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友人が「明日にかける橋」のロケ地・袋井市を旅行したとの連絡! [地方映画の力!]

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旅行が趣味というサラリーマンの友人。男性40代。彼から以下のメールが来た。嬉しいものだ。ご紹介する。

『お久しぶりです。太田さんが「明日に架ける橋」を撮ったということで、ロケ地の袋井て何があるのかなぁ、と思い、web見てみたら、可睡斎のひな人形展示のページが出まして。このひな人形軍団見てえなあ、と思って行ってきました。

おひな様のあまりの数の多さとディスプレイのインパクトに、笑ってしまいましたが…。可睡斎は他にも見所が多くて、3時間くらいいました。あとはだんごやマドレーヌで美味いのがあって、袋井すげーっ!て感じを受けました。

太田さんが映画撮ってなかったら、全く知らなかった町です。素敵な街を教えてくれて感謝!でございます』

可睡斎とおひな様は映画の中でも登場。お楽しみに。6月30日(土)〜有楽町スバル座で東京先行公開。特報=>https://youtu.be/GQvGqBhNHaY


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映画宣伝ーFacebookで映画を宣伝する方法。地道な努力はいるが何といってもタダで宣伝できる! [映画宣伝入門]

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宣伝というのはとても大切であること。ここしばらく何度も書かせてもらっている。が、特に一般の方は「宣伝」ということを今イチ体感し辛いものがある。テレビ、新聞、ネット。その中であまりにも宣伝が溢れているので、無意識の内に「誰かが宣伝してくれるよね〜」と思ってしまい、自分たちが作った地方映画なのに、何ら宣伝しないで「公開が楽しみだなあ〜」と観客になってしまう現象がよく見られる。

何度も書いて来たがテレビや新聞。ネットは宣伝費をもらて宣伝しているのであり、親切で宣伝をしている訳ではない。また、市民が作った映画は企業映画のような十分な宣伝費がないのが通常。その範囲内でできることを考えることが大事。テレビのスポットや新聞の全面広告なんて数千万円かかるので、とても無理。企業とは違う方法論を実践することが必要なのだ。


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そんな中、一番安くて….いや….お金をかけずに宣伝できるのがネットだ。Facebook、Twitter、ブログは宣伝費を払わなくても宣伝ができるメディアだ。誰でも100人とか「友達」や「フォロワー」がいる。別の街や別の会社にも知り合いがいる。まず、そんな人たちに自分たちの作った映画を伝えることからスタートできる。

が、こんな人がいた。僕のやり方を学び市民映画を作った後輩。その映画に大きな貢献をした50代男性からこう言われた。彼は製作委員会のリーダーである。

「監督!ネットで映画の宣伝しましたよ!」

というので、Facebookを見たそうだ。すると、映画の上映会の日時、場所、時間が書かれた記事がアップされていた。「がんばってくれてるなあ〜」と友人は思った。が、その後、その男性は全く映画の告知記事をアップしてくれない。どうなっているのだろう?と訊いてみるとこう言われた。

「アップした記事は前に見てもらったでしょう? その記事を見て上映会に皆、来てくれますよ」

後輩は愕然とした。そもそもFacebookの記事は時間と共にライン下に流されて行き、それを探すにはラインをどんどん遡らないとならない。つまり、数日が経てば、その記事を読む人はゼロになる。それにもし、時間や場所を告知するならFacebookではなく、記事を固定できる公式HPを作るべき。Facebookはその種の告知には向かない。


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つまり、その男性がFacebookで1回だけ告知したことは「友達」がアップ直後に見て「へー地元の映画が作られたのかア?」と思うだけ。「見たい!」と思っても時間や場所をそこでメモして保存する人は極々わずか。もっと言えば、その男性の「友達」は何人いるのか? 結局、Facebookにひょいと記事を書1回書くだけでは宣伝にはならない。

なのにその男性は記事を1回アップして「宣伝した!」と思い込んでいた。後輩監督はあきれ果てて、そのことを男性に告げたら「でも、テレビや新聞で宣伝する金はないし、仕方ないでしょう!」と逆に憤られたという。こんな方は意外に多い。

