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映画が完成しても、映画館で上映するのに1年待ち?ーー③公開まで時間が必要な場合もある! [映画業界物語]

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ただ、逆に完成から公開まで1年は必要な場合もある。先に紹介した「朝日のあたる家」は原発事故を扱った作品。多くの人が関心を持っていたので、すぐに上映した方が多くの人が映画館に来てくれる。あと、出演者がブレイクして超人気!というときも早い段階で上映せねば、翌年にその俳優が人気あるとは限らない。

だが、通常の映画であればその種のタイムリーな好条件はなく、配給会社が地道に話題作りをしていかねばならない。そのためには時間がかかる。シネコンは非常にいい環境で映画を見られるので、映画ファンにはとてもありがたいが、昔のように表の大きな看板を出すことはない。入り口にスチール写真を展示したりもしない。街角にポスターも貼らなくなった。

つまり、映画館は宣伝をしない。すでに宣伝された映画を上映するだけなのだ。なので、シネコンに来る客はそこで映画を選ぶことはできない。上映中のポスターも貼られていないシネコンが多い。テレビや雑誌で知った映画を見に来る場所なのだ。映画館の前に来てポスターや看板を見て「面白そうだなあ」と映画を見ることはない。

そうなると重要なのは宣伝だ。今の時代。宣伝はとても難しい。80年代の角川映画のように物量で宣伝しても今はもう客が来るとは限らない。しかし、宣伝せずに口コミで人気が伝わりヒットということもない。客入りが悪ければ、すぐに上映回数を減らし、打ち切るのがシネコンの得意技だ。見たい映画も早朝や深夜しかやっておらず、結局見れないということが多い。

つまり、ある程度の宣伝をしなければシネコンでは客が来ないということ。特に話題性のない映画の場合は、そんな宣伝を時間をかけてやる必要がある。チラシ、ポスターはもちろん。予告篇、イベント。それらをまめに続ける。とにかく、映画のタイトルを覚えてもらうことが大事だ。お菓子メーカーは新製品を出すとき、そのお菓子の名前をアピールするために何億円もの宣伝費を使う。覚えてもらうというのは本当に大変なことなのだ。

映画も同じ。アメリカ映画。トムクルーズが主演したあるアクション映画は10億円ほどの興行収入がある。が、宣伝費が8億円。えー儲けが少ない!と思うかもしれないが、収入は2億円。かなりの額。大手の映画というのは8億円かけて10億稼ぐのが主流。それくらいに宣伝はしないと、一般の人は映画のタイトルを覚え、映画館まで来てくれないのだ。

しかし、お金をかけるばかりが能じゃない。いろいろとアングラな方法もある。その辺はいずれ紹介するが、お金をかけずに宣伝するのは時間がかかる。その意味で完成すぐに上映ではなく、時間があることは大事なのだ。今の時代。映画を上映すれば観客が来る時代ではない。むしろ宣伝しなければ誰も見に来ない時代。でも、方法はある。大切なのは宣伝。配給会社に任せきりではダメ。映画を作った人たち自身がいかに動くか?が映画の命運を握っているのだ。がんばるぞ!


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映画が完成しても、映画館で上映するのに1年待ち?ーー② 大手映画会社作品を優先?! [映画業界物語]

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映画が完成しても、映画館で上映するのに1年待ち?ーー②

映画公開で大切なことは完成してから出来るだけ早い段階で映画館上映がスタートすること。それがヒットにつながる。だから、撮影前のキャストやシナリオ等で映画館側が判断。上映を決めてくれれば、完成直後に上映が可能となる。

だが、映画館側は言う。「完成したものを観ないと何ともいえない」完成してから試写を見せて気に入れば上映が決まる。が、その段階から1年後の上映が普通だ。撮影でその映画が話題になり、マスコミで取り上げられたりして「早く観たいー」という人が大勢いても、その人たちが映画の存在を忘れる1年後にしか公開されないのだ。

理由は前回書いたが、多くの映画が製作され、上映待ちの映画が多いから。というのがひとつ。そして、どんな今旬の映画でも、順番待ちをせねばならない。「朝日のあたる家」のときも、ネットが逆炎上するくらい「観たい!」という声が上がり、各地の映画館に「朝日、上映してほしい」というリクエストが殺到したのに、東京の映画館は8ヶ月後なら...という返事だった。映画館はそんなお役所的な対応だった。

もうひとつの問題は映画館は基本的に大手映画会社の作品を優遇する。東宝、松竹、東映という大手は、春休み、ゴールデンウィーク、夏休み、正月休み期間を毎年押さえていて、その期間に外部、独立プロの作品は絶対に入れない。どんな素晴らしい作品でも、話題作でも、今旬のものでも、一切アウト。大手を優遇する。

