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【スピルバーグからの大きなチャンスを待ってはいけない。小さなチャンスを見つけて、それを繋げろ】 [映画業界物語]

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【スピルバーグからの大きなチャンスを待ってはいけない。小さなチャンスを見つけて、それを繋げろ】

先日、チャンスに気付かない俳優の卵の話を書いたところ。「スピルバーグ映画のオーディションなら行くのか?」というコメントをもらった。ああ、なるほど。

僕は不幸にも家族親戚には映画関係者が1人もいなかった。ただ、幸運にも18歳のときに映画撮影の現場を何日にも渡って見学。19歳で助監督を経験した。映画学校の同級生たちは優秀で、多くが映画の仕事をするようになった。

20歳前後にはA.D.を経験。若い頃から業界に親しむことができた。逆に若い頃のアルバイトとか、会社員の経験がなく、カタギの生活がピンと来ないところがある。そんな中で知らず知らず覚えたのは大きなチャンスはめったいにやって来ないということ。

漫画でよくあるように、漫画家志望の子が学校に遅刻しそうで走っていると、誰かとぶつかる。その人がたまたま漫画編集部で働いていた。ぶつかったショックでカバンから漫画原稿が飛び出す。

「君。漫画描いているの?」

それがきっかけでデビュー! なんてストーリーが昔はよくあったが、そんなことはまずない。漫画家だけでなく、小説家でも、脚本家でも、原稿をもって営業しても、読んでもくれないことが多い。つまり売り込んでも難しいのに、遅刻しそうで走っていてもダメ。

ただ、アルバイトをしていてもダメだが、業界と近いところにいると、チャンスがまわってくることもある。が、そのチャンスに気付かない人も多いのだ。以前、ある大手映画会社のプロデュサーから言われたことがある。

「君。***できる?と仕事を頼まれたら、必ずできる!と答えろ。そこから全てが始まるんだよ」

誰もが知る名作、話題作を70ー80年代に製作してきた大プロデュサーの言葉だ。思い出すのは「ゴッドファーザー」のフランシス・コッポラの逸話。

彼のスタートはシナリオライター。あるときプロデュサーに「君、第二次世界大戦について詳しいか?」と訊かれ、「専門家ですから!」と答えた。で、ある映画のシナリオを頼まれた。彼は帰り道で本屋に寄り、第二次大戦の専門書を買って帰ったそうだ。

その後、コッポラに別の会社からオファーが来る。彼が書いた脚本の映画を観て第二次大戦の専門家だと思い頼んで来たのだ。その映画でコッポラはアカデミー脚本賞を受賞する。

日米、同じなのだ。そんなふうにチャンスがチャンスを呼ぶ。小さなチャンスが大きなチャンスに繋がる。いきなりスピルバーグからオファーは来ない。だが、チャンスのあり方を知らない俳優の卵はこう考えた。

「小さな映画のオーディションだから、バイト休むほどのことないな〜」

学校を卒業してからずっと、バイト生活をしている彼は業界のことが分からない。素人同然の(いや、素人です)俳優の卵に、スピルバーグから依頼は来ない。ま、それはないにしても、大作映画のオーディション、有名監督のオーディションにも行ける訳がない。低予算だって無理。事務所に入っていないのだから。だから、いい経験になり、チャンスに繋がるかもしれないので、声をかけた。

すると「バイトがあるので」という答えだった。僕は若い頃から業界にいたので、気付かなかったが、彼は来るはずもない大きなチャンスを夢見て、小さなチャンスに気付かず、それよりも日常を大事にしてしまうのだ。1日バイトを休むと来月の生活にしわ寄せが行く。

だが、どんな下らない映画のオーディションでも、行けばスタッフに会う。監督と話せれば、監督という人種をナマで見ることができる。待っている間に、他の役者と話しができたり、情報をもらえるかもしれない。バイトしていても1時間1000円もらえるだけだ。その辺が想像できない。実践していたことだ。

昔は、そんなとき、そいつを呼び出して説教したものだが、今はもうしない。時間がないということもあるが、それでチャンスを生かした奴もいないからだ。別のコメントにこうあった。