Facebookが宣伝にならないのではない。1回記事を上げただけでは宣伝にならないということなのだ。テレビCMだって同じ。繰り返し繰り返し同じCMが放送される。そう、人は何度も何度も同じ宣伝を見ることで認知し、興味を持ち、行動する。1回宣伝を見ただけでは覚えてもくれないのだ。

Facebookでも同じ。一度、上映会の場所や時間を告知するだけでは不十分。それこそ1日数回。上映会の当日まで、繰り返し繰り返し、インフォメーションを伝えてこそ宣伝になる。CMもFacebookでの告知でも同じなのだ。


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「えー、毎日? 面倒だなあ〜」

という人もいる。しかし、1億円の宣伝費がありテレビでCMスポットをバンバン流してくれるのなら、関係者は何もしなくてもいい(本当はそれではいけない。やるべきことはある)が、宣伝費が僅かしかない。でも、自分たちの街をアピールする映画を多くの人に見てもらいたい!そう思ったら、無料で情報が拡散できるFacebookやTwitterで毎日情報発信をするべき。だってタダなんだもん!

「宣伝費はない」「毎日アップは面倒」というのでは何もできない。その昔は労力と時間を使っても一般市民が情報を発信する手段はなかった。でも、今はネットがある。FacebookやTwitterがある。官邸前でもう6年続く抗議デモも最初はTwitterの呼びかけで始まった。そんなふうにネットでも大きなムーブメントを起こし社会的な影響さえ与えることもできる。面倒くさがってはいけない。毎日、情報を発信することで多くの人に伝えることができるのだ。

後輩の話に戻る。その街で作られた映画。リーダーでさえ、そんな状態。メンバーたちもネットをやっているのに、誰も上映会の日時を伝えることもせず。ひたすら「上映会楽しみだね〜」とお客様気分だったという。後輩はすっかりやる気をなくしてしまったが、これも先に書いたのと同じ。その街のメンバーは「やる気」がないのではなく「宣伝」というものが分からない。実感できない。どうすれば宣伝ができるか?を知らないだけなのだ。


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だからまず、宣伝とは何かを伝える。どうすれば有効な宣伝ができるか?を説明することが大事なのだ。いろんな方法があるが、今回はひとつだけ書いてみる。Facebookなら、毎日、いや、毎日でなくても、3日に1回は自分たちが参加した映画のことを記事にすること。撮影中の想い出でもいい。上映する映画館の日時、場所でもいい。地元の風景写真でもいい。チラシを写メしたものでもいい。長い文章である必要はない。それを続けていればFacebook友達の目に止まる。

1度記事をアップしたくらいでは「ふーん」で終わるが、2度、3度と書き続けると、友達はその映画のことを覚えてくれる。その内に「そんなに何度も告知する映画ってどんなだろう?」と興味を持ってくれる。繰り返しアップすることで、より多くの友達が読んでくれる。友達が100人いたとしても、1〜2度記事を上げただけで、何人が読むのか? 昼しかFacebookを見ない人。夜しか見ない人。週イチの人。月イチの人。そう考えると1回記事を上げるだけでは、本当に僅かな友達しか読んでくれないことが分かる。

ある意味で選挙活動が近いかもしれない。

1日だけ街角に立ち「次の選挙は私、○山○男をお願いします!」と言っても誰も覚えてくれない。だから、毎日、街を回る。朝昼晩と駅前に立つ。そうやって顔を売り、政策を伝え、支持を集めて投票してもらう。映画の宣伝も同じ。繰り返し繰り返し、熱意を伝える。毎日、記事を書けなくても、誰か仲間が上げた記事を見つければ、それをシェア。過去の記事を再掲載してもいい。とにかく、何度もくり返すことが大事。

もちろん、1日に10回も記事を上げる必要はない。あまりに記事を連発すると嫌がる人もいる。それなら1日1回。2日に1回でもいいから長期間続ける方がいい。忙しくてアップできない期間があっても、シェアしたり、誰かの記事に「いいね」押すだけでもプラス。それが宣伝活動。

お金をかけなくても情報拡散することはできる。それをみんなでやれば大きな力になる。その熱い思いは必ず多くの人に伝わる。今日からやってみよう!


