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俳優とはどういう仕事なのか? 今までと違った角度で説明する。=オリンピック選手と同じ? [映画業界物語]

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俳優とはどういう仕事なのか? 今までと違った角度で説明する。=オリンピック選手と同じ?

俳優というと、綺麗、カッコいいという印象をまず持つだろう。それは間違ってはいないが、それだけならモデルと変わらない。何が違うか?というと、演技ができるというところだ。つまり、俳優はかっこ良くなくても、イケメンでなくても演技ができること重要なのだ。

しかし、演技というと、台詞を覚えて話すだけと思い。「それなら私にだって出来る」と思いがちだが、それがなかなか大変な作業だ。説明するのはむずかしいが、あえて書いていこう。

まず、台詞を覚える。それも暗記するだけではダメ。それを自分が感じ、思っていることのように話せなければならない。日常会話でも人から聞いた話しを相手にするより、自分の体験を話した方が伝わること。感じたことのある人がいるだろう。

別の例を上げれば、結婚式のスピーチでいい話をしようと、聞きかじった話をしても多くには伝わらない。が、自分の体験談を話すと感動を呼ぶ。とその手の本にはよく書かれている。それは正解。同じ言葉を話しても、経験したことと聞いたことでは重みがまるで違う。


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戦時中の話でも、それを経験したおばあちゃんの話を聞くと胸に突き刺すが、本を読んで戦時中を語る先生の言葉は右から左に抜けて行くことが多い。そんなふうに体験というのは、とても大きい。それがないのに、当事者であるかのように話すのが俳優である。

戦後生まれの俳優が、太平洋戦争の兵士を演じる。今も家族は元気なのに、一家が惨殺された被害者を演じる。一度も経験がないのに警察官を演じる。先の論法に従えば、経験のないことを語っても説得力やリアリティがなく、相手に伝わらないものだ。

にも関わらず、俳優と言う仕事はそれを超えて当事者としか思えない演技をし、台詞をしゃべらなければならないのだ。例えば故・大滝秀治が「特捜最前線」で演じた刑事。彼の言葉を聞くと、もうベテラン刑事としか思えない。現場で苦労に苦労を重ねて事件を追う警察官が持つ、執念や悩みが伝わって来る。

でも、大滝さんは若い頃から民芸という劇団で俳優をしていた。警官の経験はない。そんなふうに経験していないのに、その職業、人物、としか思えない動き、話し方、振る舞いをすることを演技というのだ。ドラマを見ていると、自分にも出来そうと思いがちだが、大変な仕事であることが分かるだろう。

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俳優という仕事はそれだけではない。役に成り切ればいか?そうではなく、撮影現場ではいろいろ制約がある。例えば、部屋に入り、ドアを閉めながら台詞。部屋の中央に3歩進み、止まって再び台詞。そこで涙を流す。とかいう段取りが要求される。自分で考えた段取りで動き、台詞をいうのではなく、カメラや照明の都合で、その順番、歩数。位置を守らねばならない。

演技をしなくても、その通りに動くのは難しい。なのに、芝居をしながら、感情を込めながら、それをこなすのは、もう名人芸と同じだ。曲芸とも言える。サーカスで見る。空中ブランコ、玉乗り、人間ロケット。見るだけで凄い!俺にはできない!と思えるそれらと、演技は同じ曲芸といえる。

例えば先の設定で演技する場合。俳優はまず、動きとタイミングを覚える。それを間違わないように、客観的な自分がいる。「ドアを開ける。入る。閉める。台詞。3歩歩く....」と考えながら動く。

同時に、その役、例えば仕事で打ちのめされて帰宅する場面だとすると、その日のショックを噛み締めた表情で、台詞がなくても「何で、あんなミスをしちゃったんだろう。考えれば分かるのに...同僚にも迷惑をかけたし、俺は最低だ..」とか考えている。

客感的な自分と、落ち込む役の2つが俳優の中で存在する。客観が強過ぎると落ち込む役が疎かになる。落ち込みを重視すると、歩数やタイミングを間違う。その2つを同時に成立させるのが俳優という仕事なのだ。それ器用ということだけでは出来ない。スポーツ選手に近い能力なのだ。

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オリンピックの競技を見ていても分かるが、平行棒とか、ただ体力があればできるものではない。まず、頭でどう動くか?考える。が、思った通りに体は動かない。それができるまで練習する。これは以前の記事で書いたアウトプット作業。繰り返し年月をかけないとできない。

アイススケートでも同じ。途中でスピンをするのも、頭では3回転と思うが、体が着いて来ず転ぶ。練習を繰り返し、頭で考えたことを体が体現できるまで練習する。俳優の仕事もこれと同じだ。その役がどんな人物なのか?考え、プロフィールを作り、その自分に成り切り、台詞を空で言えるまで覚える。撮影現場で指示された動き通りに動く。

長い台詞の場合はどこで盛り上げ、どんな着地をするか? 考える。これもスケートや平行棒と同じ。途中でひとつでもタイミングを損なうと全部がダメになる。着地できない。決まらない。台詞も同じなのだ。それを事前に考え、計算し、何度も練習して、撮影に挑む。それが俳優が演じるということ。

見ているだけでは分からない。精神と肉体の戦い。もの凄いストレスとプラッシャーが襲う仕事なのだ。劇団系の俳優でしっかりとした演技ができる人が多いのは、何年も舞台に立ち、いろんな役を繰り返し練習し、演じて来たからだ。オリンピック選手と同じ。ひたすら技術を磨くために練習を繰り返す。

モデル出身の俳優が何か軽いのは、そんな経験なしに「カッコいい」「可愛い」というだけでドラマ出演してしまうからだ。メンズノンノ出身だった阿部寛も、最初はもう見てられないような芝居だったが、今ではベテランの風格。いろんなドラマをこなし、試行錯誤して、それこそ先の大滝秀治さんを師と仰ぎ、アドバイスを受け、現場を何度も踏んで来たことで今がある。

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今回の「明日にかける橋」でもそのことを痛感した。主人公みゆきを演じる鈴木杏さん。まさにオリンピック選手。間近で芝居を見ていてそう感じた。本番前の悩む姿。カメラの前での集中力。まるでアイススケートの選手を見るようだった。そして彼女の見事な演技はやはり、子役時代からのいくつも現場を踏んでいること。近年は舞台を数多くこなしていることによるものと感じる

やはり素晴らしい演技はオリンピック選手と同じ。考えたことを体で実践するためには、繰り返し練習すること。実践することなのだ。それが俳優業。カッコいいだけでは出来ない。台詞を覚えるだけではない。そこに誤解があるから多くの若い人が「俳優になりたい」というが、実はオリンピック選手を目指すというのに等しい練習と訓練が必要。そういう言い方が一番分かりやすい。

俳優はカッコいい人が台詞をいう仕事ではない。オリンピック選手のような過酷な練習をして鍛えられた能力を競う職業なのだ。


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