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文化芸術の活動には金がかかる?それを「営利主義」と批判する人たち? [my opinion]

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文化芸術の活動には金がかかる?それを「営利主義」と批判する人たち?

反戦歌を歌い続ロックシンガーのAさん。彼は東京を中心に活躍しているが、ときには地方でライブもする。1人でも多くの人に歌を聴いてもらい、戦争の悲惨さを訴えたいと仲間のミュージシャン3人と活動している。といっても有名ではない。生活はアルバイトで支え、ライブを行なってもほとんど赤字。でも、彼らの歌に感動。とある地方の有志グループのYさんがライブをしてほしいと手を上げた。まずは会場探し、田舎なのでライブハウスはない。公営の小さなホールを借りようと手続きに出かけた。が、そこで大きな壁にぶつかる。

レンタル料が2通りあった。入場料を取らないイベントだと3時間で5000円くらい。公営なのでとても安い。が、入場料を取ると5万円になる。担当者に聞くと「営利目的の場合は値段が高くなる」という。Yさんは困った。まず、今回のコンサートでAさんに来てもらうための費用がいる。といってもAさんはギャラなしでいいという。ただ、自分とメンバーの交通費、食費は出してほしいという。その町は東京からかなり遠い。メンバーは3人。Aさんを入れて4人。交通費が1人1万円だとしても、4人で4万。往復で8万円となる。さらに会場費が5万。13万円が必要になる。宣伝のためのチラシやチケットも作らなければならない。そう考えると16万くらいは必要。

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田舎なので動員は期待できない。50人来るかどうか? 高い入場料は取れない。1人2000円だとして、10万円。経費だけで16万。6万の赤字だ。これがもし、入場料を取らない場合のレンタル料だと5千円。だが、収入はなくなるので、16万の経費全てをYさんたちが負担することになる。いずれにしても、彼らは1円も儲からず、多額の出費をするだけになる。ホール担当者にお願いした。

「僕たちはボランティアでイベントをやっています。営利目的ではありません。バンドの人たちもギャラは取りません。ただ、東京から来てもらうので交通費が必要です。それは払いたい。素晴らしい歌を歌う人たちです。子供たちにその歌を通して戦争の悲惨さを伝えたいんです。彼らの交通費を捻出するために、入場料を取りたい。でも、そうするとホール料がバカ高くなる。何とか入場料を取らない価格で、貸してもらえませんか?」

担当者はこう答えた。

「それはできません。決りですから。入場料を取るということは営利目的です。それが規則です」

ーYさんは当時を振り返り言う。

「その規則。いや、そもそもの考え方がおかしい。そのホールを使いコンサートをする。儲けるためのイベントなら、高めの使用料というのも分かる。でも、結果して、儲かるどころか赤字になるのに入場料を取るという一点だけで、10倍もの使用料になってしまう。これでは趣味で演奏する人がタダで友達を呼んでコンサートをするしかない。別のいい方をするなら「入場料を取り儲けるならホール側も儲けたい!」と言っているよう。同じ広さのホールを高めの値段で貸し出し、借りた方は赤字。ホール側は黒字。それが公共のホールのやり方なのか?」

さらに、市民の一部からこんな批判も出て来た。

「入場料を取るのはおかしい」「営利主義でやっているのか?」「子供たちのためならタダで見せろ」

でも、彼らに交通費や宣伝費という発想はない。「金取る」=「営利主義」=「よくない」というだけ。結果、Yさんたちのグループはライブを中止した。ライブはやりたい。Aさんたちの歌は素晴らしい。が、赤字分をメンバーで割ると1人数万円の負担になる。そこまですることにメンバー内からも反対が出た。彼は思う。

「そのホールのシステムは、やる気のある人たちの気持ちを削ぐようなものになっている。何かするにはお金はかかる。なのに、個人が負担しないと出来ないようなルールになっている」

そのホールの真の目的はそこにはないだろう。しかし、結果としてはYさんが感じている通りなのだ。それはボランティアというものがどういうものか?という理解がお役所にないからだろう。何をするにも経費はかかる。ギャラ、交通費、食費、会場費、宣伝費。なぜ、かかるか?というと、それなりのものを多くの人たちに観てもらうためだから。地元の人が趣味でギターを弾き、友達を呼んでコンサートをすれば安くは済むが、それは趣味の世界。それなりの感動を与えてくれるアーティストを呼ぶには経費がかかる。宣伝費も必要。それを入場料で賄う。それでも赤字になるのに、それに便乗して会場費を上げるというのは、会場側こそが営利主義ではないか?と思える。


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非常に視野が狭い。「入場料」という物差しでしか計らず、公的な施設なのに便乗して儲けようとする。個人がどれだけ赤字になろうが、ホール側は通常の10倍の利益を上げる。結果、市民のためのホールが、市民の努力と赤字の上に儲けているという形だ。それだけではなく、そんなシステムで運営されるホール側に市民が失望することで、文化活動や芸術活動をやっても「私たちが損するだけ...」と感じしてしまい。結果、趣味のイベントしかしなくなる。そんなことになってしまうのはなぜか? 要はホール側。運営する市側の発想は「趣味」と「商業主義」の2つに分けているだけだ。入場料を取ると「商売」。無料でやると「趣味」。だから、その間にある文化活動ができなくなっているのだ。