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映画の宣伝って映画館がしてくれるの?テレビがするの?ー誰もしてくれません!という話 [映画宣伝入門]

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映画作りについては映画ファンだけでなく、一般の方でも結構ご存知なことが多い。どのように撮影が行なわれるか? 現場にはカメラマンだけでなく、照明やメイクの担当者がいて、大騒ぎしながら撮影することも、多くの人がご存知。ただ、映画ができたあと。映画館公開時の宣伝というと、意外なほどみなさんご存知ないことが多い。

以前、市民の皆さんと映画を作っていたときも、撮影ではもの凄く奮闘してくれたのに、完成すると皆「公開が楽しみです〜」と観客になってしまったことがある。えーこれから宣伝活動なのに〜と思ったが誰も手伝ってくれないで大いに困った。映画だけではなく、商品というのは何でも宣伝が大切。宣伝することで商品を買ってもらえるし、映画を観に来てもらえる。なぜか、そのことを認識していない人が多かったのだ...。

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宣伝は大切だ。テレビを見れば1日中、コマーシャルが流れているし、新聞、雑誌には広告。ネットだってクリックしなくてもガンガン広告が流れて来る。外に出れば立て看板。電車の中は吊り広告。どこに行っても宣伝が溢れている。日本人はそんな中で生活しているのに、映画が完成したあとに「次は宣伝だ!」という人はあまりにいない。

何人かに聞いてみると「えー宣伝〜?考えなかった〜」或はこうだ「テレビが宣伝してくれるんじゃない?」「新聞で広告出してくれるんでしょう?」「誰かが宣伝してくれるんだよね〜?」という答えでビックリ。確かに映画が公開されるときは、テレビでバンバンスポットが流れるし、新聞や雑誌に広告が掲載される。でも、あれは全てお金を払っている訳で、テレビや新聞が自主的に無料で宣伝してくれる訳ではない。

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考えたら分かると思うのだけど、ほとんどの人が「宣伝」という概念さえなかった。それも仕方がないところがあるのは、あまりにも広告が溢れているから。テレビでも、新聞でも、ネットでも、広告だらけ。その渦の中にいると、宣伝されるのは当たり前!と無意識に感じてしまうのだ。でも、当然、宣伝というのは全てお金を払ってやってもらうもの。誰もタダで宣伝などしてくれない。なぜ、それに気付かないのだろう?

というのも、テレビを見るのはタダ。(ケーブル、衛星、NHKは別だよ)CMが勝手に流れて来る。自分は金を払う訳ではないが、バンバン宣伝が流れる。その環境が当たり前になる。例を上げよう。親が働いて生活費を稼ぐからこそ、子供たちはごはんが食べる。なのに子供たちはそれが当たり前と思いがち。そう、日常に埋もれると、その理由を考えずに、その環境を当然だと思ってしまうところがある。

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テレビで放送されるCMは、メーカーが高い製作費を払って作り、さらに高い費用を払ってテレビ局に放送してもらっているのだ。それを見て僕らはその商品を購入。その代金の中にCM料が入っている。知らない間に高い料金を払わされている。それに気付かない。同じように映画のスポットが流れるのは配給会社が高い広告料をテレビ局に払い、流してもらっているのだし、新聞社に広告を載せてもらっているのだ。

広告料を払わないで、テレビも、新聞も、雑誌も、ネットも宣伝などしてくれない。なのに、多くの市民映画は完成すると「ばんざーーい。公開が楽しみ〜」と思ってしまう。「誰かが宣伝してくれるよね〜」ならいいが、宣伝ということを全く考えない人の方が多い。これはその人たちの問題というより、いかに宣伝の中に日本人は埋没し、麻痺しているか?ということなのである。