「それに気付くかどうか? が成功する人としない人の違いかもしれないですね?」

その通りだろう。成功のためには努力が必要というが、チャンスに気付けるか  チャンスを生かせるか? チャンスの意味が分かるか? そんなことも大きい。俳優の卵たちに訊くと、

「月9に出たい」

「高倉健と共演したい」

「アメリカ映画に出たい」

という子たちもいる。もちろん可能だ。でも、そんなことをいうのは遠くで憧れているだけから。業界の競争を知らず、自分は特別、きっと成功するという根拠のない自信を持っているから。

「主演以外の役はしたくない」「ゴールデン枠しか出た無くない」

という無謀な希望を語る子もいる。一度、そんな奴に説教したことがあるが、何を言っても、

「僕はできますよ。まあ、見ててください。主演映画の試写会のときは呼んであげますよ!」

と自信過剰。さして二枚目でもない20代の男の子だった。その後、デビューしたという話は聞かない。映画でもテレビでも見かけない。要は現実を知らず、待っていればいつか誰かが自分を認め「君が主役だ」と言ってくれると思っている。それはシンデレラ症候群と同じ。だから、小さなチャンスに気付かない。見逃してしまう。

30年前の僕が若い頃から、そんな子たちがいた。そして、今の若い世代も同じことを言う奴が多い。若さゆえのものかもしれないが、一度、壁にぶつかるとすぐ「現実は甘くない」といい諦めてしまう。大切なことは僕が若かった頃も今も同じようだ。

「チャンスに気づき、小さなチャンスを繋げて大きなチャンスを掴むこと」

高過ぎるプライドを掲げて、高望みをしても誰も叶えてはくれない。また、日常に目を奪われていると、小さなチャンスを逃がしてしまう。そんな若い人を数多く見てきた。でも、僕は誰1人、背中を押すことはできなかった。そんな子たちに何を伝えればよかったのか? 今も考えてしまう。



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【「ウォーキングデッド」シリーズ=クリエーターの苦悩。血を吐き続けながら作り続けるシリーズものの過酷?】 [映画業界物語]

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【「ウォーキングデッド」シリーズ=クリエーターの苦悩。血を吐き続けながら作り続けるシリーズものの過酷?】




シーズン8を観て一番感じたのは、脚本家たちの苦悩だ。現在、アメリカで放送中のシーズン9。第1話の視聴率がかなり悪かったという。その理由も分かる気がした。

僕も脚本を書く仕事をしているので分かるが、1本のドキドキハラハラ物語を書くだけでも大変。それがヒットしたからと、続編。さらにシリーズ化というのは本当に戦いだ。いい例が「007」シリーズ。未だに続いてはいるが、途中からかなり酷いものが増えた。現在は過去のリメイクのような展開で、スペクターやブロフェイルドを復活させた焼き直し企画。

「インディジョーンズ」シリーズも、3作目からクオリティがかなり落ちた。だが、一度人気が出ると1作目より面白くなくても客は来る。儲かれば映画会社は製作を続ける。落ち目になり興行収入がヤバくなるまで続ける。それで大変なのは監督より、脚本家だ。別のシナリオを書くより、シリーズの2作目、3作目を書く方が大変なのだ。その辺を解説する。

例えば「007」なら、こんな決りがある。主人公はスパイ。敵は国際的な秘密組織(或は某国の情報部)、その組織による巨大な陰謀。それを阻止するために主人公は世界を駆け回る。最後に組織を倒しハッピーエンド。このルールの中で物語を作らなければならない。初期はスペクターという秘密組織との戦いだった。宇宙船が強奪されたり、原子爆弾が奪われたり、それらで世界が危機に陥り、ボンドが阻止する。

シリーズを追うごとに、毎回同じ話になり、アクションが違うだけのストーリーになってくる。といって、宇宙人が襲来。ボンドが戦うというのはダメ。それでは「007」でなくなる。悪霊と戦うもダメ。大怪獣出現もダメ。敵はリアルで現実に近い設定でなければならない。相棒が出来て「リーサルウエポン」みたいな展開? それもダメ。相棒は美女というのが「007」だ。

こうして同じような展開しかできず、製作者も困り、現在は先に書いたように過去のリメイクのようにスペクターが登場。ブロフェイルドがボンドの兄だったいう設定で進めている。これはもう製作サイドが「ネタ切れです!」と降参しているような状態。同じように、どのシリーズにも定義があり、それを破ると、そのシリーズではなくなってしまう。

