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映画「ボヘミアン・ラプソディ」① F・マーキュリーが探し続けたもの=心に突き刺さる作品。ぜひ観てほしい! [映画感想]

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【映画「ボヘミアン・ラプソディ」F・マーキュリーが探し続けたもの=心に突き刺さる作品。ぜひ観てほしい!】

中学時代。毎日、ビートルズを聴いていた。高校時代になり、R・ストーンズ?にはすぐ進まず。次に聴いたのはクイーンだった。友人の勧めだったと思うが、大阪キタの東通り商店街のサウナ・ニュージャパンの前にあった輸入レコード屋で「オペラ座の夜」を買った。

「何じゃこれは〜!」

衝撃だった。特に「ボヘミア・ラプソディ」は驚愕した。フレディ・マーキューリーの自伝ともいえる映画「ボヘミア・ラプソディ」を見て、その曲が当時、シングルカットされず、マスコミからは評価されなかったことを知り、驚かされる。

「6分もあるからラジオで流せない? バカじゃないか?」

マスコミだけでなく、レコード会社のPがまずシングルカットを反対した。クリエイティブな業界でもいつの時代も新しいものを拒否する古い人たちがいるということを感じる。でも、そんな作品こそが新しい時代を築く。

映画ではクイーンのデビューから、F・マーキュリーの死までが描かれる。ミュージシャンの伝記映画は心に突き刺さるものが多い。

レイ・チャールズの「レイ」
リッチー・ヴァレンスの「ラバンバ」
ジャニス・ジョプリンの「ローズ」
エルビス・プレスリーの「エルビス」
(これは何と、あのJ・カーペーターが監督でC・ラッセルがエルビス!)

どれも胸詰まる。今回の「ボヘミア・ラプソディ」は特に感じるものがあった。ミュージシャンでも、作家でも、俳優でも、映画監督でも、同じ。傷だらけの魂を癒すために作品を作ること。しかし、名声も、大金も、名誉も、その深い傷を癒すことができないこと。今回の映画でも感じる。

クライマックスは1985年のライブ・エイド。これを僕はLAでテレビ中継を見ていた。USCのドミトリーで。それから30年ほど。いろんなことを感じ、思い出し、心に突き刺さるものを、見つめてしまい、今はうまく感想を書けない。今夜は夜中までクイーンを聴く....。

俳優、作家、映画監督等、表現者を目指す人はぜひ、見てほしい作品だ。

参考に=>この記事=>https://aozoraeiga.blog.so-net.ne.jp/2014-06-21

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【今の時代。無料の情報は信頼できない。金を出してこそ娯楽も情報も手に入る?=「オプエド」的番組を時代が求めている?】 [my opinion]

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【今の時代。無料の情報は信頼できない。金を出してこそ娯楽も情報も手に入る?=「オプエド」的番組を時代が求めている?】

よく見るAmazonプライム、「オプエド」は地上波ではなく、ネット番組。そして有料。「オプエド」は基本無料だが、アーカイブを見たり、番組を最後まで見るには会員になり料金を払わねばならない。僕は今年から有料会員になった。月900円で番組が最後まで見ることが出来て、月3本までアーカイブを見ることができる。だから今は好きなときに、何処ででも「オプエド」を見ることができる。

例えば小沢一郎が出演する。

今、何を考えているか? 知りたい。野党共闘はどうなっているのか? でも、地上波にはあまり出演しない。出ていても忙しくても見れないことが多い。そんなとき「オプエド」はありがたい。出先でも、風呂でも、iPadで見れる。

Amazonプライムも同じだ。その両者の共通点。有料であること。対して多くの地上波。時間が限定される。テレビがないと見れない。あとで見るには録画しなければならない。その上、見たい番組が本当に少ない。つまり、今の時代。必要な情報を便利に得るには、ある程度の料金を払わなければならないということ。

テレビは無料なのだから、

文句いうなら見なければい。録画してまで見る価値がないなら録画しなければいい。古くからのメディアである新聞だって料金を支払うのに、テレビがタダで見れるということが長年続いた。そのため日本人は娯楽やニュースは無料と思い込んでしまったのだろう。

先日、久々にテレビをつけたらワイドショーをやっていて、お笑い芸人のコメンテーターが野党批判をしていた。首を捻るものなのでチャンネルを変えると、別の局ではキャスターが野党批判をしていた。

なるほど、テレビは広報になっているのだ。

ポストにいっぱい入ってるチラシと同じ。料金は取られないが、特定の企業や店の広告。それと同じ存在。ま、新聞は金を取るが、スポンサーの広報紙になりがち。産経新聞がついに全国紙の看板を降ろしたのも、その辺を読者に見破られたから。政党の機関誌を購読する人は党の支持者だけ。

今は自分たちが信頼できるメディアを金を出して見る時代になって来たようだ。それも忙しい人々が見たいときに見れる。時間や場所を指定されない。そして事実を伝える。それが報道メディアに求められているように思える。


