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お客様は神様です!ーでは済まない時代。矢沢永吉の決断は正しい。 [映画業界物語]

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お客様は神様です!ーでは済まない時代。矢沢永吉の決断を考える?

矢沢永吉が特定のファンをコンサート出入り禁止措置を発表した。でも、昔から「お客様は神様」と言われる。そんなことしていいの?と思う人もいるだろう。でも、映画製作をしていると、矢沢の気持ちが、とてもよく分かる。まず、そのニュースを紹介しょう。 (J-CASTニュース、ORICON NEWSより)

矢沢永吉さん(69)の公式サイトが、迷惑なファンの一人を「コンサートへの一切の出入り禁止やファンクラブの強制脱会等の措置を取らせていただきました」と発表。その理由を「私設応援団を名乗る一部の集団が威圧や強要、一部のファンの飲酒による周囲への迷惑行為」が後を絶たないためと説明

矢沢永吉の目指す『どなたでも来場しやすいコンサート』への長きに渡る取り組みに対する妨害行為と判断せざるを得ない内容」といい、「これを看過することは、矢沢永吉の方針を自ら否定することにもなりかねません」

今後、A氏は「コンサートへの一切の出入り禁止やファンクラブの強制脱会等の措置を取らせていただきました」と報告。2019年1月21日の発表によれば、この人物は私設応援団の総会長をつとめている。だが、公式では私設応援団の結成は認めていない。(ニュース記事より)

上の記事を読めば「当然だよ!」と思えるかもしれない。が、芸能界では「お客様は神様です」という思いもあり、なかなかファンに厳しく言えない。逆恨みしてデマを言い触れ回る人もいる。こんなツイート見たことはないだろうか?

「今、人気の若手女優A子。この間、街で見かけたので手を振ったら、無視された。いい子だと思ったのに幻滅。二度と応援しない。ドラマも見ない!」

この手の人は本当によくいる。そもそもなぜ、道で知らない人が手を振ったら、それに応えなければならないのか? 「サイン頼んだら断られた」とかいう話もよく聞く。それもイベントでもないのに、道で頼まれてサインする必要はない。それにサインすることで、他の人が気づき、多数の人が集まって混乱ということもある。サインしてはいけない場合もある。

しかし、ファンの多くは「あの人は絶対に応えてくれる」「いい人だし、ファンを大切にしている」という思い込みがある。手を振らないだけで幻滅され、その後、ツイッターであれこれ悪口を書きまくる人もいる。人気商売。それは困るので、手を振り返す。嫌でもサインするという芸能人も多い。そこに矢沢が一石を投じる。

記事を読むと確かに酷い話と思え、矢沢の決断は支持できる。実際、僕もコンサートには何度も行っている。昔は本当に凄かった。暴走族の集会か!と思うような客が多かった。それが最近ではその手は激減しているように感じていたのだが、主催者側から見ると、まだまだ問題ある客がいるということだ。昨年のコンサートが矢沢の誕生日に当たった。ファンの一人が

「会場で『ハッピーバースデー』をみんなで歌い、クラッカーを鳴らして永ちゃんのお祝いしよう!」

とツイートした。それに賛同したファンが次々にリツート。それを読み「ファンに愛されているんだなあ」会場でファンから「ハッピーバースデー」を歌われると矢沢も嬉しいだろうなあと考えた人もいるだろう。そのあと、主催者側からやめてほしいとの発表。コンサート演出に支障が出て、他のお客に迷惑というのだ。

「えー、せっかくのファンの思いをー」

と思う人もいるだろう。が、違う。コンサートは矢沢の歌を聴く場であり、そのために演出があり、構成がある。それを客が勝手に途中で歌い出す。コンサートが中断してしまう。この曲が来て、あの曲が来て、トークなしで、ヒット曲!と続くから盛り上がる。それを突然に客が歌い出すのはどう?