面白いアイディアはたいてい初期の頃に出尽くしてしまう。なのにヒットすると「もっと作れ」「面白いのを書け」と脚本家は厳しい戦いを続けることになる。特にテレビシリーズは大変だ。「ヒーローズ」もネタ切れでシーズン3で終了したようだ。新シリーズも出来たが、ほんと酷い出来で、新しいアイディアが出て来なかったことを痛感する。

さて、「ウォーキングデッド」だ。このシリーズの定義をおさらいしよう。まず、ゾンビが増え続ける世界。ゾンビの定義はジョージAロメロが作った映画の通り。その世界で放浪するリック(主人公)たち。というのが設定。

初期は安住の地。或は事態を解決するための場所を探して旅する。が、ゾンビが行く手を阻むという物語だった。が、それを繰り返すと飽きられてしまう。そのあとは、ある場所にたどり着き、そこでの葛藤と戦いがメインになる。

最初が「ガバナー(総督)」篇(僕が勝手にそう呼んでいる)、次が「ターミナル」篇。そして「刑務所」篇、そして「ニーガン篇」細かくいうと、その間の物語もあるが、「放浪篇」を止めて、ある場所に滞在する展開に移行した。そしてゾンビVS人間ではなく、人間VS人間とドラマ内容も変化する。最初が「ガバナー」篇。総督と呼ばれる男の物語だ。一見、親切で、豊かな町。しかし、という謎解きに始まり、やがてリックたちとの対決。そこまでの流れとは違う展開で興味を惹いた。

が、そのあと「刑務所」篇。リックたちは彷徨うのではなく、誰かの町に滞在するのではなく、自分たちで町を作るという話になる。これは新しい。その中での人間模様。外部のグループの襲撃。今までとは違う展開だ。「ウォーキングデッド」シリーズも「007」と同じく、定義を外れて、ゾンビ以外に恐竜が出現とか、宇宙人の襲来、悪霊が襲って来るというのはアウト。あくまでもゾンビの町での人間ドラマでないといけない。


この頃は1シーズンで、基本1つの物語で進んでいる。2シーズン続けると飽きられるのと、個々のエピソードを考えるのが大変。クオリティが落ちるからだ。「刑務所」篇が終わり、再び放ろうするリックたち、そして「ターミナル」篇。

これも最初は「食料のある、危険のない安心な場所」=ターミナルと呼ばれる場所を求めてリックたちはそこに辿りつくのだが...という展開。「ガバナー」篇と構図が全く一緒。

「えーーまた繰り返しかあ?」

と思っていたら、あっと言う間に終わってしまった。やはり評判が悪かったからではないか? シリーズというのは、定義を守りながらも、新しい展開をしないと観客(視聴者)は退屈する。だが、次第にネタはなくなって行く。

ここで確か、アレクサンドリアかヒルトップの町が登場したと思う。あれこれ揉めるが、パッとしない。次のシーズンが「ニーガン」篇がスタート。盛り上がる。

ただ、「ニーガン」篇も「ガバナー」篇の焼き直しではある。紳士的だった提督をバットを持った残虐なニーガンに置き換え、あの町を「聖地」にして、組織化されたニーガングループに進化させたのだろう。

これは「ターミナル」篇と同じ手法。そのターミナル篇が今イチなのに、ニーガン篇が盛り上がった理由は、まず、ニーガンという強烈なキャラクター。単なる悪辣なボスではなく、知的な部分もあり、政治家的なところもあり、これまでになかったタイプの悪役だったこと。

それを演じる俳優=非常に力があったことが上げられる。それだけではない。ここで脚本家が奮闘した「ターミナル篇」で盛り上がらず、この先シリーズをどうすればいいか? すでにいろんなアイディアを出し尽くして、相当に悩んでいたと思える。僕が当事者なら食なくし、寝られなくなり、心も体もボロボロになっていたと思える。しかし、彼らは新しい展開が思いつかず、「ガバナー」「ターミナル」の延長で行くことにした。