それら大手の作品がどんな作品で、誰が出ていて、当たりそうかどうか?も分からないのにスケジュールを空けている。つまり、大手でない映画は1年の内、それ以外の期間でないと上映してくれない。あるとき「夏休みが終わった9月はどうですか?」と交渉した。答えはこうだ。「大手の映画がヒットして続映になることもあるので、空けてあり、他の作品は入れることができません」

ため息。そこまで大手の映画を優遇するのか? そんな大手の作品は毎回、どれだけの利益を映画館側にもたらすのか? そんなことに関係なしに、映画館は大手のために長期間、スケジュールを空けておくのである。

そうなると、残った数ヶ月しか外部作品は上映できない。そこに何百本の映画が申し込みをする。結局、上映が1年後になる。どんなにヒットする映画でも、話題作でも、申し込み順にしか上映しない。先にも書いたが、やりくりすれば今旬の映画を早めに上映することは可能なのに、なぜそんな努力をしないのか?

ひとつには映画館に系列があった時代。東宝映画は東宝の映画館で上映。松竹は松竹で。という時代。本社が作った映画を直営店は上映するだけ。「どの作品がヒットするかな?」と選ぶ立場ではなかった。が、今はシネコン。系列が崩れて映画館は作品を選べる立場にある。にも関わらず現場は本部が決めた映画をただ上映するだけなのだ。

現場の努力で別の映画を入れることは可能なのに、本部からの指示通りに動くだけ。物申したり。提案したりはしない。現場のことは現場が一番知っているのに本部の指示に従う。あれ?何だか映画館以外にもいえることだと思えてきた。以前に、孫正義さんが「日本の企業はもうアジアで勝てない」という発言に絡めて僕の持論を書いたことがある。そのときに指摘したことが映画館にもいえるようだ。

日本の教育は「与えられたことを確実にこなせるようになる」ことが目的。自分で考えたり、指示に疑問を持ったりしていけない。つまり日本の教育は優秀なサラリーマンを育成するためのもので、その成果が上がり経済大国となった。が、バブル崩壊以後、与えられたことをやるだけのロボット社員では今の時代を生き抜くことができない。

だから、孫さんが言うように、日本企業の不振が続いているのだ。映画館業界も同じではないか? 上から言われたことをやるだけ。今旬の映画をいち早く公開すれば儲かる。なのに「夏休みは大手映画会社の作品が...」「空いている期間は順番待ちがあって」と儲かるチャンスをみすみず逃している。

これではお役所仕事。役所はそれでいいが、映画館はそうはいかない。だから、どんどん潰れる。努力をしていないからだ。同じように、日本企業がダメなのも、バブル時代に楽して儲けてから努力をしていない。あるいは現場を分からない上の人たちが現場に無理を押し付けている。現場も努力せず、いわれたことをしているだけ。

資本主義社会でそんなことが通るわけがない。もっと言えば、もう現代では通用しないルールや方法論を上の人たちが現場に押し付けているということ。時代のスピードについていけず、古い価値観を今も振り回しているということなのだろう。そして、現場に決定権を与えず、儲かるチャンスを逃し「不況でダメだなあ」とボヤいているのではないか?

いい映画をいち早く公開すれば、映画はヒットする。映画館も儲かる。でも、旬を逃せば、映画はヒットしない。映画館も儲からない。上映依頼をすると「作品を見てから」と内容を吟味するのに、それから1年後に上映してもヒットするわけがない。そこが映画界最大の問題点のひとつなのだ。

こうなると自分で映画館を持つしか方法がないように思えるが、それは莫大な費用が必要で、さすが無理だ。が、この問題を突破しないと、どんなにいい映画を作っても、多くの人に見てもらうチャンスを潰されてしまう。なんとかせねばならない。そんなことを考えている。


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映画が完成しても、映画館で上映するのに1年待ち?ーー① 今旬作品なのに上映は来年? [映画業界物語]

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一般の方は映画は完成したら、映画館で上映してくれるものと思ってはいないか?それがそうではなく、そこにもの凄い苦労がある。今回はそんな映画館事情を書く。

昔は東宝映画は東宝の映画館で、松竹映画は松竹の映画館で上映された。系列といって、東宝の映画は松竹の映画館ではかからなかった。だから、独立プロが映画を作ったときは、メジャー映画館では上映できず。単館と呼ばれるマイナーな個人が経営する映画館でしか上映できなかった。

が、シネコンが作られてからは系列システムは崩壊。松竹系の映画館でも東宝映画が上映され。独立プロの作品も公開されるようになった。しかし、しかし、問題は山積みだ。僕が監督した「朝日のあたる家」のときにそれを痛感した。

メジャー映画は全国一斉公開が多いが、低予算作品はまず東京で公開されてから地方公開ということが多い。東京でヒットすることで、マスコミがニュースを流し、地方での知名度が上げることが大事だからだ。

