明日にかける橋」で挑戦した新しい技法? 音楽と効果音について [映画業界物語]
明日にかける橋」で挑戦した新しい技法? 音楽と効果音について
「太田監督作品は毎回、感動し泣ける!」と多くの人が言ってくれる。が、同じことをしていては次第に「また、同じパターン?」と言われる。スタイルは同じでいい。黒澤明監督でも、小津安二郎監督でも、大林宣彦監督でも、どれを見てもその監督だと分かる。それはスタイル。それとは別にスタイルの中で新たな挑戦が大切。僕の場合。
「ストロベリーフィールズ」は青春ファンタジー。
「青い青い空」は青春書道映画。
「朝日のあたる家」は原発事故に巻き込まれた家族の悲劇。
「向日葵の丘」は映画研究会の女子高生たちと30年後の再会物語。
「明日にかける橋」は久々のファンタジー。でも、今回は幽霊ものではなく、タイムスリップもの。
さらに詳しく見ると「朝日のあたる家」は原発事故が題材だが、原発の怖さを描きながら「家族の絆」の物語。「向日葵の丘」も映画研究部を舞台にした「青春もの」だが、大人の再会ドラマでもある。今回は
「ファンタジー」でありながら、家族物語であり、「刑事ドラマ」も取り込んでいる。
これが初挑戦。家族ドラマ。青春ものはやっているが刑事ドラマはかつてない。これがなかなか難しい。10代の頃に見ていた「太陽にほえろ」のようにはしたくない。と言って「踊る!大捜査線」ではない。あれこれ考えて一番好きな「特捜最前線」を参考にした。
あのドラマの特徴は「西部警察」「あぶない刑事」「トミーとマツ」「俺たちの勲章」等と違い、非常にリアリティが強かった。日本の刑事ものは「太陽に」を代表として「青春もの」の要素が強い(「西部警察」はアクションものだけど)でも、10代の僕はひねくれ者で、それらが好きではなく。「新宿警察」が好きだった。(誰も知らないだろう?)
20代でも「特捜最前線」だ。なので社会性の強い刑事ものにしたかった。そんな「特捜」に誘拐のエピソードがあり、それを参考に、あと「天国と地獄」(黒澤明)を見直す。それからアメリカ映画では「フレンチコネクション」と「ダーティーハリー」。この2本は10代から何度も繰り返し見ていた。
が、いざ、自分で刑事ものをやるとなると、見方が変わり発見があった。映画ファン。映画スタッフ。映画ライターといろんな人に聞いたが意外に皆、気づいていなくて、それにも驚いた。この2本。アクション場面とか、見せ場では音楽を使っていないのだ。逆に効果音がとても効果的に使われている。そして音楽も効果音のような曲になっている。
ポパイ刑事が犯人を追って地下鉄を車で追うシーンも、音楽なし。最後の最後に犯人が階段を降りて来て、ポパイに気づくシーンで初めて音楽がかかる。それも効果音のような曲。ハリーがクライマックスでスコルピオと対決するまでの下りも音楽なし。それで気づいた。この2本の特徴は他の刑事映画と違い、リアルであること。見ていて「爽快感」より痛みや苦しみが伝わる。
で、気づいたのだが、音楽はドラマを盛り上げる効果がある。感情を高ぶらせる力。感動を呼び起こすこともできる。が、同時にリアリティをなくすという反動もある。もし「ダーティハリー」のアクションシーンで音楽が流れたら、爽快感は出るし、活劇らしくなる。でも、現実感が失われる。それをやっているのが「007」シリーズ。ボンドの活躍する場面では「ジェームズボンドのテーマ」が流れる。
「スターウォーズ」はジョンウイリアムスの音楽で盛り上がり、それによって「銀河の果ての遠い遠い場所」での物語になっている。僕もそれが好きで毎回、音楽を多用した。が、今回は少し違った表現を試みた。刑事ドラマの部分と、あと、健太が交通事故に遭うシーン。音楽で盛り上げると、現実味がなくなり、物語がファンタジーでもあるので、弟が簡単に助かるのではないか?と思われたくなかった。
リアリティを強めて、ファンタジーというより家族ドラマを見ている気分にしたかった。通常の家族ドラマで死んだ家族は生き返らない。つまり、ファンタジーなのに、ファンタジーではない現実感がある物語にしたかったのだ。「007」でいくら人が殺されても観客が悲しんだり、涙したりしないのは、フェンタジー的な演出でリアリティをなくしているから。その逆をしたかった。
そこで映画のオープニングテーマが流れてから30分ほどは音楽なし。これは初めての試しみ。交通事故のシーンでも曲は流れない。そして脅迫電話の場面。犯人が健太を殺すのか?というシーンも曲なし。身代金を運ぶシーンは音楽。ここもサンスペンスを盛り上げるのではなく、悲しい曲。犯人逮捕も曲なし。
それでいて、その後はまたいつものようにバンバン曲を使ってクライマックスを盛り上げた。ここはいつもパターンだが、刑事ドラマパートは音楽を抑え、効果音。例えば電話のベル。砂利を踏む音。蝉の声。などで見せる。現実感が漂い。「健太は助かるのかな〜」と感じる。ここでバンバン音楽が流れると安心感を持ってしまう。無意識にファンタジーだから、子供が死んだりしないよね〜と感じてしまうのだ。
それがあるので主人公が健太を背負って歩くところで、えーーこんな結末なの〜。酷い〜。と観客は感じる。これが健太でなく、宇宙人の子供。ETなら音楽を使ってファンタジーの世界に観客を連れ込んだ方が感情移入できる。でも、健太は人間なのでファンタジーにすると「助かるよね!」と思えてしまうのだ。
そんな訳で今回は音楽少なめな場面も多い。全部合わせるといつもと変わらない数の音楽を使っているのだが、そんな演出をしてみた。映画はシナリオだけではない。そんな手法によってドラマに引き込まれたり、ハラハラしたり、泣けたりもする。DVDをお持ちの方。ぜひ、その点を注意して見てもらうと別の楽しみ方ができるはずだ。
故郷映画で金儲けを企む人たち。それってどうなの?=結局バカをみることに! [地方映画の力!]