シリーズのパターンは敵が次第に強大に成って行くというもの。犯罪者が敵、秘密組織が敵、国家情報部が敵のように、手強く、デカい存在になることで、「えーー勝てるのかなあ」と観る者が心配になる。それを見事に勝利するというドラマを作り出すのが脚本家の仕事。シーズン7で登場したニーガンはタフで、クレバー、そして何百人もの子分を率いるボス。これまでの誰より強大な存在。

だが、先の「次第に強大なになる敵」パターンも基本は同じ繰り返し、結局、同じ展開で勝利する。脚本家は考えただろう。「下手したら、ターミナル篇と同じに盛り上がらないかもしれない」そこで俳優の力に期待するだけでなく、ニーガンをとんでもない奴に仕立てることを考えつく。それは同時に、低迷していたシリーズを盛り上げ、視聴者にあっと言わせること。

それがシーズン1からのメインキャラクターの1人を殺すこと。ニーガンに惨殺させることだった。それもシーズン6の最終話で! 誰が死んだから分からないようにして、次のシーズン7に持って行く。その作戦は見事に当たり、話題になった。

が、ここからも僕の推理だが、シーズン7を進めながらも不安が強かった。いくつものように1シーズンでひとつの話を完結させると、次のシーズンにもっと面白い話を作らねばならない。もう限界だ!

しかし、製作会社は視聴率が取れる限りシリーズを製作し続ける。そこでクリエーターたちは考えた。時間稼ぎをしよう。それでのように「ニーガン」篇を1シーズンで終わらせず、次のシーズンまで続けたのだ。そのために、シーズン7と8には無意味なエピソードがいくつもある。

「その話なくてもいいんじゃない?」

というものが多い。ただ、ニーガンのキャラクターは強く、視聴者は「こいつだけは許せない!」という思い、「リックに逆襲してほしい。ニーガンを殺せ!」という願いがあるので、皆観てしまったのだ。

ただ、ニーガンのキャラが強烈なのと、なかなか逆襲できないリックたちの気持ちに共感する視聴者は、暗い思いを引きずり続け、「ウォーキングデッド」を見ることに疲れて来たのではないか? それは製作側も感じていた。

「いつまでもニーガン篇を続けられない。何かまた驚きがないと!」

ということで、これまたシーズン1からのレギュラーである、あのキャラを死なせることにした。確かに悲しいエピソードだったが、どうも無理矢理感があった。「太陽にほえろ」でレギュラーの刑事が殉職すると視聴率が上がることで、1年ごとに殉職のエピソードを作っていたのを思い出す。中学、高校の頃だが、

「Gパン刑事が死ぬ?」

と聞いて真剣にテレビを見たが、次第に「また、死ぬの?」になり、テキサス刑事以降の殉職エピソードは見てない。それでも視聴率は取れたようだった。同じように「WD」でも、そんな手法で観る者を引きつけようとしている。

2シーズン続いた「ニーガン篇」がシーズン8で終わった。例によって今後の展開を思わす描写があった。が、今イチ、興味を惹かない。

「えーーそんなー」

というほどのものではない。が、もう「WD」の定義では限界なのだろう。それでシーズン9の視聴率がシリーズ中、2番目に最低だった。だが、努力の問題ではなく、脚本家の限界。こうしてシリーズというのは終了するものなのだ。新シーズンではまた、レギュラーの1人が死ぬと聞く。やはり、ネタがないのだ。

とは言え、僕個人はこのシリーズが大好きで、DVDになると全話レンタルして1日で見てしまう。12時間連続で見ている。が、脚本の仕事をするものとして、本当に過酷な思いで、血を吐きながら走り続けていることも強く強く感じる。



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【「ウォーキングデッド」シーズン8をやっと観た....ここまでムカつき落ち込むドラマはない。ん? 褒め言葉です】 [ドラマ感想]

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【「ウォーキングデッド」シーズン8をやっと観た....ここまで観ていてムカつき落ち込むドラマはない。ん? 褒め言葉です】

3年前のシーズン6。その最終話でレギュラーメンバーの誰かが殺されて終わる。それが誰か分からない。何て嫌なエンディング。そこから1年待たなければ続きが見れない。1年後、シーズン7のDVDがレンタル開始。ここから「ニーガン篇」がスタート。

