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夢は掴める。「世の中甘くない」は言い訳。努力の仕方が大切? [my opinion]

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「将来は映画監督になりたい!」「私は女優になりたい」「俺は作家になるぞ」いろんな夢を追う人たちがいる。が、僕らの世代は高校生になると、もう夢を語らなかった。「夢を追うなんて子供。現実は厳しい...」と考え始めるのだ。それどころか夢を語る友人がいれば、寄ってたかって「やめろ!」「どうせ無理だ」「世の中甘くない」「絶対に無理だ」と批判や説得を始める。

不思議な現象。もし、彼らが夢に向かって努力して破れたのなら「僕の経験だけど、夢を掴むのは難しいよ〜」というのは分かる。が、何もしたことのない、まだまだ、これから!という10代の高校生が「世の中甘くない」「どうせ無理だ」というのだ。

背景を説明すると長くなるので簡単にいうと、彼らは20歳前にして世の中に失望し、無力感を痛感していた。だから、まじめに勉強していい大学に行き、いい会社に入る。それが現実的であり、大人の生き方なのだと思い込んでいたのだ。こうして多くの若者が夢を諦め、おとなしく管理社会に取り込まれて行ったのである。

それでも夢が諦められずに、それぞれの道を目指す人たちもいた。ここからが本論だ。ただ、それでも夢を掴めずに潰れて行く人たちが多い。それを見た僕の同世代はいう。「言わんこっちゃない。世の中甘くないといっただろう?」しかし、本当に世の中が厳しいからダメだったのか? 世の中が厳しいのは当たり前だ。では、その中で成功している人たちがいるのはなぜか? ミリオンセラーを出す歌手になったり、大人気の俳優もいる。映画監督や小説家になる人たちもいる。「世の中、甘くない」では説明できない。

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「才能があったからだよ」という人がいる。では、才能って何? 努力しなくても名曲を思いつくの? 練習しなくてもギターが弾けるの? 経験がなくても感動映画が撮れるの? 何度も書いたが、才能というのは夢を掴めなかった人が「言い訳」として使う言葉であることが多い。「俺は努力したけど、才能がないからダメだった」「彼が成功したのは才能があったからだ」そう思いたくて「才能」という言葉を利用していることが多い。このことは以前に書いたので今回は次に行く。

では、夢を掴んだ人と、掴めなかった人の違いは何か? 僕は高校時代に映画監督を目指すと決めた。その後、同じく映画監督志望の後輩。そして小説家志望、歌手、俳優、漫画家、コピーライター、ギタリスト、脚本家と、いろんな夢を追い掛ける友人と出会う。だが、その多くは99%は夢破れ、去って行った。

その後、僕は業界で仕事をすることになり、さらにいろんな人たちと出会う。大物映画監督、ベストセラー作家、有名俳優、ベテラン俳優、歌手、ミュージシャン、伝説のバンドのマネージャー、お笑いタレント、と様々な世界で大成功した人たちと仕事したり、お会いする機会があった。そんな人たちと接して、話を聞いて、また消えて行った夢追う友人たちと比較して、いろんなことを感じた。

まず、高校時代に「世の中は甘くない」と言っていた同級生たち。彼らは努力することを諦めた人たちだったということ。その理由を「世の中は厳しい」ということにして、自分が望む夢を追うことを諦めただけだということ。では、彼らの選んだ道ー堅実に勉強して、一流大学に入り、一流企業に就職することが簡単か?というと、そうではない。

夢を追うのと同じで、努力が必要。かなり厳しい現実が待ち受けている。にも関わらず、夢は追わないが、一流大学には入りたいと努力して勉強していた友人たちが「世の中甘くない」といっていたのは何だったのか?と思える。つまり、努力せずに世の中のせいにして、夢を追う努力をすることを拒否していたということ。

では、その後も夢を追い続けた友人たちはどうか? 今思うに、成功し、夢を掴んだ人たちと比較すると、夢破れた友人たちというのは「努力が足りなかった」ということだ。成功者たちの言葉を聞くと、尋常でない努力をしている。俳優でも、ミュージシャンでも、それぞれが努力している。が、僕のまわりにいた人々はまず大学に行き、専門学校に行き、バイトをして、合コンして、或は宴会して、大騒ぎして青春を謳歌して、その上で夢を掴みたいということが多かった。

