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映画「ボヘミアン・ラプソディ」②=表現者の人生をとは?悲しみを癒すために作品を作り続けること [映画感想]

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【映画「ボヘミアン・ラプソディ」②=表現者の人生をとは?悲しみを癒すために作品を作り続けること】

映画を観てから1日経つが、まだ衝撃が続いている。僕は中学時代から映画ファンだったが、映画以上に音楽を聴いていた。

ただ、映画に関しては好きな監督や俳優がいれば、背景や経歴を調べたりしたが、音楽に関しては自伝を読んだりはしなかった。スピルバーグには会ってみたかったが、ミックやポールに会いたいとは思わなかった。歌を聴くことで十分、彼らの思いや人生を感じると思っていた。

だから、バンドメンバーの名前は知っていても、フレディー・マーキュリーのプロフィールは知らなかった。てっきりイギリス人だと思っていたが、映画を観てインド出身だと初めて知った。厳格な家庭で育ったことも知らなかった。ゲイで派手な人とは知っていたが、結婚して、その人と生涯、友達でいつづけたとは知らなかった。以前、記事に書いたこと。

「アーティストは悲しみを癒すために作品を作り続ける」

まさにそれを体現したのがフレディーだ。父親に愛されない。ゲイであることの辛さ。妻との溝。仲間との葛藤。そんな苦しさから生まれて来たのが数々のヒット曲。「ボヘミアン・ラプソディ」はまさにそれだ。歌詞を読むとフレディーそのものだ。

そして、曲がヒットしても、有名になっても、金持ちになっても、その苦しみは拭われず、より孤独になっていく。魑魅魍魎やコバンザメはたくさん寄って来るが、本当に愛する人は離れて行く。有名人が人嫌いになり、壁を作るのはそこに背景がある。

俳優の卵に会うと「有名になりたい!」という子がよくいる。が、有名になることのメリットしか知らない。有名であることがどれだけ悲しく、辛いことか? デメリットの方が多いことを知らない。そしてお金や名誉が何ら心を癒すものではないこと。多くのアーティストを見て感じる。最後にフレディーは言う。

「音楽を作り聴いてもらうことが、俺の人生の意味だ」

胸に突き刺さる。俳優でも、作家でも、歌手でも、芸人でも、映画監督でも同じ。最後はそこであること。改めて感じる。テレビに出る。月9に出る。CDを出す。インタビューを受ける。雑誌に掲載される。そんなことに憧れる若い人たちがいる。そんなことばかり語る。でも、大切なのは何を表現するか?なのだ。

フレディーは悲しみと苦しみを歌にして伝え、本当に大切なものを最後に知り、死んで行った。それが表現者の人生なのだと思えた。


この記事=>https://aozoraeiga.blog.so-net.ne.jp/2014-06-21

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アーティストは、抉れた心の傷を癒すために作品を作る。(2014年の記事から) [映画業界物語]

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俳優。歌手。小説家、脚本家、画家、

いわゆるクリエーター。或はアーティスト呼ばれる人たちは、「才能」ある(という言葉を僕は使わないが、多くの人はそれで理解しようとするので)素晴らしい人たち。と羨望の目で見つめられる。成功すれば、お金も名誉も手に入り。多くの人の尊敬を集める。表面的にはそうだが、実像は人々が想像するものとは大きな隔たりがある。

ミュージシャンにしても、

ギター片手に武道館でシャウト。多くのファンの声援に応えオリジナルソングを歌う。しかし、彼ら彼女らが抱えるダークサイドを人々は知らない。

アーティストがなぜ、作品を作れるのか? 素晴らしい歌や物語。芝居や小説。それは「才能」があるからーなんてことではない。作品を作ってるつもりでも、無意識の内に抉れた心を癒すために、血を流しながら人生を見つめるのだ。その過程で過去の傷と対峙する。だからこそ、作品は多くの人を感動させる。もちろん、センスと器用さで作品を作る人もいるが、多くは自分と対峙している。だから、作品で涙する。机の上で「こんな物語を書けば、読者は泣くはずだ」と想像して書いた物語で観客を感動させることはできない。