故郷映画で金儲けを企む人たち。それってどうなの?=結局バカをみることに!
地方映画。故郷映画。呼び方はいろいろあるけど、基本は地元PRのために映画を作ろう!というプロジェクトだ。
「でも、町のPR映画にしてはいけない!」
という話は何度も書いた。都会のアンテナ・ショップのモニターで流した方がいいような観光案内映画を映画館で金を取って上映して大失敗した街はたくさんある。
今回は別の失敗談を紹介する。基本、故郷映画は地元の人たちが寄付を集めたり、自治体が予算から製作費を捻出して製作する。皆、儲けることより、多くの人が映画を見てくれることで地元を知り、訪ねてくれることを目的とする。その意味では数千万円で作った映画が2ばい3倍の効果を発揮。地元をアピールする。
だから、地元の人たちは皆、ボランティアで参加。交通費も、食費も自腹で頑張る。なのに、そんな映画プロジェクトで金儲けを企む人たちがどの街にもいる。
ある鉄道会社。地方では赤字路線が多く、経営に苦労している。後輩監督のB君はそんな地方の鉄道が好きで、彼が関わる作品では、それらの駅を舞台に映画を作ろうとした。
古い駅舎は絵になる。また故郷映画では地元密着が大事。どちらにもプラスだ。また、JRはどこも映画撮影に非協力的で、許可を取るにも時間がかかる。その点、地元の鉄道は協力的だし、何より先方のPRになるのだから応援してくれる。以前に撮影した町の鉄道も好意的で、いい感じで撮影ができた。ところが新作の舞台。その鉄道会社は違った。
「撮影するのなら使用料を払ってもらいます!」
と言い出した。それもホームは5万円。駅舎は4万円。電車の中は20万円。とメニューまで作っていた。さらに、撮影には駅員が立ち会うので、その日給を2万円という。B君のプランでは主演女優が電車に乗り、ホームで降り、駅舎から出てくるシーンがある。
それだけで35万ほど支払わなければならない。低予算でその額は大きい。何よりもおかしいのは、製作費はその町の人たちの寄付。それを地元の鉄道会社が儲けにしてしまおうというのだ。映画の舞台となれば宣伝になる。全国で公開される。配信やDVD発売もある。その駅と鉄道は何千万円分もの宣伝をしてもらえることになる。
にも関わらず、使用料を払えというのだ。地元の人たちの寄付を自社のものにしようとするのだ。自分たちも地元の一員だという意識がないのか? 自分たちも寄付をしたいというのなら分かる。タダで撮影してくださいも分かる。それが「金を払え」だ。
B君は予算的に厳しいという理由もあったが、市民の金を、それもぼったくりバーのようにあれこれ理由をつけて製作費を吸い上げようとする姿勢に激怒。
「何より故郷愛がない人たちの鉄道や駅を舞台にして撮影しても、いいものはできない!」
そう感じて、シナリオを書き換えて鉄道も駅も出てこない物語にしてしまった。結局、バカを見たのは鉄道会社だ。撮影をすればタダで全国にPRしてもらえるのに、欲張ったばかりにそのチャンスを不意にした。
あとで聞くと、その鉄道は赤字路線。かなり厳しい状態だという。そんな時、ある県の鉄道会社がテレビ取材等で使用料を取り、利益を得ていると聞く。
「それはいい! 我が社もやろう!
それで赤字を少しでも解消しよう!」
だが、大きな間違いがある。大手テレビ局なら5万、10万と言われれても「ああ、分かりました!」と払ってくれる。理由をつければ額は上がる。
自社の社員には給料を払っているのに、撮影に同行させて映画会社から日給を取るなんておかしいのに、それでも通ってしまう。大手のテレビ局ならオーケーだ。
でも、故郷映画は違う。1万円、1千円を節約して映画作りをする。そもそもが地元の人の寄付だ。大切に使う。なのに、大手テレビ局と同じように、鉄道会社は多額の使用料を請求。愚かとしか言えない。
結局、撮影は鉄道抜きで行われ完成。映画はヒット。それを聞いた鉄道会社の関係者は後悔したという。タダでも撮ってもらえればよかったと。さらにB君の元に大手テレビ局からこんな話が来た。
「今、地方の鉄道を紹介する番組を企画しています。そちらの映画で主演女優の**さんが乗った電車も紹介したいので、映像をお借りしたいのですが.....」
ゴールデンタイムの特番だった。が、映画では鉄道シーンは全てカット撮影していない。局に貸す映像は当然ない。もし、その場面が撮影されていたら、費用対効果は数千万円。その鉄道は全国のテレビで宣伝できたのだ。
目先の金を得ようとしたために、大きな機会を失ってしまったのだ。地方にはそんなタイプの人がよくいる。地方PRがうまく行かないことが多いが、その種の発想しかない人がせっかくのプロジェクトを破綻させることが多い。目先の利益。個人の利益。会社の利益ではなく、町の故郷のメリットをまず考えることこそが成功への鍵なのだ。