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悲しみを表現するにはどうするか?俳優、作家、音楽家、映画監督、それぞれに模索する。才能ではない。努力? [映画業界物語]

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悲しみを表現するにはどうするか?俳優、作家、音楽家、映画監督、それぞれに模索する。才能ではない。努力?

表現者はどの分野でも共通するものがあること。ときどき感じる。作家が文章で悲しみを伝えるにはどうすればいいか?考える。俳優がどうすれば悲しさを表現できるか?思案する。映画監督がどうすれば悲しみを理解してもらえるか? 葛藤する。

表現法が違えど、皆、同じだ。例えば俳優が悲しみを表現するとき、涙を流す。観客は「ああ、悲しいんだろうなあ」と思う。でも、画面で俳優が号泣していても、観客には全然伝わらないことも多い。逆に一緒になって泣いてしまうこともある。その違いこそ、俳優の力量なのだ。

「明日にかける橋」DVDに収録してあるメイキングで、藤田朋子さんが新人の越後はる香さんにアドバイスする場面があるが、葬儀で涙する越後。我慢して我慢して最後に泣く。という助言している。いきなり泣くより、その方が気持ちが伝わるというのだ。実際、映画館でその場面を見ると、藤田さんの指摘通り。越後と一緒に観客は涙していた。

藤田さんが日頃から、悲しみをどう表現すれば観客に伝わるか? 登場人物の気持ちが伝わるか?を考えているのだ。同じ手法でもダメなこともある。状況や設定も関係する。その中でベストな手は?と俳優は常に考えている。実践する。また、同じ手法でもこの俳優ならいいが、あの俳優なら違うということもある。

つまり、自分を知らないといけない。容姿、声質、技量、自分の能力を知る。それには何度も演じることが大事。何度も繰り返すことで、この演技は受けた。でも、この芝居はダメだった。と分かってくる。
その繰り返しで俳優は演技力を養っていく。

その意味では劇団をやっている人は、公演中に10回20回と同じ役を演じる。客の反応を知ることができる。「昨日は受けたのに。今日はダメだった」そうやって問題点は何か?を考える。それが勉強になる。これでいつもいう「才能なんてない」という意味も分かってもらえるだろう。

いきなり舞台に立ち。「素晴らしい!演技だ」と言われることなんてない。先に書いたようなプロセスで、自分の特徴を知り、表現力を磨いてこそ、観客を感動させる俳優に成長するのだ。ときどき「俺はいきなり主役ができる力がある」とか超勘違いしている新人がいるが、演技は楽器を弾くのと同じ。どんな天才でもいきなりピアノは弾けない。演技も同じだ。

監督業も同じ。どんな演出をすれば、その役者の魅力が引き出せるか? どんな編集をすれば観客が退屈せずに見てくれるか? それらも才能ではなく、技術。でも、その技術も、誰が使っても同じ結果が出るとは限らない。基本的な手法はあるが、それを応用し、組み合わせて悲しみや感動を生み出すのが監督業。真似できない表現を見つけ出し、実践することが大事。

それも俳優業と同じ。その昔、若い俳優で松田優作の真似をした芝居をする者がそこそこいたが、誰もブレイクしていない。あれば松田優作だからいいのであって、それを真似てもモノマネでしかない。ただ、最初は真似ることでいい。松田優作も実は原田芳雄のスタイルを真似るところからスタートしたらしい。そこから自分らしさを見つけたのだ。そうやって表現法を探す。どの分野も共通する。


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