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混迷の時代を生き残るために。情報と考える力の関係=もうダマされないぞ!と言える時代が来た? [my opinion]

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【混迷の時代を生き残るために。情報と考える力の関係=もうダマされないぞ!と言える時代が来た?】
先にも記事にしたが、「正しい情報」と「考える力」がこれからの時代のキーワードだと思えている。俳優になるにも、映画を作るにも、子供の教育も、政治も、テレビも、みんなこの2つが決定打となる。

まず、情報。少し前の日本。どの新聞を見ても、どの報道番組を見てもほとんど同じだった。そこに80年代後半「ニュースステーション」という画期的な番組がスタート。テレビ報道を変えた。分かりやすいニュースがモットー。いち時代を築いた。

が、2010年代に入り、特に第二次安倍政権から報道はフェイクニュースの時代なった。政府に都合のいい情報を流し、都合の悪いものは流れない。脚色。誇張。言い換え。真実が伝わって来ない。これで正しい情報が得られない。

原発問題がまさにそれだった。電力会社があれほどの力を持ち、原価総括方式というとんでもないやり方で電気代を徴収して大儲け、いち地区に1つの電力会社しかないのに、巨額の宣伝費を使っていたこと。全然知らなかった。その間に日本には危険な原発が52機も作られてしまったのだ。

もうひとつ問題がある。日本の教育だ。これは何度も書いたのでストレートにいうが、「考える力」を育てる教育が行なわれて来なかった。覚える。記憶する。論理的に考えるという与えられたことを正確にするための力を育てるものだった。だから、考える力が育たない。自分の意見を持たない日本人と言われる所以だ。

正しい情報がなく、考える力がない国民。これではアリと同じ。支配者には都合いいが、国民はどんなに酷い目に遭っても、無駄なことをさせられても気付かない。それでもバブル崩壊まではそれでよかった。戦後の焼け野原から経済大国になった。が、時代が変わった。世界に誇る電化製品を作っていたメーカーは韓国に抜かれ、失業者が増え、給料は上がらず、仕事がない。

しかし、地方のオヤジは昔ながらの公共事業をしてほしい。政府から補助金がほしい。と、自分で考えずに古い発想を振り回すばかり。まあ、考える力がない上に、正しい情報がないのだから、それしか思いつかないのだ。

そこで思い出すのはネット。その普及により、これまでに知り得なかった情報まで知ることができるようになった。昨日も読売新聞社主の渡辺恒男が死去の情報が流れた。が、テレビ、新聞では未だに報じていない。政局にも影響を持つ大物なので、事実を隠し、何かが行なわれているのだろう。どの組織でも巨大な権力を持つカリスマが死ねば大変なことになるので、隠すことが多い。(あの団体もね!)

でも、この情報も本当か?どうか?分からない。ネットではデマ、作り話、ウソ、勘違いの情報もゴマンと流れている。といってネットは信用できないか?というと、マスコミが躊躇して報じることのできない情報が流れたりする。

その状況、決して悪いものではない。昔はNHKが報じれば事実と思った。でも、今は政権の大本営発表。野次られる首相のスピーチ、ヤジを消して放送したりする局だ。集団的自衛権が論議されているときは、強行採決されるまで解説番組はなかった。そんな局の報道を信じることはできない。

なのに、これまでは多くがNHKは信頼できる。と思っていた。考える力がなくても、報じられることは事実と思えばよかった。それがネットによって、あれこれ情報が増えると、誰だって「どれが本当だろう?」と考える。そこから考える力が育ってくるのではないか? ただ残念ながら、

「ネットなんて信じられない。やっぱりNHKだ!」

という人もいるだろう。それはもう過去に生きてもらうとして、今ネットを使える人は嫌が上でも考えることを強要される。ただ、心配なのは、同じ発想の人ばかりが集ってしまうこと。TwitterでもFacebookも趣味志向が同じ人が集る。

原発反対なら反対。推進なら推進。安倍内閣批判なら批判。僕のまわりはそのタイプばかりだが、あるときネットで調べていると、安倍支持という人も結構いて、そんな人の「友達」や「フォロワー」は皆、安倍支持。そのグループにいると、

「安倍総理。頑張れ。安倍総理、がんばれ!」

というのが当然という空気なのだ。だとしても、支持しない人。推進しない人がいることも、ネットではいずれ分かる。そうなれば考えることができる。安倍支持の人のツイートを見ると、地方の人で、お年寄り、NHKしか見ない人とか。あーなるほど、と分かってくる。

いろんな背景はあるが、考える機会が増える。その内に、いろんなことが見えて来て、正しい情報が見えて来る。もちろん、本当に正しいのがどれか?は分からない。先日書いた「トランプの背景」に関しても、

「でも、本当かどうか?分からないね」

とコメントする人もいた。けど、それで終わってはいけない。「分からないね」で考えるのを止める人が多いが、どの仮定がいちばん真実に近いか?を考えることはできる。なのに、