子供の頃から差別され、踏みつけられ、

不幸だった人。親に愛されなかった子供。いや、何不自由なく成長したように見えても、人には分からない悲しみを引きずったまま、大人になってしまった人たち。彼ら彼女らが、意識するしないに関わらず、抉られた心を見つめ、埋めようとするのが表現なのだ。ハリウッドを思い出してほしい。成功した多くの作家はイタリア系かユダヤ系だ。どちらも阻害され差別され続けた民族だ。

スピルバーグ、ウッディ・アレン、バーブラ・ストライサンド、ダスティン・ホフマン、カーク・ダグラスはユダヤ系。コッポラ、アル・パチーノ、シルベスター・スタローン、らはイタリア系。アングロサクソン系は意外なほど少ない。日本でも実は同じ、芸能界でがんばっているのは同じような環境の人たちだ。

つまり、忘れられない悲しみや苦しみを背負い、

それを作品にすることでしか昇華できない人たちが、アーティストとして成功する。さらにいうと、金持ちになった。有名になった。人気者になった。それで満足できる人はクリエーターを続けることはできない。そんなことで癒せない「悲しみ」を抱えた人が作品を作り続ける。ミュージシャンの尾崎豊も、そんな壁にぶつかった1人。


大人たちに反抗。高校を中退。が、傷ついた十代の思いを歌った「17歳の地図」で人気を得た。が、アルバムが売れ、認められたことで、誰も彼を批判しなくなった、むしろ賞賛。だから、2枚目のアルバム。かなり厳しかった。悲しむ必要がなくなったのだ。そしてサードアルバムでは、歌を作れないでいる惨めな悲しみを歌い。復活するのだが、結局、ドラッグに走りムショに入る。

先日、逮捕されたASUKAも同じだと思う。

曲がヒットし、人気が出て。お金も名誉も手に入ると、悲しみがなくなり、作品が作れなくなるのだ。ドラッグに手を出すアーティスト。そんな背景であることが多い。

歌手だけではない。僕のよく知る若手女優も同じだった。最初は家族から反対され、事務所もさじをなげ、映画やドラマのオーディションには落ちてばかり。悲しみの中で、もがいていた。が、チャンスを掴み映画に出演。輝かしい活躍をした。そのことで家族も女優業を認め、応援してくれるようになった。ファンも増え、恋人もできた。事務所も有名なところに移った。出演依頼も続き、幸せいっぱい。だが、ハングリーな思いをなくし、人の心を打つ芝居ができなる。

プライベートな事件で、演技に集中できず。

素人レベルの芝居をしてしまう。女優失格ともいうべき事態。映画が大変なことになり、多くの関係者がが迷惑、彼女は出演依頼がなくなる。なぜ、女優業よりプライベートを優先したか? それは女優として成功しなくても、家族の「愛」で傷は癒えたのだ。

だから、演技よりプライベートが気になり、気持ちの入らない素人芝居をしてしまった。ここで彼女の女優人生は終わった。それに対して、小さな成功では癒されない深い傷を心に負った人々。一生作品を作り続けるアーティストたち。名声と経済的成功では癒されない心の深い傷を抱えて戦う。

本当に幸せなのはどちらだろう? その女優の方が幸せなのかもしれない。親が理解し、恋人ができれば癒される程度の傷。女優業を辞め平凡な結婚をすることが、今の彼女にとって一番の幸せだろう。もう「悲しみ」と対峙する必要はない。大成功して、金持ちになり、有名にならなくても、ハッピーなのだから。

傷が浅ければ小さな成功で癒すことができる。

が、アーティスト生命もそこで終わる。傷が深ければ作品は作り続けられるが、一生幸せにはならない。人は「才能」があるから作品が作れると思うが、そうではない。作品を作り続けないと、抉られた心を癒すことができないから。だから、心の深い傷を埋めるために格闘する。それがアーティスト。遠くで見ているほど幸せでも、ハッピーでもない。本当に幸せなのは「私は才能も何もない小市民だね?」と笑える人なのではないだろうか? 

2014-06-21



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