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土日は休みたい。バイトで忙しいからシナリオが書けない。事務所に入れないから俳優になれない。とか、様々な理由をつけて夢を掴む努力をせずに済ませることが多かった。これは先の人たち。「現実は甘くない」という口実で夢を諦めた高校時代の友人たちと同じ。自分では努力せずに、世の中のせいにして夢を掴む努力をしない。

「バイトしないと生活ができない!」といいながら、それなりの部屋に住んでいる。車を持っている。「事務所に入らないと芸能活動ができない」といいつつ、売り込みもしない。脚本家になりたいといいながら、シナリオを書かない。訊くと「バイトが忙しい」と答える。その手の人たちは数年間。都会で生活するが、やがてこう言った。「世の中甘くない」「現実は厳しい」そうして夢を諦めて就職。或は故郷に戻って行った。

こうして思い返すと、夢を掴めなかったのは「努力」をしたけど、現実が厳しくてダメだったのではなく、努力をしなかったから現実を切り開くことが出来なかった人たちであることが分かる。高校時代の同級生も、その後出会った友人たちも同じなのだ。では、どういう人たちがその世界に入り込み、仕事を得て、活躍しているのか? 

今、一緒に仕事をしている仲間たち。お会いしたことのある著名人や巨匠たちと話すと、その辺が分かって来る。「努力」ということ。具体的にはどういうことなのか? それがキーだった。例えば「映画監督になりたい!」と思う。思いつくのは専門学校に行く。大学の映画科で学ぶということ。ただ、その手の学校を卒業する生徒は毎年、何千人といる。その全員が監督になれるはずがない。


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その中の1人か2人。学校で学んでも大きな意味はないということ。僕も映画学校に行ったことがあるが、本当に無意味。評論家養成講座のようなもので、あんな勉強をして監督になれる訳がない。実際、今、監督業をしていて映画学校で学び役立ったものはひとつもない。卒業しても仕事を世話してくれる訳でもない。監督承認証がもらえる訳でもない。だが、多くの若者が学校に行き、無意味な勉強を続けている。

つまり、間違った努力をしていて夢は掴めないということ。そもそも、芸術は学校で学べない。では、何が大切か? 成功した人たちを見ていて感じたのは、皆、実践しているということ。歌手の矢沢永吉は横浜で仲間を集めてバンドをしていた。俳優の上川隆也は大学の劇団にいた。大森一樹は8ミリ映画を撮っていた。いわゆる自主映画。漫画家や小説家は何本もの作品を書き、懸賞に応募。編集部に持ち込んだりする。皆、その中で努力を続けた。

ここで振り返ろう。なぜ、高校卒業後に夢追った仲間たちは挫折したのか? もちろん、先に書いたように努力をしなかったからだ。では、なぜ、努力しなかったのか? ここに答えがある。シナリオを1度も書いたことがないのに脚本家になると言っていた友人。専門学校に通いバイトするだけの俳優志望の友人。多くに共通すること。「表現」をしていないーシナリオを書く。小説を書く。演技をする。作曲する。歌う。演奏する。8ミリ映画を撮る。それらを人に見せることなく終わっている。

なぜ、彼らはしなかったか? こう言っていた。「依頼が来ればいつでもシナリオを書く」「ドラマに出ればいい演技を見せてやる」「映画撮らせてくれたら大ヒット作を撮ってやる」皆、チャンスがあれば、頼まれればやる!という者が多かった。つまり、彼らは「俺はそれなりの実力がある。チャンスがないだけだ」と内心思っている。「やればできる」と思い込んでいた。が、誰がど素人の彼らに仕事を依頼するというのか?

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これも以前書いたが、彼らの多くは「監督と呼ばれたい」「作家になり自慢したい」「歌手になりキャーキャー言われたい」「人と違った芸能活動がしたい」というのが本当のところだったのだ。まさに夢を語っていただけ。だから、努力しない。努力せずに、皆に褒められたい。そのための肩書きがほしいというのが本音だった。だから、8ミリ映画も撮らない。バンドもやらない。舞台にも立たない。

一番の間違いは何も努力をせずに「映画を撮れればヒット作になる」「ドラマに出れば名演技ができる」「小説を書けばベストセラーになる」という根拠のない自信が彼らを支えていた。誰でも思うことだが、「飛行機に乗り事故に遭っても自分だけ助かる」と感じたことはないだろうか? 根拠のない自信。若い頃は多くがそう感じている。