なのに「朝日」は東京で上映がなかなかできなかった。なぜか?「上映はしたいが今すぐは無理」というのだ。「朝日」の完成は5月。直後から交渉を始めた。ロケ地湖西市での完成披露上映会に3000人が集まり、Yahooニュースのトップに出たり、直後に出演者の山本太郎さんが参議院議員に当選したりで、ネットでももの凄い数の人が「朝日を観たい!」と声をあげていた。

夏に上映すれば映画は必ず大ヒットする。なのに映画館はこういう。「来年の2月はどうですか?」8ヶ月もあとだ!!! 何を考えているのか? 現代はもの凄いスピードで動いている。今、「朝日を観たい!」と盛り上がっているのに、わざわざ8ヶ月も先に公開してどうする。盛り上がりというのは続いて1ー2ヶ月だ。それを過ぎると、皆、忘れていく。別のことに関心を持っていく。なのに、8ヶ月後の翌年の2月だ。

理由のひとつは現在、作られる映画の数に対して映画館の数が少ないということがある。なので、作られた映画が公開されるのは1年後であることが多い。だから、順番待ちだという。それは分かる。が、映画館は役所ではない。また、映画は旬が大事。夏を舞台にした映画は夏前に公開するのが大事だし、ブレイクしたアイドルはブレイクしている内に上映せねば客が来ない。

なのに、映画館は「順番ですから...」というのだ。役所か!?もし、これが昔の映画館のように、1本の映画を1日4回上映するのなら、順番というのも分かる。が、今はシネコンが主流。複数のスクリーンがある。映画はヒットすれば上映が続き、しなければ2週間で終わりというシステム。そこそこなら翌週から1日4回上映を1回上映にされる。

昔の映画館のように客の入らない映画を1日4回もまわすようなことはしない。ダメなら回数を減らす。打ち切る。そして新しい映画をかける。そんなふうにシネコンは融通が利く。つまり、そんな中で隙間が生まれる。夏に10本の映画が公開されても、その全てがヒットすることはなく、というより、基本的にヒットするのは1、2本。あとは、そこそこの客というのが現実。

そんな隙間に今旬の映画を入れることは可能なのだ。その努力をせずに、次、予定を入れられるのは来年だなあ〜と言う。分かりやすく言えば、八百屋に今話題の旬の野菜を置いてほしいと頼む。大評判で必ず売れる。なのに主人は置く場所がないから、来年の春なら....というのと同じ。店の棚にある他の野菜を少し詰めれば置く場所はできるのに、その努力をしない。

今旬の野菜は今、旬なわけで来年の春に売れるものではない。8ヶ月も経てば鮮度を失い、売り場に並ぶ頃にはもう客は興味を示さないのだ。そんな商売をやっているのが今の映画館である。呆れ果てて、映画興行の基本である東京からスタートをやめた。

「朝日」を一番最初に上映してくれたのは愛知県豊川市のコロナグループだ。ここは行動が早く、夏の終わりに公開してくれた。そして大ヒット。だが、その後、東京で秋に上映したいという映画館が出てきて、そこでも大ヒットしたが、もっと早く上映していれば、もっと凄いヒットになっただろう。

そんなふうに映画館と言うのはお役所的で、儲かるかどうかより、申し込みがあった順。今旬(いましゅん)よりも、順番に囚われるところが多い。「順番を無視しろ!」というのではない。ちょっとした努力で、多くの人が見たがっている今旬の作品を上映することは可能なのだ。その努力をしないだけ。今旬を8ヶ月後にやっても意味はない。客も興味を失っているし、映画館も儲からない。

最近、映画館がどんどん潰れているが、役所のようなことをしているからではないか? 映画館も商売。それを系列時代のように、上から言われた映画を上映しているときと同じ感覚で上映しているように思えてならない。作る方も上映する方も損をするこのあり方。考えなければならない。(つづく)


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俳優業ーもの凄い責任と期待に、応えなければならない人生を賭ける仕事。 [映画業界物語]

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俳優ーというとかっこ良くて、

或いは美形の人たちがお芝居をする仕事。多額のギャラをもらい、皆にチヤホヤされる存在と羨む人が多いだろう。でも、現実は違う。恵まれているのは本当に一握りの人たちうであり、ほんとんどはアルバイトをしながら俳優業を続けている。

オーディションで合格すると、或いは出演依頼が来るとアルバイトを休み。撮影に参加する。1週間の撮影であっても時間をかけて役作りをせねばならない。台詞を完璧に覚えるのは当然。その役はどんな性格の人で、どんな経験をして、なぜ、そんな行動を取るのか?その背景や心理を徹底して考える。シナリオには書かれていない部分まで想像しないと、役を演じることはできない。