まあ、観ていて本当にムカつく話の連続。ニーガン、本当に許せない。まあ、ドラマ作りは仕事だし、映画ファン、ドラマ好きとして50年以上も観て来たが、ここまでムカつく悪役はいない。というのは、ニーガン役の俳優がとても上手いというのと、シナリオがいいというのがある。

だが、いち視聴者として、フラストレーションの連続。イライラ、ムカムカ、気持ちが暗くなる。最終話でニーガンを倒し、カタルシスを味わえるのか?と我慢。最終話では大きな戦い。ニーガンを罠に嵌めたはずなのに....でも、さらなる逆転。ライオンに感動。なのに、なのに、何だあの結末は? 

結局、シーズン7では完結せず、物語は8に続く。そこからまた1年。暗い気持ちのまま過ごす。そして今年の秋、待望のシーズン8。いよいよニーガンを倒し、万々歳という勝利を迎えるのか?とレンタル開始されたDVD。前半戦を全部借りて観た。リックたちの反撃が始まる。が、またしても....。そこで前半終了。さらに暗い気持ちになってしまった。

「明日」でご一緒したある女優さんも「WD」のファンで、かなり観ており、撮影中もその話で盛り上がった。が、最後にお会いしたとき、あまりにも暗いので落ち込んでしまうので、しばらく観ない....と言っていた。同感。ドラマでここまで落ち込み、塞ぎ込みたくない。それも続きを観るのに1年待ちだ。

ああ、前半観なければよかった....辛過ぎる。希望が見えてきたら潰されて行く。リックじゃなくても参ってしまう。さらに、シーズン1からのレギュラーの1人。あのキャラが....ああ、酷い.....そこまでするか???おまけに後半戦発売は未定。すでにアメリカでは放送済み。現在はシーズン9がオンエア。日本、どーすればいいんだ ? 

この暗い気持ちで半年待ちか?と思ったら、Amazonプライムで残りが観れるとの情報。そのことは別の機会に詳しく書くが、そんな訳で後半戦も観た。んーーーなるほど、そう来たかあ。いろいろ感じるところはあるが、まだまだシーズン8を観た人は少ないから詳しくは書かない。ひとつだけ「ニーガン」篇は今回で完結する。そして脚本家の苦悩をとても感じた。それは別の記事に書く。

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日本では精神病はタブー。マスコミは語らず、国民の多くは知らない。 [my opinion]

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日本では精神病はタブー。マスコミは語らず、どんな病気か? 国民の多くは知らない。

精神病になった友人がいた。それがきっかけで10数年前から精神病の勉強をしている。映画製作が忙しいので本当に時間があるときに、その種の本を読む、専門家にお話を伺うくらいだが、できれば精神科の講義にも出たい。なかなかチャンスはないが...。

精神病というと極めて稀な特別な病気と思われがちだが、そうではない。私たちのまわりに、その種の病気を患う人は数多くいる。その病気がどんなものであるか?の知識がないので、気付かないだけだ。

例えば、ネットを見ていてもそれと思える人がいる。特定の人をTwitterで長期間に渡って批判、攻撃するのも、精神病が原因ということがある。境界性パーソナリティ障害の場合。注目されたくて、愛されたくて相手を褒めちぎったり、逆に踏みつけて、批判したりという行動に出る。

悪意があるとかではない、それが症状なのだ。目立ちたがりとか、ヘンな人と思いがちだが、病気が原因なことも多い。が、難しいのは精神病の話をすると、多くの人が黙り込み、話題を変えようとする。ネットで書くと「差別だ」と批判する人も出て来る。

その精神病がどんなものであるか? 病状を説明しているだけなのに「人権問題だ」と騒ぐ。「***さんは***病だ」と特定個人を病気と決めつけ、批判するのが「差別」であり、病気について語ることは「差別」ではない。

が、多くの人は「精神病」というと、触れないようにする。知ろうとしない。そのために、身近に患者がいて問題を起こしても、それが病気のためとは思わず、対応を間違い、大きなトラブルになったりする。

マスコミも精神病には触れない。せいぜい「鬱病」。事件報道でも犯人が精神病である可能性が出て来たとたんに続報はなくなる。また、健康バラエティ全盛なのに「統合失調症」や「双極性障害」をテーマに番組作りはされない。