ファンの集いではなく、コンサートだ。矢沢のファンだけでなく、音楽を聞きに来る客もいる。それを一部のファンが「おめでとう」の場にするのはおかしな話。でも、ファンからすると「永ちゃんにお祝いを伝えたい!」という熱い思い。「みんなで祝福したい」と思うのも分かる。が、それがコンサートの妨害行為になっている。

そんな背景もあり、迷惑ファン出入り禁止ということにも繋がってのだろう。とても、よく分かる話だ。映画を作っていても、応援してくれる人が多い。本当にありがたい。でも、中には暴走して、やってはいけないことをやってしまう人もいる。例えば、

「監督の映画に感動したので歌を作りました! それを毎週、喫茶店で歌っています。***のイメージソングと説明して歌います。応援になると嬉しいです」

これも先に「ハッピバースデー」と同じ。応援してくれる気持ちは嬉しいが、違法行為だ。便乗商法になってしまう。映画という商品を無断で使い、そのイメージソングだと言って歌う。著作権法違反でもある。「これはトトロのイメージソングです」と勝手に歌を作るのと同じ。ジブリに告訴されても仕方ない。

悪意はない。それでも、その歌に感動がないと「きっと映画もそんな感じなのね!」と思う人もいるだろう。素人の歌だと、「映画も素人の作品」と思うかも。応援にならない。それをスポンサーや関係者が聞けば

「え? イメージソングなんてあったの?」「誰が許可したの?」

と揉めるだろう。一部の矢沢ファンと同じ。応援のつもりで、いろんな人に迷惑をかけている。悪意がないので厳しく注意はできない。やんわり言っても分かってもらえない。厳しくいうと逆ギレして

「じゃあ、もう応援しない!」

になり、熱い想いがある人ほど傷ついてしまう。応援が迷惑になっていること伝えるのは難しい。慎重に対応する必要がある。

と言って、映画製作の場合。スタッフにそんな係がいる訳でもなく、時間も余裕もない。何より好意で応援してくれているので、あれこれ言わずにおきたい。矢沢にもそんな思いがあったはずだ。でも、そんな暴走ファンのために新しいファンがコンサートに来れない。迷惑する。と考えた時、長くライブをやるには、決断をせねば!と考えたのだ。

芸能人ばかりではない。政治家も同じ。自分を支持してくれる人。でも、その人が他の支援者に迷惑をかける。出入り禁止にしたい。けど、その人が激昂して、あることないこと言い触れ回るかもしれない。アーティストも同じ。皆、それによる反動。批判。ファン離れを心配してしまう。本当に難しい。

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新しい時代で一番、苦労するのは今の40代男性か? 思い出すあの言葉? [my opinion]

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新しい時代で一番、苦労するのは今の40代男性か? 思い出すあの言葉?

10代の頃。「大人は信用できない!」と思っていた。トリフォーの映画は「大人は判ってくれない」だったが、それに近い思いがあった。そんなこともあり監督作「向日葵の丘」では主人公の常盤貴子さんの部屋に、その映画のポスターを貼った。

当時、大人はこう言っていた。「最近の若者はダメだ!」ダメな大人に限ってそう言う。僕は大人になっても、その台詞だけは言わないでおこうと密かに誓った。それが僕らの世代が20代後半に差し掛かると、友人がこんなことを言うようになった。

「最近の若い奴はダメだ...」

同じだろーーー。彼の言葉を分析すると、「今の奴は軟弱、主張がない、日和見主義、長いものに巻かれる、やる気がない」等々。しかし、それらは僕らの時代にも言われたし、友人自身がそれそのものだった。

「俺たちは違ったよ!あんなじゃなかった!」

でも、彼との付き合いは長い。同じだ。ただ、僕らの頃に比べてより、今の若者はその体質がより強くはなっている。それでもダメな大人より若い奴の方が可能性がある。新しいものを受け入れる。大人は過去にこだわり、古い価値観を振り回し、プライドばかり高い。

そう。僕が大人を信用できなかった理由はそこにあったこと。大人になって気づいた。それから何年か経ち。若い人たちと仕事して、思った。

「最近の若い奴はダメだ!」

ヤバイ。友人と同じだ。この台詞は言わないことにしていたのに!いや待て。考えた。仕事をしたメンバー。バカが多い。なぜ、バカなのか? 頭が悪いと言うことではない。なのになぜ、バカになったのか? 考えた。答えは簡単だった。

僕ももう50代。僕から見て若い奴でも40代だったりする。結婚もして子供もいる。脳が老化。過去にこだわり、古い価値観を振り回し、詰まらないプライドを大切にしている。そう。僕が10代の時に「信用できない」と思った大人そのもの。僕よりは若いが当時、大嫌いだった大人たちと同じ。

