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作曲家ミシェル・ルグランが、1月26日に86歳で死去 [2019]

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作曲家ミシェル・ルグランが、1月26日に86歳で死去

フランスの作曲家ミシェル・ルグランが、1月26日に86歳で死去したとのニュースを少し前に聞いた。ミッシェル・ルグランはフランシス・レイと並ぶ映画音楽の大家で、70年代の映画ファンにはお馴染み。僕がビートルズやローリングストーンズを聴きだす前。はひたすら映画音楽を聴いており、FMで特集があると何日も前からカレンダーに丸をつけて、カセットに録音する準備をしていた。

映画音楽はいろんな曲を1枚のLPレコードに収録というのは、ポールモーリアのような楽団が演奏したものしかなく。サントラ盤ではなかった。メインテーマばかりというのはラジオから録音するのがベスト。そんなカセットを何本も作った。

その中で日本人好みの美しい曲というは、フランシス・レイとミッシェル・ルグランの2人が多かった。レイは「ある愛の詩」「白い恋人たち」「男と女 」「個人教授」 等が有名。ルグランは「シェルブールの雨傘 」「華麗なる賭け」「太陽が知っている」「 おもいでの夏 」「栄光のル・マン 」「愛と哀しみのボレロ」 等で有名。

80年代にポップスで「ユーミン」派と「みゆき」派というのがあった。それとよく似た構図で、それでいうと僕はルグラン派だった。あの「おもい出の夏」のテーマソング。美しすぎて怖いくらい。映画自体よりも音楽の方が良かったマックイーンの「華麗なる賭け」。「シエルブールの雨傘」は映画を見なくても、曲だけで泣いてしまう。

音楽の凄さを感じたものだ。当時は他にもジョン・ウイリアムス。ジェリー・ゴールドスミス。ニーノ・ロータ。モーリス・ジャール、バート・バカラック、バーナードハーマン、お馴染みの音楽家がいた。ジョン・ウイリアムスは今も健在。あの「スターウォーズ」の作曲家。「インディジョーンズ」も「スーパーマン」も「ET」も全部彼の作品だ。

日本映画はどうしても音楽を軽く見ているような気がして、実際、スタンダードになる映画音楽はほとんどない。海外の映画。特にアメリカ、フランス、イタリアは誰もが知るスタンダードナンバーがかなりあるのに、その違いは何だろう?やはり日本の監督たちは音楽を軽視しているのではないか?と思えたり。

タラのテーマ(風と共に去りぬ)、ゴッドファーザー愛のテーマ、ある愛の詩、と、誰もがどこかで聴いたことがあり、映画を離れて生き続ける曲の数々。やはり、映画作家たちが音楽の重要性を理解し、愛があったからではないか? 僕の先輩監督。ベテランのその人は、

「この場面は大事だから音楽なしで行きたい」

と言っているのを目にしたことがある。やはり、音楽は添え物的な位置ずけなんだろう。

「ここは間延びするから、音楽を入れて欲しい」

とか、映像や芝居の不味さを軽減するための材料のようなことをいう。そもそも、監督という人が音楽に興味ないことが多い。クラシックファン、ジャズファンの監督ってあまり聞かない。あ、黒澤明はクラシック好きだった。イーストウッドはジャズが好きで、「バード」という映画まで撮ってしまった。ミッシェル・ルグラン死去のニュースでそんなこと。いろいろ考えた。


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映画レビューに「突っ込みどころ満載!」と得意げに書き込む人たち。評論家気取りのコメント。=その背景にある悲しいもの。 [my opinion]

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映画レビューに「突っ込みどころ満載!」と得意げに書き込む人たち。評論家気取りのコメント。=その背景にある悲しいもの。

先日、amazonプライムで「ほたる」を見て感動したあと。一般の感想はどうだったのか?気になってyahoo!映画レビューを見た。何と!半分近くが酷評。それも意味不明のコメントが多い。要は物語に共感できなかっただろうことを、作り方が悪い、手法が古いと批判しているように思える。

いろんなサイトに映画の感想を書くページがあるが、特にyahoo!に書き込む人たちの映画鑑賞眼は低い。別にyahoo!が悪い訳ではなく、その種の人たちが多いということ。どんなコメント? 例えばこんな風なのが多い。

「突っ込みどころ満載。あれ?おかしいな。なんで?ということの連続!」

「展開が唐突! 何なのこの映画。展開に無理ありすぎ〜」

「物語にひねりがない。これでは子供でも先が読めてしまう。レベル低すぎ!」

ある。ある。と思うだろう。どのサイトを見ても必ずある。これらに共通するのは何だろう? そう。ほとんどが上から目線。得意げ。鬼の首を取ったような感じ。

「この映画ダメだなあ」「これでは不合格」

「この監督は素人かよ」


という思いが感じられる。簡単に言えば評論家気取りなのだ。しかし、その映画を見ると、それほど酷いものでなかったり、力作だったりする。??? そこには2つの背景がある。彼らの心の闇を考えてみよう。

80年代。僕は映画ファンであり、映画学校に通い、映画好きと毎日議論していた。「ぴあ」には毎週、読者の映画批評が載る。がyahoo!的な感想はあまりなかった。同世代の映画評論家さんはいう。

「本来、映画を見ていて、あれ? 何でこうなるんだろう? と思った時に、僕らは伏線を見逃したかな? 説明があったんじゃないか? と考える。映画というのはプロが作るもの。意味が分からないのは素人である自分が、しっかりと見ていなかったからだろうと考える。

でも、今どきの子は分からないことがあると、この映画は説明不足だ。ご都合主義で展開させてんだな〜と考える。つまり、分からなくなるのは自分の不注意や無知ではなく、映画制作側の、あるいは監督がバカだから分からなくなると解釈するんだよ」


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その通りだ。しかも、おかしいのがそんな解釈をするのが20代とか30代の人たち。作っているのは50代とかの監督で、プロのスタッフ。映画というのは集団作業。例え監督がバカでも、シナリオや現場でおかしな部分が見つかれば、必ずスタッフが指摘する。誰も気づかずにオーケーなんてまずない。それを20代の映画ファンだけが気づく問題点ってあるかな?