扱うだけで過敏な視聴者から「差別だ!」「人権侵害だ」というクレームが来るからだろう。結果、一般の人は精神病に関する知識が乏しくなり、そもそも精神病とはどういうものか?が分からず、包丁を持って暴れるような人が精神病と思い込んでいる人が多い。

だが、あなたの職場にも、大学のクラスにも、近所にも患者は必ず存在する。統合失調症は200人に1人存在すると言われる。僕はたぶん2〜300人の友達、知人、顔見知りがいる。その中に患者が3人いた。さらに、双極性障害、境界性パーソナリティ障害の患者もいて、様々なトラブルが起こった。が、病気ゆえのトラブルだと気付いているのは数人だけ。

やはり一般の人に精神病の知識がないので「何かヘンな人」「少し変わっている」という認識しかできない。或は「別のヘンなところはない。普通の人だ」「いやいや、いい子だよ。健気だし。応援したいな」と思っている人もいた。そのくらいに精神病は分かり辛い。

「***さんは精神病で奇妙な行動を取り、困っている」

と友人に相談しても、

「そうかなあ。普通だと思うよ。お前の方に何か原因があるんじゃないか?」

と言われたりする。僕が以前、その種の患者さんから攻撃を受けたとき、同僚にそのことを話した。彼はその患者のFacebookを確認したという。

「全然、普通でしたよ? 死ね死ね死ね!とか書いてませんよ」

そんなことを書いていたら重傷だ。結局、同僚は理解せず、僕の方がおかしいと今でも思っている。が、その患者の攻撃は執拗で、いろんな人が巻き込まれて多くの人が迷惑した。ただ、第三者が見ていると、内輪揉めとか、単なるトラブル、よくあること、にしか見えず。大きな問題であることが分からない。「仲良くしろよ〜」と笑顔で言ったりする。

分かりやすくするために別のいい方をしよう。インフルエンザにかかった友人がいたとする。彼は単なる風邪と思い込み、出勤する。会社を休むと同僚に迷惑をかけると考えた。が、会社に行けばインフルエンザが同僚たちに移ってしまう。下手したら学級閉鎖ならぬ、会社閉鎖になる。

そんな場合は欠勤することが大事。だが、当人はインフルエンザと気付かない。同僚の1人が風邪ではなくインフルエンザだと知る。

「会社へは来ない方がいい」

と忠告する。それを知った他の同僚たちがいう。

「お前、酷いな。あいつは風邪でも無理して会社に来ようとしているのに、来るなと言ったんだって? それって嫌がらせだよ。優しく応援するのが同僚だろ?」

インフルエンザを知らなければ「風邪だろう?」としか思わない。本質を知らず、大きな問題になるのを止めようとした、その同僚を非難してしまう。これが精神病患者が近くにいた場合と同じ構図だ。患者には悪意がない。が、病気のためにある種の非常識な行動。トラブルを起こす行動、言動を取ってしまう。

不謹慎だが、映画屋なので、SF映画を思い出してしまう。インベーダーが地球に潜入。友達や家族と入れ替わる。それに気付く主人公。でも、誰も分かってくれず、インベーダーは次々に危険な事件を起こす。

「ボディスナッチャー」とか「遊星からの物体X」のような映画だ。物語の主人公は1人、行動するが、友人や家族までがインベーダーを庇い、おかしいのはお前だ!と言い出す。

少し前に書いたが、Facebookでもそういうことがよくある。最初は「映画観ました。感動しました。友達申請します!」と連絡。毎日のようにコメント欄に激励、応援が書き込まれ、それに答えると、凄く喜んでくれる。

でも、仕事が忙しくなり、返事ができなくなると「無視された!」「裏切られた」「なぜ、返事をくれない!」と、そこからFacebookで悪口を書いてまわり、共通の「友人」にも「あの人は酷い。信用できない」と連絡。そんな人もいた。

中には病気ではなく、単に思い込みが強い人、常識の無い人もいる。が、その人の行動パターンを専門家に告げると、典型的な症状と言われた。が、それを見ていたある「友達」がコメントしてきた。