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「公開楽しみ〜」といって何もしないで、惨敗した映画を何本も知っている。だってテレビも新聞も金を払わずに宣伝してくれる訳がない。当然、上映されることは伝わらない=>客が来ない=>惨敗。でも、地方映画で十分な宣伝費がある映画はまずない。映画製作だけで精一杯というのが通常だ。では、どうすればいいのか? 僅かな宣伝費で最大限の宣伝をするには?僕はこの10年。試行錯誤しながら、それを実践して来た。

その話は以前にも何度も書いたので、僕が監督した映画のブログのカテゴリーで「宣伝」という項目をクリックしてほしい。ただ、もうひとつ大切なことに気付く。戦略だ。方法論。もし、宣伝費が十分にあっても、これを間違うと大変なことになる。宣伝費が少なければ、よりそれを大切に推進する必要がある。それは時代にも左右される。そこを考えたい。

1970年代後半からは角川映画に代表されるように、物量作戦。嫌というほどテレビでスポットを流した。「母さん。あの帽子...」とか「お父さん。怖いよー」とか「カイカン!」とか誰もが覚えるほと宣伝し、業界の多くのが追随していた。が、1990年代に入り、同じ方法論でヒットしない映画が出て来た。物量宣伝だけではダメ。そう、角川の功罪を踏まえていない。テレビでバンバン宣伝するから、あの当時は観に行った。が、次第に、大宣伝する映画の全てが面白い訳ではないこと。退屈な凡作であることも多いことに観客は気づき始めたのだ。次回はそんな話をしてみたい。


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明日にかける橋・スチール写真の公開にも戦略がある? [映画宣伝入門]

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スチール写真公開のタイミングも宣伝戦略がある。「何でもいいからバンバン公開しよう!」というのはダメ。映画の存在を、知名度を上げて行くために有効な方法で公開する必要がある。

上写真は地元完成披露試写会前に公開したもの。撮影風景で俳優が映っている。この種のものを10枚ほどセレクト。全て俳優が所属する事務所の承諾を取って週イチでアップした。

地元の皆さんがスチール写真を見ることで、昨年の撮影を思い出し「あー懐かしいなあ。映画。いよいよ完成するんだな!」と思ってもらうには、物語の一場面より、撮影風景の方が相応しいと考えた。


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また、この段階でドラマのスチールを公開すると、地元以外の人たちが、映画館公開の7ヶ月前に映画の一場面を見ることになる。そのときは「おー面白そうだなあ」と思っても、7ヶ月先にはもう覚えていない。そして映画館公開に向けて本格的な宣伝が始まったときに、「あれ〜これかなり前に見たなあ。まだ公開されてないんだ」と古めかしさを感じてしまう。それはマイナス。

その意味でも完成披露試写会の前には撮影風景のスチールを週イチで公開。2ヶ月ほどの間。毎週新しい写真が見れることで、「早く映画が観たい!」という気持ちを持続してもらうことが目的だった。

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さて、6月30日からは東京先行公開。有楽町スバル座。この日に向けて、今度は物語の一場面であるスチール写真を少しずつ公開して行く。東京は日本で一番映画人口の多い街。映画興行の95%は東京。だから、どの配給会社も力を入れる。そして東京でヒットすると、その情報は全国に流れて、地方でも多くの観客動員が期待できる。

その日に合わせてスチール写真を公開していく。これも一度に多くの写真を公開して「おー、こんな感じの映画か?おもしろそうだなあ」と思われても、それが持続しないと意味がない。また、多くのスチールを見ると映画を観てしまったような気分になる人も多い。公開になっても「あー今頃上映かあ?」と観ていないのにそう感じることがある。それも危険。

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なので、スチール写真は「これぞ!」という印象的なスチールも公開しない。ネタバレするものもダメ。といって魅力的でない写真だと「観たい!」と思わない。そこが難しいところ。なので、まず、出演者紹介的なスチールから公開して行く。ストーリーも何となく分かるが、詳しくはバレない写真を選ぶ。

「どんな物語なんだろう?」「誰が出てるんだろう?」「お!宝田明が出てるのか!」「この若手女優。誰? 可愛いなあ」と思えるものを少しずつ時間をかけて公開していく。それが宣伝。4月に入ったら、そんなスチール写真を公開して行く。お楽しみに!