音楽、演劇、映画、等の文化芸術を市民が率先して行なう。黒字にはならなくても、入場料を取ることで経費を捻出して、自分たちはボランティアで働き、子供たちや市民に、それらを楽しんでもらう。文化や芸術を知ってもらうという活動ができないシステムになっている。できるのは趣味の発表会だけ。「市民は余計なことをする必要は無い」と役所は考えているのか? そうではない。こうした疑問が出て来た背景には、役所や企業の発想が現代に通用しなくなって来たということなのだ。多様化。公共のサービスが時代に対応できなくなり、古いルールで縛られることで意味をなくしてしまっている。時代の推移を感じ「何かしなければならない!」と考える町思いの市民の努力や思いを遮ることになっている。

そして問題なのは役所だけでなく、一般の人たちも似た発想に縛られているということ。Yさんたちを批判した人たちと同様に、その種のイベントで入場料を取ると「営利主義だ!」と批判。理由をつけて無料で見せろと迫ったりすることがある。その入場料が主催者の利益になるのではなく、経費として消えた上に、彼らは持ち出しで何万円も出費していることに気付かず「金儲けが目的だ」と勘ぐる。結果、町のための文化活動とがんばる人たちはバカらしくなり、止めてしまう。地方で文化や芸術が育ちにくい背景には、そんな時代錯誤な発想に縛られている人たちが多いからではないか? 

文化や芸術を楽しみ、学ぶにはお金がかかる。欧米では当然な発想。ブロードウェイのミュージカルだって、膨大な製作費と宣伝費をかけてスタートする。ロングランにならなければ主催者側は黒字にならない。そんなふうにお金も時間もかけたものだから、素晴らしいものができる。だから、観客は高い入場料を払って観に行く。ヒットすれば、素晴らしい作品を作った人たちは儲かる。客もそれを当然と考える。だが、日本で、市民レベルでそれをすると「営利主義」と批判、「入場料を取るべきではない」と批判するようなものなのだ。


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日本人はいつから、そんなふうになってしまったのか? テレビの影響があるだろう。映画館は入場料を取るが、テレビはタダ。そんな年月が続き、いつしか娯楽や文化は無料と思うようになったのかもしれない。しかし、番組のスポンサーのCMを嫌でも見せられ、それらの商品を買うときにはCM料が加算されていることを忘れている。結局、テレビを見ても金を払わされているのだ。気付かない間に取られるのはOKで、現金で払うのは嫌ということか?

ただ、近年。ケーブルテレビやAmazonプライム等もそうだし、シネコンもそうだが、いい環境でいい作品を観るにはお金がかかるーという意識が育ちつつある。映画をテレビの洋画劇場で観ればCMで分断され、カットされ、エンドロールも途中でフェードアウト。感動の余韻もない。それなら多少のお金を払っても、ケーブルや衛星放送で観る。映画館で観るという選択をする人が増えている。テレビ洋画劇場で満足という人は今や少数派。音楽でも、演劇でも、文化芸術はお金を払い堪能するものという意識の人が増えている。が、都会はそうだが、地方に行くと「金は払いたくない」「タダ券くれ」「金儲けが目的か?」という人たちが、まだまだいる。

僕が作る故郷映画も同じだ。地元の人たちが故郷の魅力を伝えるために、実行委員会を結成。寄付を集め、プロのスタッフ&キャストを呼び、自分たちはボランティアで働く。交通費や食費は自腹だ。にも関わらず、寄付もせずに「有名俳優がみたい」と撮影現場に集り、仕事の邪魔をする。地元で上映会を企画。入場料を宣伝費にまわし全国公開を計画しているのに「寄付したのだから、タダで見せろ!」「営利主義なのか!」という人がどこの町でも出て来る。地元の実行委員たちも儲かるどころか、結果自腹を切って映画を完成させることが多い。1円の人件費ももらわない。交通費だけで何十万円にもなる。そこまでしてがんばっているのに批判する人たちというのは、本当に悲しい。先のホールの発想と同じ。「市民は余計なことをしなくてもいい。趣味のレベルでいい」という時代遅れの発想に呪縛されてしまっているのだろう。

これからの時代に大切なこと。目の前にある問題、課題を解決するには、昔のように役所や企業ではなかなか難しいということが多い。自由な発想で動ける市民団体の方が行動力がある。ただ、自分たちでお金を出し合い趣味のレベルでやっていたのでは無意味。いかに経費や宣伝費を捻出しながら、目的を達するか? 表面しか見ない人たちは「営利主義」と批判するだろう。自分たちが抱える問題に挑んでいることが分からない。でも、多くの問題はもはや過去の枠組みでは解決できない。古い価値観をぬぐい去り、新しい方法論を実践することで、新しい時代が見えて来るのだ。


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