「優しさを持って接すればきっと分かり合えますよ〜」

だが、専門家はいう。

「関わってはいけません。自分の人生がダメになっても、その人を助けようという肉親のような思いがなければ避けるべきです。中途半端な同情で関わると、周りの人にも被害が及びます」

悲しい話だ。だが、先のインフルエンザの話と同じ。もし、インフルエンザという病気をその人が知らなければ、風邪だと思うし、まわりもその知識がなければ「風邪なら、がんばって会社に来いよ」というだろう。そのことでまわりが大変なことになるとこが分からない。

それを差別だ、可哀想だと、いうことで被害は広がる。が、日本の社会では精神病はタブー。誰も触れず、語ろうとしない…..。



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戦場ジャーナリストを批判する人々。似たようなことあったなあ?=映画業もよく当て外れの非難をされるからなあ。 [my opinion]

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戦場ジャーナリストを批判する人々。似たようなことあったなあ?=映画監督業もよく当て外れの非難をされるからなあ。

拉致されていた安田が帰国。昨日、記者会を行なった。その数日前からネットで、いくつもの批判が流れていた。数年前の後藤建二さんがイスラム国に処刑された件でも、無神経な声を数多く聞いた。年配のオジさんがこう言っていた。

「自己責任だよ。危ないところへ行くからだ。自業自得だね」

それなりの年齢。会社員。それなりの役職。家族もいる良識ある人だ。が、その発言はおかしい。後藤さんは旅行で危険な国に行った訳ではない。先に拉致された友人を受け取りに行ったと言われている。そして捕まった。が、その辺はしっかりと報道されていない。一説にはある大手テレビ局の依頼で行ったとも言われる。

おまけに、拉致されているときに、どこかの国のバカな総理が敵対する国に人道支援(結局、その国は戦費に使うことが多い!)を発表。さらに「テロには屈しない」と発言。その後、後藤さんは処刑された。その経緯をそのオジさんは知らず「自己責任だ」「危ないところへ行くからだ」「自業自得だ」と発言する。

そもそも、戦場ジャーナリストとはどんな仕事なのか? 僕らは知っているのか? 危険なところに行くのが仕事であることは分かる。なら「危ないところ行ったから、自業自得」というのはおかしい。なぜ、人は自分が知らない仕事に対して、事情も知らないのに、分かった顔をして当て外れな批判するのか?

思い当たるのが映画という仕事。何度か書いたが、地方で映画を作ると様々な誤解があり、揉めたり、ありえない批判を受けることがある。映画完成。いよいよ監督料を受けとるというときになり、地元の人にこう言われた。

「お前、ギャラ取るのか? 俺たちはボランティアでやってんのに、お前らギャラ取るの? 金のためにやってるのかよ?」

映画作りは仕事だ。農作物を作る。車を作る。家を建てる。それらと同じ。だが、その中年の社長は激怒していた。1つには映画作りは趣味の延長だと思っている部分。映画とか、音楽とか、演劇とか、そんなものは学生時代の趣味その延長。好きでやっている。それで金取るなんて、甘えているという発想。

また、自分たちの町のアピールのために映画を作っている訳で、お手伝いする市民はボランティア。それは最初から決めていたこと。東京からプロのスタッフを呼ぶ。一緒に撮影。その間に、その社長は「一緒にがんばる仲間」と思い始め、連帯感を持つ。撮影が終わり、スタッフ側がギャラを要求すると、「何でお前たちだけが!俺たちも一所懸命やったんだ!」という裏切られた気持ちになったのもある。

それはおかしな話で、スタッフは映画作りの技術を持っている。その社長はお手伝い。物を運んだり、車を誘導したり、そのことで製作部スタッフの数を減らし、人件費を少しでも浮かす。製作費を節減できる。それが理由。要は市民は町をPRする活動。スタッフは仕事。その両者が一緒に撮影した。

なのに、地元の社長が「俺たちも一生懸命やったのに」「ギャラがもらえない」「だから、お前らもノーギャラだ」というのはおかしな話。でも、映画撮影という特殊な状況の中で彼は、いろんな思い違いをしてしまったのだ。映画の世界は一般からは分かり辛く、誤解されることがよくある。

「映画監督は金持ち」というのも都市伝説みたいなもの。それはハリウッド監督の話。日本では映画だけで食える監督は5人くらいだ。「撮影が終われば映画は完成!」という誤解もよくある。その後に編集作業が3ヶ月ほど。ようやく完成したら、地元の人に言われた。