特報=>https://youtu.be/GQvGqBhNHaY

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夢は掴める。「世の中甘くない」は言い訳。努力の仕方が大切? [my opinion]

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「将来は映画監督になりたい!」「私は女優になりたい」「俺は作家になるぞ」いろんな夢を追う人たちがいる。が、僕らの世代は高校生になると、もう夢を語らなかった。「夢を追うなんて子供。現実は厳しい...」と考え始めるのだ。それどころか夢を語る友人がいれば、寄ってたかって「やめろ!」「どうせ無理だ」「世の中甘くない」「絶対に無理だ」と批判や説得を始める。

不思議な現象。もし、彼らが夢に向かって努力して破れたのなら「僕の経験だけど、夢を掴むのは難しいよ〜」というのは分かる。が、何もしたことのない、まだまだ、これから!という10代の高校生が「世の中甘くない」「どうせ無理だ」というのだ。

背景を説明すると長くなるので簡単にいうと、彼らは20歳前にして世の中に失望し、無力感を痛感していた。だから、まじめに勉強していい大学に行き、いい会社に入る。それが現実的であり、大人の生き方なのだと思い込んでいたのだ。こうして多くの若者が夢を諦め、おとなしく管理社会に取り込まれて行ったのである。

それでも夢が諦められずに、それぞれの道を目指す人たちもいた。ここからが本論だ。ただ、それでも夢を掴めずに潰れて行く人たちが多い。それを見た僕の同世代はいう。「言わんこっちゃない。世の中甘くないといっただろう?」しかし、本当に世の中が厳しいからダメだったのか? 世の中が厳しいのは当たり前だ。では、その中で成功している人たちがいるのはなぜか? ミリオンセラーを出す歌手になったり、大人気の俳優もいる。映画監督や小説家になる人たちもいる。「世の中、甘くない」では説明できない。

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「才能があったからだよ」という人がいる。では、才能って何? 努力しなくても名曲を思いつくの? 練習しなくてもギターが弾けるの? 経験がなくても感動映画が撮れるの? 何度も書いたが、才能というのは夢を掴めなかった人が「言い訳」として使う言葉であることが多い。「俺は努力したけど、才能がないからダメだった」「彼が成功したのは才能があったからだ」そう思いたくて「才能」という言葉を利用していることが多い。このことは以前に書いたので今回は次に行く。

では、夢を掴んだ人と、掴めなかった人の違いは何か? 僕は高校時代に映画監督を目指すと決めた。その後、同じく映画監督志望の後輩。そして小説家志望、歌手、俳優、漫画家、コピーライター、ギタリスト、脚本家と、いろんな夢を追い掛ける友人と出会う。だが、その多くは99%は夢破れ、去って行った。

その後、僕は業界で仕事をすることになり、さらにいろんな人たちと出会う。大物映画監督、ベストセラー作家、有名俳優、ベテラン俳優、歌手、ミュージシャン、伝説のバンドのマネージャー、お笑いタレント、と様々な世界で大成功した人たちと仕事したり、お会いする機会があった。そんな人たちと接して、話を聞いて、また消えて行った夢追う友人たちと比較して、いろんなことを感じた。

まず、高校時代に「世の中は甘くない」と言っていた同級生たち。彼らは努力することを諦めた人たちだったということ。その理由を「世の中は厳しい」ということにして、自分が望む夢を追うことを諦めただけだということ。では、彼らの選んだ道ー堅実に勉強して、一流大学に入り、一流企業に就職することが簡単か?というと、そうではない。