つまり、当時10代の僕が嫌った大人も多分40代くらいだったのだ。それを下の世代である僕が見て「大人」と思った。今は50代。40代を見て「若い奴」と思った。でも、どちらも40代なのだ。そして40代の男性に多いのが先の状態。

「過去にこだわり、古い価値観を振り回し、詰まらないプライドを大切にしている」

なるほど、これは歳を取り、脳が老化することで起こる現象なのだ。違うのは、僕らが子供の頃はまだ「好きなことをしたい! 夢を追いたい!」と言う子供が結構いた。僕は今もそれを続けているので、若い人たちにも「夢を追え」という。が、最近はこう言われる。

「その夢が見つからないんだよ!」

本人のせいではない。より管理教育が進み。考える力を奪われているので、夢を探すことさえできないのだ。自分がやりたいことも分からない。中には

「正社員になることが夢です...」

と言う寂しい奴もいる。戦うこともしない。仕事の手抜きしか考えない。そんな若者が40代になり、老化が始まる。僕らの世代(結構、老化が酷い)以上に酷い状態になるような気がする。特に男性が顕著だ。

と言うのは今、時代は激変しようとしている。過去の価値観は覆り、以前の経験は何の役にも立たなくなる。そんな時代に「過去にこだわり、古い価値観を振り回し、詰まらないプライドを大切にしている」そして夢見ることすらできない。

そんな大人は本物の粗大ゴミになるしかないだろう。女性は40代でもしたたかに生きているが、大人の男性の運命はそちらに向いている。いや、人の心配をする前に自身の心配をしよう。amazonプライムとFINAL CUT Xで、新しい時代を学ぶことから始めてはいる?


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「監督はギャラ取るんですか?失望しました....」という地元市民。その背景を考えて分かった人の心理? [映画業界物語]

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「監督はギャラ取るんですか?失望しました....」という地元市民。その背景を考えて分かった人の心理?

地方映画を作ると、完成してからこう言われることがある。

「監督。ギャラを取るんですか? 失望しました!そんな人だったんですね....」

そう、なじられたことがある。どの街でも数人はいる。???と思う人が多いだろう。僕は映画監督という仕事をしている。映画を作ることでお金を頂き、生活をしている。職業だ。当然、監督料を戴く。と言っても、その額をいうと多くが驚くだろう。もちろん安すぎて!でも仕事なので貰う。それより無事に映画を完成させ、地元の人に喜んでもらえることが嬉しい。でも、そんなことを言う人がいた。

そんなお1人。彼は50代男性。会社経営者。地域活動をしている。顔も広い。性別に関わらず、そんなことを言うのは年配の人。年若い経験が少ない人ではない。地方映画というのはその街をアピールするための映画。町おこし映画だ。

街で寄付を集め、時には自治体が資金を出し、プロの映画スタッフを雇って製作する。が、企業映画のような十分な予算は集まらないので、街の人たちがボランティアでお手伝いすることが多い。雇ったプロには当然人件費を出す。

それを先の人たちは「なぜ、監督はギャラを取るのか?」と怒る。が、「カメラマンはギャラを取るのか?」「俳優には金を払うのか?」という声は出ない。監督だけなのだ。一般的に映画製作では「監督が一番大変」と言われる(本当は皆大変!)その一番大変な仕事をした人がギャラを取ることを批判するのはなぜか?

その話を第三者にすると「理解できない!」「おかしいんじゃない?その人たち」と言われる。僕は何度も経験しているので空気として、背景は分かるが、いい大人がなぜ、そんなことを言い出すのか? そのメカニズムが分らなかったが、長年考えてピッタリな例を思い出した。

アメリカ留学時代。僕はLAに6年住んでいた。最初に渡米したとき、お世話になった日本人がいた。英語も全くできなかったので日本人が現地にいたことありがたかった。ある方の友人で僕は面識がない。渡米初日に訪ねた。が、その人はあまりフレンドリーではなかった。アメリカに長く住むのでそうなのか? 最低限のことはやってくれたが、それ以上はしない。それでもありがたかったが、何か引っかかるものがあった。

その後、僕は大学の映画科に合格。英語もある程度できるようになり、中古車も買った。そんな頃から僕を頼って遊びに来た友人が何人もいる。当時、彼らは大学生。友人たちの希望でユニバーサル・スタジオやディズニーランドに行く。有名なレストランで食事する。僕が運転。街を案内し、通訳もする。彼らは喜んで帰ったが、僕は出血赤字サービスでその月は金欠。

