辛めに!」

とシェフに命令するようなものだ。そう言い換えると、いかに非常識なことをしているか分かるだろう。指揮者でも、シェフでもプロ。それに対して敬意を払わず、何も知らない素人が指示、命令をするのは身の程知らずとしか言えない。彼らはそのために何十年と修行したり、学んだりしてきているのだ。それが分からない地方の人、行政の人が時々いる。

「市役所職員がまさにそんな感じで、依頼を受けた監督は激怒。トラブルが続いたんです」

結果、2000万も使いながら、できたのは30分の短編ドラマ。D君はおかしいと思った。

「2000万は映画制作費としては安すぎる。でも、30分ものならもっと安くできる。内容を見ても500万くらいで出来るものだ」

いろいろ聞いて回って、どうも製作会社が半分以上の制作費を抜いているようだ。つまり、500万でドラマを作り、後の1500万は利益とした。多分、監督は知らないだろう。製作会社がこっそり行ったこと。

「これはちょっと酷すぎ! 監督も可愛そう。真相を究明しなければ!」

D君は役所に直訴したら職員はこう言う

「映画は金がかかるものだろ? あの30分に2000万かかったんだよ」

準備中はあれほど文句を言い「市民の税金なんだから」と繰り返していたのに、その税金が無駄に使われている可能性があるのに、調べようとしない。D君はすぐに気づいた。

「もし、本当に500万で作っていたら、市民の税金が無駄に使われたことになる。大変なことだ。役所の責任問題になる。だから、制作費は正当に使われたことにしておかないとまずい。職員がいうのは、そう言うことなのだ....」

D君は許せず。今度は県会議員に直訴。こう言われた。

「もう、制作費はないんだろ? だったら仕方ないんじゃないか」


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だから、製作会社に明細を出させて、使途不明金があれば返還を求めれば!と言っても「もう、終わったことだから、言っても仕方ないよ」と繰り返す。

「ああ、この人も市民の税金を無駄にすることより、問題を追及するのが面倒なんだ....」

そう思えた。気の毒なのは監督だ。最初は役所からあれこれ言われ、現場では製作会社に半分以上も費用を抜かれた額で撮影せねばならなかった。2度とあの街では映画を撮らないと言っているらしい。D君はいう。

「故郷が舞台の映画が作られると聞き、嬉しかった。だから、ボランティアとして参加した。監督もいい人だった。でも、素人の職員があれこれ言い出し、監督の思いや希望が次々に踏みつけられた。多分、それを見ていた製作会社が自治体はど素人だと気づき、費用を誤魔化しをした。500万で作ってもバレしない!と。実際、役所も県議もそれを知っても動こうとしない。

もともと、我が街で映画作りは無理だったんだ。いや、市役所には無理だった。映画監督といえば芸術家。その人にあーしろこーしろ素人がいうこと自体がおかしい。監督は屈辱的な対応でよく辞めずに頑張った。もっと、監督が作りたいものを自由に撮らせてあげれば、素敵な映画ができたんじゃないかな...」


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そう。あれこれいうのなら職員が監督すればよかったのだ。役所だけではない。映画製作を知らない、経験しない人間があれこれ言うのが間違い。これは映画だけでなく、先に挙げたオーケストラでも料理でも、その道のプロに対して指示するのが信じられない。餅は餅屋。

服のオーダメードを作るのなら本人の希望を聞くべきだし、家を建てるのなら家族の希望を受け入れる必要がある。が、映画とか、音楽とか、料理とか、多くの人に楽しんでもらう芸術的なものに素人が口を出すと必ず失敗する。その種のものはアーティストを信頼して任せるしかない。それが芸術だ。

結局、その映画は地元の小さなホールで1日、密かに上映されただけで終了。全国の映画館で上映されることはなかった。その1日のための2千万円の税金が使われたのだ。背景にあるのは役所の無知、勘違い。あれこれ指示して、監督のやる気を削ぎ、外部の会社に制作費まで抜かれて、そんな結末。なぜ、勉強しようとしないのか? なぜ、知らないことを指示するのか? 地域がいろんな意味で展開できない背景は、そこにあると思える。



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