「監督。撮影が終わってから何していたんですか? 旅行でも行っていたんですか? さっさと上映してくれればいいのに〜」

遊んでいると思われ、その人は皆にこう言っていたらしい。

「あの監督はいい加減だ。あんなに撮影のとき、応援したのに、音沙汰なし。映画もさっさと上映してほしい」

近所の人も、映画に詳しくない。「そういえばそうだよね。撮影終わってもう2ヶ月。やっぱ、あの監督いい加減だね〜」と事実ではないこと。映画作りを知らないだけなのに「遊んでいる」ということにされ、ーボロボロになって編集しているのにー地元で批判されていたこともある。

「監督は女優を連れて飲み歩いている」

というのも、ときどき言われるが、監督はたいてい貧しい。女優は昔と違い、金のない監督を相手ににはしない。こんなのもある。

「結局、監督は自分が撮りたい映画を撮っているだけなんだよな。俺たちを利用して...」

そもそも「撮りたい映画を撮っているだけ」というのが変。撮りたくない映画を撮る方が大事なのか? もちろん、会社から依頼されて、撮りたくない映画を撮る監督もいる。しかし、巨匠・黒澤明監督もいう。

「監督が撮りたい映画を撮るから、いいものが出来る!」

そこが大事。それを「撮りたい映画を撮っているだけ」という批判は成立しない。実はその批判する人の価値観はこうなのだ。

「仕事は辛いもの。楽しいのは遊び」「嫌なことでも我慢してするのが仕事」「だから、撮りたい映画を撮るのは遊び。自己満足だ」

そして「俺たちを利用して」というのは、地方映画のときに言う人が必ず出て来る。例えば「町興し映画」なのに、その監督は町のアピールには繋がらないSF映画を作った。これはダメだ。町を利用して、自身が作りたい映画を作ったのだ。

しかし、SFでも、ミステリーでも、アクションでも、その町が舞台で、魅力が伝わる作品であれば、利用したのではなく、町のために映画を作ったということ。にも関わらず、当て外れな指摘をするのは、先の価値観。好きなことをするのは遊び。嫌なことを我慢してするのは仕事。つまり、その監督が暖めていた企画でその町を舞台に映画にした。自身が作りたいものを作った。だから、俺たちは利用された。というのだ。

暖めていた企画だろうが、その場で考えた物語だろうが、要は町のアピールになることが大事。それを「あいつは自分が作りたいものを作っている」という批判をするのは理解できない。黒澤も言う通り、監督は自分が作りたい映画を作ったときに、素晴らしいものができる。素晴らしい映画は観客が支持する。町のアピールに繫がる。だが、その人の価値観だと嫌なものを我慢してやるのが仕事。だから、やりたいことをやる監督はダメということだろう。

通常の仕事。会社員等の多くは仕事を好きでやっていない人が多いだろう。やりたい仕事はなかなかできないもの。だから、仕事=やりたくないもの。やりたいこと=趣味。と考えがち。その論理で映画の世界を批判しても当て外れなものになってしまう。同じように自分たちの業界、会社、一般の発想で、映画作りやスタッフを批判する人がいる。

先日からの戦場ジャーナリスト批判を見ていて、同じような愚かな意見が多く呆れた。ビートたけしという人はいつも分かりやすく、おもしろく、的を得た意見を言うと思っていたが、今回のジャーナリストを登山家に例えて「失敗だった」と批判するのも的外れだ。

ジャーナリストは登山家ではない。映画監督を証券マンに例えて論じられないのと同じ。先に上げた映画の仕事を自分たちの仕事の尺度で批判するのと同様の構図だ。給与や名誉以外の大切なものもある。映画人もギャラに見合うだけの仕事をしていたら、絶対に素晴らしい作品はできない。戦場ジャーナリストもきっと、僕らが想像しない何かを大切に仕事をしているはず。命を失うかもしれない。それでも危険地帯に赴き、情報発信をしようとする人たちだ。言われるまでもなく自分の責任で行動している。その仕事内容も詳しく知らない人たちが無神経にあれこれ批判する風潮。とても悲しい。


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