実際にその映画を見ると、ちゃんと伏線が張られていたり、前の場面で説明されていたりする。それを見逃していたので、展開が分からなくなったのだろう。にも関わらず

「おかしい!無理あり過ぎ〜」

とコメント。考えれば自分は若く、素人。プロが作ったものが、そんなバカなミスをするはずがないと思うだろう。僕らの世代はそう考えた。が、今の子たちはそうは思わない。もちろん、映画監督にもバカな奴はいる。

でも、素人の映画ファンよりは多少、勉強し、いろんな経験をしている。そしてベテラン・スタッフも参加している。何十人もの目を通してシナリオはチェックされ、撮影される。それを素人の自分だけが見抜くなんてことがあり得ると思うのか?多分、その子たちはそこまで考えていない。自分が理解できないことに出会った時、単純にこう思う。

「私にものを見る力がないのではなく、説明不足の相手が悪い!」

なぜ、そんな解釈をするのか? 考えてみる。今時の子たちは、僕らの子供時代以上に管理教育が進んでいる。ひたすら与えられたことをするだけの教育。やるべきことは教師や親から指示される。宿題をしろ。勉強をしろ。教室では静かにしろ。寄り道をしないで帰れ。それをやらないと厳しく注意される。

言われたことさえしていれば問題はない。つまり、考える必要がない。自分で判断しない。なぜ、この学科を勉強するのか? なぜ、この宿題が出るのか? なぜ、こんな規則があるのか? 考えない。背景を想像しない。疑問を持たない。駅のホームに立てば、

「電車が来ます。白線まで下がって下さい」

とアナウンスがある。ショッピングセンターでは

「エスカレーターから乗り出して顔や手を出さないでください」

と館内放送。ますます考えない。やってはいけないことはあちこちで言ってくれる。学校や家庭でも指示が出る。考えずに言われたことだけしていればいい。そんな環境で育った子たち。考える力はなく、与えられたことしかできない。映画を見る。伏線がある。伏線というのはナレーションで

「この主人公は銃マニアである。その証拠に部屋の壁にはモデルガンが飾られている。これは大きな伏線になるので、画面で大写しにはならないが、観客の皆さんは覚えておいてほしい」

なんて説明はない。伏線というのはそれとなく描くものだ。だから、見逃しがち。若い子は気づかない。展開がある。伏線が生きる。が、伏線に気づいていないので分からない。

「なんで、こうなるの? 何の説明もなかった。この映画おかしい!」

となるのだ。考える力がない。しっかり言われないと分からない。想像力がない。問題が起こると背景を考えず、安易に相手が悪いと思ってしまう。似た例がある。


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子供が池に落ちた。親は子供を叱るべきなのに、池に柵がなかったことに激怒。自治体を訴えるという話を時々聞く。これも同じ。子供に危険を察知する力が育っていない。それを教えていない。にも関わらず、落ち度は子供ではなく、柵を作らなかった自治体という。

映画の伏線に気づかず展開が分からなくなると、自分に「見る力」がないのではなく、映画が説明不足だと解釈する。いずれも「考える力」が育っていない。

「言われないと分からない。悪いのは自分ではない。注意してくれないから分からない」

管理教育が行き届いた中で育った結果ではないか? もう一つの悲しい背景がある。今の教育では個性はほとんど認められない。学校の教科にないことができても評価されない。そんな中で若い子たちは何をアイデンティに成長するのか? 背が高い。イケメンだ。巨乳だ。家が金持ちだ。最新のゲームを持っている。いろいろあるだろう。

でも、それらは自身の努力で手に入れたものではない。そして成績が悪くて、一流大学に行けなかった人たちには、どこか劣等感が漂う。自分なんて大した存在ではない。どうでもいい人間だ。社会に必要とされていない。そんな思いがどこかにある。

成績は悪かったが、本当は何かできるはずだ。自分にもいいところがあるはず。誰にも負けないものがあるはず。でも、今の時代にそれを見つけるのは大変。そんな人たちが映画を観る。伏線に気づかず、あれ?と思う。展開が唐突だ。或いは物語がストレート過ぎる。そんな時。

「突っ込みどころ満載だなあ。何だこれは。説明不足だし、この監督はバカだよな?」

「考える力」がないので、そんな解釈をする。そして、無意識にこう感じる。

「僕は結構、鋭いんだな。プロの作った映画の欠点を見抜いた。プロってバカなんだな。俺の方が優秀だよ...」

人を批判すると、自分が偉くなった気がするものだ。優越感を感じる。次第に上から目線になる。

「隠しても俺には分かるんだよ。そんなことじゃダメだろ?」

その誇らしい気持ちを伝えたくて、感想を映画サイトに書き込む。「俺って凄いだろう?」そんな思いを込めて。日頃、誰にも褒められない。必要とされないダメ自分から逃れ、自分の優秀さを誇るために。それも楽して、いい気分になれる。

それが理由で映画レビューはその手のコメントが多い。が、そのほとんどは勘違いや見る力がない人たち。多くは厳しい管理教育で育った人たちだろう。それが映画レビューに

「突っ込みどころ満載!」

「唐突な展開!」「捻りがない!」

などと、ワンパターンの表現で勘違いなコメントを書き込む人たちの背景だと思える。



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