夢を追うのと同じで、努力が必要。かなり厳しい現実が待ち受けている。にも関わらず、夢は追わないが、一流大学には入りたいと努力して勉強していた友人たちが「世の中甘くない」といっていたのは何だったのか?と思える。つまり、努力せずに世の中のせいにして、夢を追う努力をすることを拒否していたということ。

では、その後も夢を追い続けた友人たちはどうか? 今思うに、成功し、夢を掴んだ人たちと比較すると、夢破れた友人たちというのは「努力が足りなかった」ということだ。成功者たちの言葉を聞くと、尋常でない努力をしている。俳優でも、ミュージシャンでも、それぞれが努力している。が、僕のまわりにいた人々はまず大学に行き、専門学校に行き、バイトをして、合コンして、或は宴会して、大騒ぎして青春を謳歌して、その上で夢を掴みたいということが多かった。

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土日は休みたい。バイトで忙しいからシナリオが書けない。事務所に入れないから俳優になれない。とか、様々な理由をつけて夢を掴む努力をせずに済ませることが多かった。これは先の人たち。「現実は甘くない」という口実で夢を諦めた高校時代の友人たちと同じ。自分では努力せずに、世の中のせいにして夢を掴む努力をしない。

「バイトしないと生活ができない!」といいながら、それなりの部屋に住んでいる。車を持っている。「事務所に入らないと芸能活動ができない」といいつつ、売り込みもしない。脚本家になりたいといいながら、シナリオを書かない。訊くと「バイトが忙しい」と答える。その手の人たちは数年間。都会で生活するが、やがてこう言った。「世の中甘くない」「現実は厳しい」そうして夢を諦めて就職。或は故郷に戻って行った。

こうして思い返すと、夢を掴めなかったのは「努力」をしたけど、現実が厳しくてダメだったのではなく、努力をしなかったから現実を切り開くことが出来なかった人たちであることが分かる。高校時代の同級生も、その後出会った友人たちも同じなのだ。では、どういう人たちがその世界に入り込み、仕事を得て、活躍しているのか? 

今、一緒に仕事をしている仲間たち。お会いしたことのある著名人や巨匠たちと話すと、その辺が分かって来る。「努力」ということ。具体的にはどういうことなのか? それがキーだった。例えば「映画監督になりたい!」と思う。思いつくのは専門学校に行く。大学の映画科で学ぶということ。ただ、その手の学校を卒業する生徒は毎年、何千人といる。その全員が監督になれるはずがない。


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その中の1人か2人。学校で学んでも大きな意味はないということ。僕も映画学校に行ったことがあるが、本当に無意味。評論家養成講座のようなもので、あんな勉強をして監督になれる訳がない。実際、今、監督業をしていて映画学校で学び役立ったものはひとつもない。卒業しても仕事を世話してくれる訳でもない。監督承認証がもらえる訳でもない。だが、多くの若者が学校に行き、無意味な勉強を続けている。

つまり、間違った努力をしていて夢は掴めないということ。そもそも、芸術は学校で学べない。では、何が大切か? 成功した人たちを見ていて感じたのは、皆、実践しているということ。歌手の矢沢永吉は横浜で仲間を集めてバンドをしていた。俳優の上川隆也は大学の劇団にいた。大森一樹は8ミリ映画を撮っていた。いわゆる自主映画。漫画家や小説家は何本もの作品を書き、懸賞に応募。編集部に持ち込んだりする。皆、その中で努力を続けた。

ここで振り返ろう。なぜ、高校卒業後に夢追った仲間たちは挫折したのか? もちろん、先に書いたように努力をしなかったからだ。では、なぜ、努力しなかったのか? ここに答えがある。シナリオを1度も書いたことがないのに脚本家になると言っていた友人。専門学校に通いバイトするだけの俳優志望の友人。多くに共通すること。「表現」をしていないーシナリオを書く。小説を書く。演技をする。作曲する。歌う。演奏する。8ミリ映画を撮る。それらを人に見せることなく終わっている。

なぜ、彼らはしなかったか? こう言っていた。「依頼が来ればいつでもシナリオを書く」「ドラマに出ればいい演技を見せてやる」「映画撮らせてくれたら大ヒット作を撮ってやる」皆、チャンスがあれば、頼まれればやる!という者が多かった。つまり、彼らは「俺はそれなりの実力がある。チャンスがないだけだ」と内心思っている。「やればできる」と思い込んでいた。が、誰がど素人の彼らに仕事を依頼するというのか?