アミューズメント・パークの入場料はかなり高く、彼らが行きたがった有名レストランも高価。ガソリン代もいる。何日も彼らに付き合うとかなりの出費。通常生活費の3倍4倍。貧乏な大学生生活。おまけに当時はまだ円が安かった。それでも友人が来てくれたことは嬉しく、いちいち文句は言わなかった。それが長年の友人が来た時、こう言った。

「大学生活で大変だろうから、食事代や入場料は僕が出すから!運転もしてもらうし、通訳や案内もしてもらう。ガイド料にしては安いけど、そのくらいはしないと!」

え?と思った。考えると、なぜ、何度も行ったディズニーランドやユニバーサルスタジオに自腹で行かねばならなかったのか? なぜ、行きたくもない高級レストランで食事せねばならなかったのか? 運転して案内して通訳して、友達だからと思ったが、多くの友人は「じゃあ、また!」と行って帰って行った。その話を先のお世話になった日本人に話すと、こう言われた。

「そうなんだ。彼らはアメリカに来ているのに友人と会うと日本にいる時と同じ気分になってしまう。一緒に旅行していると勘違いする。こちらが付き合いでディズニーランドに行っていることを忘れる。その内に友達の友達というのが訪ねてくる。同じことの繰り返し。何度も自腹でディズニーランドに行った。それを指摘すると揉める。ある時に一線を引いた。それ以上はしないと」

僕の友人たちも同じ。一緒に旅行していると思い込んでいた。「だから割り勘が当然」と思う。東京ならそれでいい。でも、LA。おまけにDランドも、Uスタジオも僕はすでに何度も行っている。なのに高い入場料を払って同行。気遣いをしてくれたのは数人だけ。ほとんどが友達と旅行しているモードになっていた。

地方映画も同じなのだ。監督は撮影前から、それこそ1年前から地元に通う。その内に仲良くなる。友達モードが育つ。一生懸命やるほどに「この人は地元愛があるんだな」と思われる。僕のモットーは「まず、地元を好きになること」そうやって、誤解が始まる。

「この監督は金のためではなく、地元を愛してくれている。だからこの街で映画を作るんだ。俺たちと思いは同じだ!」

映画は完成。ギャラを請求する。

「なんで? 金を欲しがるんだ? 街を愛しているのは嘘だったんだ。騙された!」

先の観光旅行の友人たちと同じ。「友人とLA旅行をしている」=「だから割り勘」「地元のために映画を作っている」=「だから、双方ギャラなし」と認識してしまったのだ。どちらも考えれば分かることなのだが、気づかない。その地元の人は特別ではない。同じことを友人たちがLA時代にしている。そこで以前にも書いたが、先輩に言われたこと。

「お前は一生懸命やりすぎるんだよ。だから、誤解される。金のためじゃないと思われる。少しは面倒臭そうな態度を取るとか、距離を置くとか、仲良くしちゃいけないんだよ。結局、バカを見るのはお前なんだからな!」

先輩の言うことは正解な部分もあり、明らかに間違っている部分もある。でも、考えねばならないことだ。悪意はないのに人は勘違いし、人を非難し、自らを貶めてしまう。人とは一体どういう生き物なのか? 考えてしまう。



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尊敬する人が変わってしまう悲しみ?=人はなぜ堕ちてしまうのか。 [映画業界物語]

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ドラマの「太閤記」で豊臣秀吉の後半人生が描かれない理由と、尊敬する人が変わってしまう悲しみ?

小学生の頃。大河ドラマ等の戦国時代ものを見ていて感じていたのは、なぜ、豊臣秀吉の人生後半が描かれることが少ないのか? 「国盗物語」(秀吉は火野正平)では本能寺の変、山崎の戦い辺りまで。「新書太閤記」(山口崇主演)でも「青春太閤記」(なべおさみ)でも、本能寺の変以前で終わる。不満で司馬遼太郎の小説や漫画の歴史ものを読み漁った。

ドラマで終わったあとの秀吉は、明智光秀を山崎で倒し、柴田勝家にも賤が岳で勝利。順調に勝ち進み、天下統一してからは何とも、おかしな人になっていくことを知る。利休を殺したり、秀頼を溺愛したり、朝鮮出兵、と、農民出身で庶民の気持ちが分かるはずの人が、庶民を苦しめる制度を進める。

もう、立身出世物語ではなくなり、悪の大王のような人生。前半とはかなり違う。それだけにドラマでは後半が描かれることがなかったのだろう。「スターウォーズ」で言えば、アナキンがダースベーダーになるような感じ? 