自分はきっと特別だ。何かできるはず。いつか、それが開花するはず。とシンデレラのようなに待っている若い人が今も多くいる。しかし、彼らは特別ではない。極普通の庶民。ただ「特別だ」と思いたいだけ。なのに努力をしない。世の中が厳しいのではなく、何もしないのだから夢は叶わないのだ。

そう考えると「世の中が厳しい」から夢が叶わない。「才能」がないから夢を掴めないではなく、何もしないから夢を実現できないということが分かる。では、どんな努力をすればいいのか? その答えのひとつが先の成功した有名人たち。皆、行動している。バンド、自主映画、劇団、執筆。表現をしている。夢破れた友人たちと対象的。

友人たちは何もしていないのに、経験がないのに「小説が書ける」「歌が歌える」「演技ができる」「映画が撮れる」と思い込んでいた(その背景に才能があればできるはず…という間違った考え方もある)。


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が、成功した人たちは、表現を続けることで、実力を磨き、客や読者、観客を感動させて、やがて認められたのだ。業界は何もしない人たちに近づいて来て「君。才能あるから小説を書いてみないか?」なんて絶対に言わない。それを期待している人たちは消えて行った。

また、この業界で仕事をしていて感じること。人の能力を見極める力がある人が本当に少ないこと。ほとんどいない。そんな連中がまだ何もしていない俳優の卵や作家の卵たちに、「君、才能があるよ」なんて言えるはずがない。

素晴らしい小説を目の前にしても、その面白さが分からない編集が多くいる。ブレイク間違いなしの女優がオーディションに来ても、気付かないプロデュサーばかり。彼らが選ぶのはすでに実績のあるベストセラー作家や人気絶頂の俳優ばかり。すでに認められた人のみ。そんな鈍い人たちが何もしないで夢追う人々の隠された力を知り、手を差し伸べることなんてありえない。

だから、世に出た人たちは実力を磨き、実績を作り、その力を見せつけて、その世界に斬り込んだのである。自分たちの力を過信せず、さまざまな経験をすることで、さらに巧みな表現力を磨く。その過程で多くが認め、支持してくれる。もちろん、そのための方法論はある。それを間違えば、認められるものも認められない。が、それはまた次の話だ。

毎回、映画を撮るときに多くの新人がオーディションに来てくれる。また、いろんな芸術分野でがんばる人たちが僕のブログを読んでくれている。だから、一度、総括として「夢を追う」ということを書いてみたかった。才能なんてない。何もしなければ夢は叶わない。表現を続けること。作品を作ること。待っていてはいけない。努力の方法を間違わなければ、必ず夢は掴める。でも、そこからが本当のスタート。それはまた別の機会に書かせてもらう。


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明日にかける橋ー祝日も仕事。それが映画業界。ブラックなんて言ってられない?! [3月−2018]

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本日は祝日だが、映画関係は休み!という訳にはいかない。今朝からあれこれ作業をしている。昨日から冬に戻ったようで気温は10度を下回っている。いつもなら平気で仕事をするのだが、本日もヒーターをつけて仕事。

少し前にかなり厳しい仕事をして、疲労困憊。活字を読む集中力さえ低下。数日間寝込んでいた。こんなときに風邪を引くと大変。という訳で部屋を暖かくして作業。

配給会社も祝日に関係なく仕事をしている。前売り券を印刷所に依頼するとの連絡。デザインはチラシ&ポスターと同じものだが、前売り券はチラシより細いので、同じデザインで行けるか?と不安だったが、デザイナーさんが見事に嵌めてくれて感謝。

体力低下中なので、ここ数日は押さえ気味に仕事をしているが、次第に活字を読む集中力も戻り、少しずつ余裕が戻って来る。とはいえ、友達呼んで宴会という元気はなく、昨年の撮影以来、部屋を片付ける余裕すらなく、完成披露試写会に突入。その後は改訂版の編集と、休む暇もなかったので部屋がゴミ屋敷状態。それをまず何とかしたい。

間もなくマスコミ試写会もスタートするので、招待すべき人たちのリストアップも必要だ。といってもお友達を呼ぶのではない。映画を観たことで、その感想を新聞、雑誌、映画サイト等に書いてくれる評論家や映画ライター。そして著名人、有名人。そんな人たちが観てくれれば、エッセイやトーク番組で「明日」の話をしてくれるかもしれない。

その人選もせねばならない。そして間もなくMA。これが終わらないとほっとできない。今回は5.1chで録音。もちろんステレオ。合成処理や編集も直しているので、感動も2倍。そのあとに予告篇の編集。やること山積み。がんばらねば。


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