「いち市民には真相究明はできないから」

とそれで終わるからダメなのだ。いろんな情報と照らし合わせ。その情報はどこから来た情報で、誰が発信したもので、その人に事実を知りうる背景があるのか?精査する。

「その人の情報はこれまでも正しかったか? デマを振りまく人ではないか?」

それを自身の目で確かめること。みんながデマ野郎と呼んでいるといっても、自分の目で発言を確かめる。顔が怖いから、うさん臭いから、そんなことで決めてはいけない。うやって名探偵のように考えていけば、ネット情報だけでも、かなり真相に近づけるはずだ。

僕の場合はさらに専門家に聞く。情報通に聞く。関係者に聞くということをするが、それは仕事がら、いろんな人との付き合いがあるからできることで、普通はできないかもしれない。が、ネットだけでも、正しい情報に近づける。僕がいつも気をつけるのは、ミステリー小説の推理と同じで、

「そのことで、誰が得をするか?」

を考えること。一番得をする人が、会社が、国が、企んだことである場合が多い。その情報がフェイクなら、そのことで誰が得をするか? 誰が隠そうとするか? 隠す理由は何か? そうやって答えが見えて来る。それが出来る時代になったと思える。情報があれば「考える力」が育つ。考える力があれば、情報を読み解ける。時代はいい方向に向かっていると思える


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【夢を掴むこと。そして夢破れること。果たしてどちらが幸せか?】 [映画業界物語]

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【夢を掴むこと。そして夢破れること。果たしてどちらが幸せか?】

10代の頃。友人でミュージシャンを目指していた奴がいた。根性があり、行動力があり、バンドをやっていて、彼はギターを担当。ルックスはよくなかったが、リーダー格。プロを目指していた。バイトをしながらバンド活動をしていたが、いろいろあって、バンドが解散。次のメンバーを集めるべく動いた。

そんなときに見つけた割のいいバイト。彼はそこで働きだした。もともと行動力があり、明るい性格。店長に気にられて、支店を任された。給料もいい。当時は風呂なし、トイレ共同が大学生なら当然だったのに、同じ歳頃の彼は風呂付き、トイレ水洗のアパートに住むことになる。

友人たちは羨ましがったが、彼なりに葛藤があった。バンドメンバーが見つからない。対してバイトはうまく行っていて、下手なサラリーマン以上に稼いでいた。店長からは正社員にならないか?誘われていた。が、彼は夢を捨てられず、バイトを辞める。そして故郷に戻り、バンドを続けることを決意。

その後、彼は地元のある会社でバイトしながら、昔のメンバーとバンドを再結成しようとしていた。が、ここでも会社で気に入られ、正社員になれと勧められた。その内に素敵な恋人ができて結婚。結局、正社員になった。数年後に子供ができたと聞くが、僕が連絡しても、もう返事はない。

夢を諦めたことを気にしているのだろう。僕はそれから10年ほどかかり、監督デビューする。さらに8年ほどかかり映画監督デビュー。それから12年間に5本の劇場用映画を撮った。が、ハリウッド監督とは違い、日本の監督たちは貧しい。そして貧乏暇なしで、結婚もせず(できず?)子供いないまま50代になった。

この30年を振り返り考える。彼と僕とどちらが幸せなのだろうか? ドラマなら夢をつかんだ方がハッピーエンドであることが多いが、現実的に考えて、果たしてそう言い切れるか? この先、60代、70代と映画が撮り続けられる保証はない。そこから会社員にはなれない。どうやって生活すればいい? そうならないためには戦い続けるしかない。

一方の友人。あと5年くらいで定年だろう。あとは年金生活。子供も成人して働いているはず。日曜日は友人たちと素人バンドをしているかもしれない。そんなふうに考えると、夢を実現したからと、ハッピーとは言い切れない。アメリカ映画のように名誉や金が日本では手に入るわけではない。

俳優業も同じだ。もう、何十人、何百人もの俳優志望の若い人たちに出会った。その中でプロになったものは極々わずかしかいない。が、それは悲しいことではない。そこから彼ら彼女らは平凡だがささやかな幸せを掴んでいるかもしれない。だとすれば、夢破れたことがよかったと言えるだろう。

プロになっても、そこでハッピーエンドではなく、俳優業で食えるようになること。映画やテレビに出演すること。より大きな役を演じること。と、終わりのない戦いがスタートする。そしていつ依頼がなくなり、仕事が途絶えるか分からない業界。生き残るのは一握り。

ミュージシャンへの夢破れた友人。僕を羨んでいるかもしれない。が、どちらが幸せといえるのだろうか? その答えはそれぞれに違うと思うが、言えることは、僕には堅気の生活はできない。だから、この道を進むしかない。幸せか不幸かではない。そんな世捨て人が集まるのが、この業界なのだとも思える。



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