また、ドラマでは爽やかな二枚目俳優が秀吉演じていたが、後半の人生を同じ俳優が演じるには無理がある。あまりにも別人なのだ。その後半人生を描いたのが大河なら「独眼竜政宗」。秀吉は勝新太郎。怪物のような秀吉を演じ、新人だった渡辺謙の政宗を脅かす強烈な存在。実際の秀吉もこうだったのだろう。

なぜ、彼が変わってしまったのか? 富も名誉も手にすると人はあんな風になってしまうのか? いろいろ考えたが、人はあそこまで変わるものなのだろうか? そんなことを実感する経験がある。

もう20年ほど前の話だが、お世話になっていた方がいる。豪快というのがピッタリな男性で、。年齢は60代。僕は21歳。留学前からお世話になっていた。当時僕が「映画監督になりたい!」というと誰もが反対、批判した。

「無理だ。不可能だ。簡単なことではない。夢見ている歳か? お前才能あるのか?」

でも、その人はいう。

「やってみろ! ハリウッドで映画を撮ればいい!」

そう言ってくれた。留学後もお世話になり、ずっと応援してくれていた。鋭い人で、普通の人が言わないアドバイスをくれた。叱られもしたが、納得できるものだった。既成概念に囚われない。下らない風潮や世間に惑わされない。仕事でも高く評価されている人だった。

僕が帰国してから、その人は癌になり入院。手術した。かなり進行していたが、手術は成功。何度も見舞いに伺った。いつも強気なのに、流石に病室では元気が無かったが、とても喜んでくれた。経過は良く、日常生活には支障はないが、再発の恐れはあるとのこと。以前のような元気な姿は見られなくなった。

それからも何かあるたびにお訪ねしたが、次第に彼は変わって行った。以前のような鋭さが無くなる。いつも「なるほど!」という意見を言っていたのに、「それ違うんじゃないかな?」と思えることが増えた。やはり大きな病気をしたので、精神的にもダメージが大きく、感覚的にも鈍ってしまったのか?

その後、僕に対しても批判めいたことを言うようになる。当時まだ僕は監督デビューはできておらず、アルバイトをしながらシナリオを書き続けていた。そんな中、アドバイスをもらおうと訪ねたのだが、以前のような「なるほど!」と思える発言がなくなった。それどころかこんなことを言われた。

「ちょっと、やってみてダメだったら、諦めて田舎に帰って来ようと思ってんだろう?」

耳を疑った。もう、10年近い付き合い。僕が「ちょっとやってダメだったら諦める」そんな奴だと思っていたのか? アメリカで6年。帰国して2年。すでに8年。監督を目指して奮闘。それ以前の横浜時代を入れれば12年だ。そのことを知っているはずなのに、「ちょっとやってダメなら」と言うか? 同じ批判をする人は当時、多かった。でも、彼からそんな言葉を聞くのは辛かった。

しかし、なぜ「田舎に帰ってくる」になるのか? 実家は商売をしているわけでも無く、戻っても何もない。金持ちでもない。まして親は映画監督になるのを反対している。帰れば「やっぱりダメだったろう!」と言われるのは分かっている。そんな話も何度もしている。もし、万が一、監督になれなくても、東京で何か映像の仕事をするつもりだった。それも話している。なのになぜ「ダメなら田舎に帰る」と決めつけるのか?

病気でボケて誰かと勘違いしているのだろうか? でも、他でおかしな発言はない。体調が悪いのか? 別の時に訪ねても、おかしな批判をする。皮肉を言う。尊敬している人が、理解し、応援してくれていた人がそんな風になってしまい悲しい。僕が何かいけないことを言ったのか?何度も考えた。

そんな時、ある年配の女性に聞いた。その人の夫は豪快なビジネスマンだった。が、やはり大きな病で入院。命の危険を宣告されてから、変わったと言う。嫉妬深く、怒りっぽくなり、以前の頼もしさはなくなった。病気のせいだと思ったが、悲しく、やりきれなかったと言う。同じなのかもしれない。