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これも以前書いたが、彼らの多くは「監督と呼ばれたい」「作家になり自慢したい」「歌手になりキャーキャー言われたい」「人と違った芸能活動がしたい」というのが本当のところだったのだ。まさに夢を語っていただけ。だから、努力しない。努力せずに、皆に褒められたい。そのための肩書きがほしいというのが本音だった。だから、8ミリ映画も撮らない。バンドもやらない。舞台にも立たない。

一番の間違いは何も努力をせずに「映画を撮れればヒット作になる」「ドラマに出れば名演技ができる」「小説を書けばベストセラーになる」という根拠のない自信が彼らを支えていた。誰でも思うことだが、「飛行機に乗り事故に遭っても自分だけ助かる」と感じたことはないだろうか? 根拠のない自信。若い頃は多くがそう感じている。

自分はきっと特別だ。何かできるはず。いつか、それが開花するはず。とシンデレラのようなに待っている若い人が今も多くいる。しかし、彼らは特別ではない。極普通の庶民。ただ「特別だ」と思いたいだけ。なのに努力をしない。世の中が厳しいのではなく、何もしないのだから夢は叶わないのだ。

そう考えると「世の中が厳しい」から夢が叶わない。「才能」がないから夢を掴めないではなく、何もしないから夢を実現できないということが分かる。では、どんな努力をすればいいのか? その答えのひとつが先の成功した有名人たち。皆、行動している。バンド、自主映画、劇団、執筆。表現をしている。夢破れた友人たちと対象的。

友人たちは何もしていないのに、経験がないのに「小説が書ける」「歌が歌える」「演技ができる」「映画が撮れる」と思い込んでいた(その背景に才能があればできるはず…という間違った考え方もある)。


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が、成功した人たちは、表現を続けることで、実力を磨き、客や読者、観客を感動させて、やがて認められたのだ。業界は何もしない人たちに近づいて来て「君。才能あるから小説を書いてみないか?」なんて絶対に言わない。それを期待している人たちは消えて行った。

また、この業界で仕事をしていて感じること。人の能力を見極める力がある人が本当に少ないこと。ほとんどいない。そんな連中がまだ何もしていない俳優の卵や作家の卵たちに、「君、才能があるよ」なんて言えるはずがない。

素晴らしい小説を目の前にしても、その面白さが分からない編集が多くいる。ブレイク間違いなしの女優がオーディションに来ても、気付かないプロデュサーばかり。彼らが選ぶのはすでに実績のあるベストセラー作家や人気絶頂の俳優ばかり。すでに認められた人のみ。そんな鈍い人たちが何もしないで夢追う人々の隠された力を知り、手を差し伸べることなんてありえない。

だから、世に出た人たちは実力を磨き、実績を作り、その力を見せつけて、その世界に斬り込んだのである。自分たちの力を過信せず、さまざまな経験をすることで、さらに巧みな表現力を磨く。その過程で多くが認め、支持してくれる。もちろん、そのための方法論はある。それを間違えば、認められるものも認められない。が、それはまた次の話だ。

毎回、映画を撮るときに多くの新人がオーディションに来てくれる。また、いろんな芸術分野でがんばる人たちが僕のブログを読んでくれている。だから、一度、総括として「夢を追う」ということを書いてみたかった。才能なんてない。何もしなければ夢は叶わない。表現を続けること。作品を作ること。待っていてはいけない。努力の方法を間違わなければ、必ず夢は掴める。でも、そこからが本当のスタート。それはまた別の機会に書かせてもらう。


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明日にかける橋ー祝日も仕事。それが映画業界。ブラックなんて言ってられない?! [3月−2018]