これが舞台なら何ヶ月も練習があり、

その間に演出家から指導を受けて役作りができる(とは言え、舞台も映画も俳優の責任がとてつもなく重いのは同じだ)。が、映画の場合は監督と会えるのが衣装合わせのみということが多い。そこで衣装を決めながら、短い時間、役について話をする。質問をする。説明を受ける。それだけで次は撮影なのだ。

もし、俳優が役の解釈を間違ったまま撮影に臨んだ場合。監督に「全然違う!」と言われる。その段で役柄を直すのは至難の技。まず不可能だ。だからこそ、真剣に役作りをし、撮影に臨む。そこで勘違いな役を演じたら、「あいつはシナリオが読めないんだよな。何であんな役になるんだよ!」と思われ二度と、依頼は来ない。

こんなケースもある。撮影直前に親が入院した。命に関わる病気だ。気が気で無い。でも、俳優は役作りをし、撮影に臨まなければならない。「親の死に目に会えない」といわれるのが俳優業。親が死んでも、その日の撮影や舞台は行われる。多くのスタッフ&キャストや観客が集まるので、自分の都合で欠席はできない。小さな役でも、その1人が現場に行かねば撮影も、舞台もできないからだ。

だから、親が危篤でも俳優は病院に駆けつけられない。

見た目は派手な仕事に見えるが俳優業というのは、過酷な仕事なのである。自分1人がいないだけで、皆が迷惑するだけでなく、多額の費用も飛んでしまう。映画撮影でも、舞台でも、個人で賠償できる額ではない。また、何よりも舞台ならお客さんを裏切ることになる。芝居を楽しみに時間を割いて来たのだから公演中止にはできない。撮影なら、共演者にも迷惑をかける。相手がいなければ芝居はできない。

だから、親が危篤であることを隠して現場に行く。しかし、そこで演技に集中できず、台詞を思い出せなかったり、気持ちの入らない芝居をしてしまったら大変なことになる。監督はからは厳しい注意を受ける。それでも集中できず芝居ができなければどうなるのか? 黒澤明監督なら「撮影中止!」そう怒鳴って現場から帰ってしまう。が、それならラッキー。別日に撮影ができる。が、ほとんどの映画撮影は延期なんてありえない。その日の撮影はその日に撮らないと巨額の赤字になるからだ。

芝居が駄目でも撮影はせねばならない。

だが、俳優が集中できない状態では監督が何をいっても駄目だ。特に役作りが中途半端で撮影に来ていたらもう終わり。駄目な演技を撮影するしかない。あとでスタッフが悩む。ラッシュを見る。やっぱり駄目だ。使いものにならない。「俳優***さんは駄目だ!」では済まない。映画自体のクオリティを落としてしまう。そうならないように監督はその俳優の力量を把握し、信頼して依頼するのだが、ときは親の病気、彼氏に振られたという理由で、芝居ができなくなる役者がいる。そのために映画自体がとんでもない危機に見舞われるのである。

撮り直しをするには多額の予算がかかるので駄目。他の俳優のスケジュールも全て調整せねばならない。実質的に無理なのだ。できるのは、その俳優のシーンをできる限りカットすること。物語が壊れない程度(それが難しい)に切る。小さな役ならそれが可能だが、それなりの役だと厳しい。が、1人だけ素人のような芝居をしている場面があると、映画全体を駄目にしてしまうのだ。

カットするということは、

その俳優と共演した、同じ場面に出ている俳優の演技もカットせねばならない。その日の撮影や照明の努力も無駄になる。その場面にしか出ていないエキストラの人もカットされる。もの凄く多くの人が犠牲になる。

さらに、その俳優を応援している人たちも悲しむ。「***ちゃんの出番を楽しみにしていたのに、ちょっとしか出て来ない。どうして?」家族が病気で演技に集中できなかったと知れば、同情するかもしれない。でも、他の俳優だって多くの人が応援している。がんばって演じた場面が、1人の共演者のためにカットされる。その俳優にとって一生で一度のチャンスだったかもしれない。償うことはできない。その人の人生を潰すことにもなる。絶対に許されないこと。多くの人に迷惑をかけ、映画自体を駄目にすることに気づかないようでは俳優失格。もう仕事を続けてはいけない。

親が危篤ということだけでなく、

撮影の日に高熱が出て動けないでも同じ。彼氏に振られたなんて理由にもならない。つまり、何があろうと撮影日には最高の状態で、役作りを完全にして臨まなければならないのだ。見た目にカッコよく、可愛く、皆にキャーキャーいわれて、気楽な商売だな?と思えるかもしれないが、俳優たちは多くの人の期待と、もの凄い責任を背負っている。裏切ることなく、それに応えねばならない。人生を賭けねばできない大変な職業。それが俳優業という仕事なのである。


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