その後、彼を訪ねることはなくなった。お会いする意味がなくなった。せめて訪ねたことを以前のように喜んでくれるのならいいが、迷惑そうに見えた。

数年後、亡くなったと聞いた。ガンが再発したと言う。やはり、変わってしまったのは病気のせいだったのだろう。命を脅かす病と闘うのは大変なことだ。そのせいで正確に物事を捉えられなくなり、おかしな意見を言ったり、ありもしないことで人を批判していたのだろう。

彼が死んで数年後、僕は監督デビューした。実家に帰ることもなかった。帰国してから16年経っていた。「ちょっとやってみてダメだったら」と言われたが、16年。それから14年、監督業を続けている。尊敬していた彼には理解も、期待もされてなかったということか?

人はなぜ変わるのだろう? 人はなぜズレて行くのだろう? 病気のせい? 加齢のせい? いろいろ理由や背景はあるだろう。でも、尊敬する人が、かつては応援し、理解してくれた人が、批判を始め、皮肉をいい、当て外れな意見を言うのを見るのは辛く、悲しい。秀吉の晩年も同じだったのだろうか? そんなことを考えてしまう...。



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「アクアマン」予想以上に面白い!まさに夏休み映画。春前だけど。 [映画感想]

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「バットマン」も「スーパーマン」も子供の頃から知っているが、「アクアマン」なんて知らない。「ジャスティスリーグ」で初めて知った。そのアクアマンの単独主演?作品。

最初、僕らの世代だと「あー『海のトリトン』実写版だなあ」と思う。少し住むと「これは海の『スターウォーズ』かあ」と感じ。それで最後まで行くと思ったら「インディジョーンズ」になり「007」になる。

えええ?と思っていると「アーサー王物語」になり、ああ、だから主人公の名前はアーサーか!と気づく。ハラハラ、ドキドキ、感動して泣けて、満腹の夏休み映画!(という感じ。春休み前だけど)



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明日にかける橋ー「地方映画なのに、これだけ凄い!」まとめました。 [地方映画の力!]

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明日にかける橋ー「地方映画なのに、これだけ凄い!」まとめました。

「明日にかける橋」は映画会社が作った映画ではなく、静岡県の主婦たちが「街をアピールする映画を作りたい!」と言う思いからスタートした地方映画です。製作費は地元の皆さんの寄付。プロの映画スタッフ&俳優が集まり作られた作品。でも、その手の地方映画は地元で1日上映して終わり。。。と言うことがほとんど。なのに!と言うところをまとめてみました。

①全国の映画館で一般の映画と同じ形で公開。20館ほど。
②東京は有楽町スバル座。昔でいう一番館。秀作を選んで上映する館
③大阪はテアトル梅田。阪急大阪駅前の繁華街にある名画を選ぶ館。
④名古屋は伏見ミリオン座。こちらも名画しか上映しないメジャー館
⑤静岡県西部はTOHOシネマズ磐田!

⑥東京公開時は舞台挨拶でキャストが勢揃い。マスコミが大報道。
⑦大阪でもヒット。映画館が十三シアターセブンに移り続映
⑧公開後もメイン俳優が異例の応援、ツイート、インスタで映画宣伝
⑨静岡県公開時は鈴木杏さんが地元へ。県庁にも挨拶。テレビ出演も
⑩地元公開は9週間のロングランヒット。

11太田組作品の中で、地元公開日数がナンバー1に!
12年が明けた今年、TOHOからアンコール公開の依頼。再び満員!
13公開終了から2ヶ月。早くもDVD発売!
14DVDは予約だけで完売。現在、再プレス中。
15映画の地元アピール効果は1億円分!(費用対効果)

もう一度書くが、地方映画の多くは地元の市民ホール等で1日上映で終わる。映画館はなかなか上映してくれない。やっても東京でレイトショー1週間。地方はなし。それが「明日」は天下の有楽町スバル座で1日3日上映。2週間!4大都市で公開。他、地方の映画館でも。これだけでも異例なのに地元では9週間のロングラン。「ドラえもん」やキムタク映画を超えるヒット。

全てはおばちゃんたちの決断からスタートした。その熱意に共感した映画スタッフ。そして俳優陣。その力が映画を全国に発信。DVDが売れない時代に、終了から2ヶ月で発売=>完売=>再プレスと言う展開。本当に凄い。諦めず前に進めばどんなことで成し遂げられると言うこと。教えられる。



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