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本日は祝日だが、映画関係は休み!という訳にはいかない。今朝からあれこれ作業をしている。昨日から冬に戻ったようで気温は10度を下回っている。いつもなら平気で仕事をするのだが、本日もヒーターをつけて仕事。

少し前にかなり厳しい仕事をして、疲労困憊。活字を読む集中力さえ低下。数日間寝込んでいた。こんなときに風邪を引くと大変。という訳で部屋を暖かくして作業。

配給会社も祝日に関係なく仕事をしている。前売り券を印刷所に依頼するとの連絡。デザインはチラシ&ポスターと同じものだが、前売り券はチラシより細いので、同じデザインで行けるか?と不安だったが、デザイナーさんが見事に嵌めてくれて感謝。

体力低下中なので、ここ数日は押さえ気味に仕事をしているが、次第に活字を読む集中力も戻り、少しずつ余裕が戻って来る。とはいえ、友達呼んで宴会という元気はなく、昨年の撮影以来、部屋を片付ける余裕すらなく、完成披露試写会に突入。その後は改訂版の編集と、休む暇もなかったので部屋がゴミ屋敷状態。それをまず何とかしたい。

間もなくマスコミ試写会もスタートするので、招待すべき人たちのリストアップも必要だ。といってもお友達を呼ぶのではない。映画を観たことで、その感想を新聞、雑誌、映画サイト等に書いてくれる評論家や映画ライター。そして著名人、有名人。そんな人たちが観てくれれば、エッセイやトーク番組で「明日」の話をしてくれるかもしれない。

その人選もせねばならない。そして間もなくMA。これが終わらないとほっとできない。今回は5.1chで録音。もちろんステレオ。合成処理や編集も直しているので、感動も2倍。そのあとに予告篇の編集。やること山積み。がんばらねば。


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♫もうすぐ春ですね? 新作の宣伝始めます!(キャンディーズの歌のフレーズで) [3月−2018]

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先日まで「寒い〜」と思っていたら、「ああ、もう春だ〜」と思える暖かさ。もうスタジャンを着る季節も終わったなあ〜と感じる。花粉が飛び交い、くしゃみ止まらず「本格的な春か?」と思いきや。本日は寒い上に雨。また、冬に逆戻り。ヒーターをつけて仕事をする。

CMを見ていると「もう春なんだな〜」という明るいイメージのものが増えているが、個人的には冬が好き。あの「寒いーー」と思いながらヒーターをつけて仕事する雰囲気がいい。木枯らし舞う道路を首をすぼめて歩く夜道が好きだったりする。

ま、映画監督なんてひねくれ者ばかり。と書きながら、ここ数日、実は疲労困憊で寝込んでいた。少し前の大仕事を終えてほっとしたらドドドと疲れが出た。まだ、完了はしていないが、しばらくは自宅勤務(?)。

が、ここから「明日」宣伝活動が始まる。とはいえ、これまでのような編集作業や撮影ではないので、忙しいとはいいながら、若干の余裕はある。生活のための仕事もせねばならない。そして、監督業はいろいろ勉強も大切。テレビニュースもここしばらくほとんど見れていない。

森友問題はどうなったのか?録りためたビデオを暇あれば再生。財務省改ざん事件を把握。古賀茂明さんの本「独裁者」も読み進めている。あと昨年から読めずにいる「地位協定入門」という本も読まねばならない。古本屋などで見つけたときに買う小説もたまる一方。余裕があれば読みたい。

「明日にかける橋」でこれまでのカードは全て注ぎ込んだ感がある。次回作の話はまだないが、あれこれ勉強しておかないと次に進めない。数年前から興味を持ち勉強している精神病もまだまだ調べたい。上映中の映画も観に行かねば。新作を見ることは何よりの勉強なのだ。

ヒーターの上で洗濯物を乾かしながら、音楽家さんに送るデータの書き出し。その間にFacebookで記事書き。来週からは宣伝活動が本格スタートである。


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