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映画作りと料理は似ている?② 映画制作とカレーライス作り? [映画業界物語]

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昨日の記事が好評だったので、映画作りと料理の共通点を具体的に上げてみる。まず、料理は何を作るか?決める。例えばカレーライス。それもインド風ではなく和風カレー。映画も同じ最初は何を作るか?決める。青春もの。それも女子高生の部活ドラマ。

次に料理ならレシピが必要。お料理ガイドを参考にするか、或は自己流でやる。映画はシナリオ。原作ものを探し脚色するか?自分でシナリオを書く。その次は材料選び。カレーライスなら人参、タマネギ、ジャガイモ、肉。豚肉か牛肉か?鳥もありだな。いや、肉なしも可能。隠し味でリンゴも入れるか? 映画ならキャスティング。主演は誰? 共演者は? ライバルの生徒は? 先生役は?

この材料選びとキャスティングは大きい。どんな名シェフでも、巨匠の監督でもダメなものを良くはできない。腐った魚をおいしく料理はできない。下手な役者は演技派としては使えない。まずいジャガイモを多少は美味しくすることは出来ても、超美味しいは無理。映画も料理もそこが大事。そして映画も料理もおいしい素材ばかりを集めてもダメ。イチゴが好きーと思ってもカレーには合わない。でも、同じ果物でもリンゴならOK。キャストも同じ。Aさん名優。Bさんベテラン。でも、2人が共演するとダメということがある。

そして料理。材料を切り、鍋にいれる。火の加減を気にしながらカレーの具を炊き込む。映画は撮影。俳優たちが演じてくれるのをカメラで撮る。最後は盛りつけ。カレーライスもトンカツを乗せてカツカレーとか、生卵の黄身を乗せる手もあり。お皿やごはんとの比率も大事。映画は編集。映像をつなぎ、音楽を入れる。どちらも良い素材をよりよくする作業。似ることで美味しくなる野菜。アクションをさせることで輝く俳優。それぞれに合った演出、料理が必要なのだ。

こうしていずれも長い時間をかけて調理、製作し完成。しかし、料理を食べるのも、映画を見るのも一瞬。あれだけ時間かけて作ったのに、お客は一瞬で平らげてしまう。そして「あーーーうまかった〜」「あーー感動したーー」という、その一言にシェフも映画人も生き甲斐を感じるのだ。その一言のために、もの凄い時間を費やして、身を削り、心を裂くような思いをしてでも完成までがんばってしまう。

そして、おいしい料理も素敵な映画も、日常に心疲れ切った人たちを感激させ、「よーし、明日からまたがんばるぞー」という元気も与えてくれる。そんな美味しい料理や感動できる映画を作るにはどうするか? それが昨日書いた記事「映画はみんなの意見を取り入れると駄作に成る?」である。

1人のシェフが監督が拘った食材、キャスト。全身全霊で挑む調理、撮影。そして仕上げ。料理に映画に愛を持つ人が人生賭けて挑むから感動する。愛も経験もないいろんな人があれこれ口を出してはどちらも、いいものはできない。料理も映画も、感動というのは愛と思いがもたらすもの。多くの意見の最大公約数ではなし得ないのである。どう、映画と料理は似ているでしょう? 



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ヒット曲作りと映画作りの意外な共通点?! ー歌謡曲が廃れた理由? [地方映画の力!]


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昨日掲載した「映画はみんなの意見を取り入れると駄作に成る?」ー意外にも好評だった。最近で一番の「いいね」を頂いた。むしろ批判が多いかも?とさえ思って書いた。ちょうど1年前、別のブログでにたような記事が書いたので、そちらも紹介する。なぜ、いろんな人の意見を取り入れてはいいものができないか? それを音楽作りを例に上げた記事である。

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 その昔、映画は作りはこうだった。シナリオは脚本家が書き、監督は現場で撮影に臨み、編集はエディターがする。それぞれのエキスパートが行う。それぞれに違った資質が必要。シナリオは繊細でクリエイティブ。そして物語を作る力。監督はスタッフを束ね、俳優とコミニュケーションをして、演技を引き出す力。編集は映像のセンスを駆使して、見せる力。でも、僕の場合は3つとも担当する。

 3つもできることを自慢したいのではなく、今の時代はそれが大切なのだ。歌の世界と同じ。昔の歌は作詞家の先生が作詞。作曲家の先生が作曲。それを歌手が歌い。バックでバンドが演奏する。そんなふうに歌謡曲は作られた。でも、今は、ローリングストーンズやビートルズと同じ。アーティストが作詞作曲して、自分で演奏して自分で歌う。日本の歌手も今は ほとんどが、そのパターン。何が違うのか?

いろんな人が作品作りに関わると「思い」が薄くなるのだ。作詞家の先生が素晴らしい歌詞を書いても、それを理解しない作曲家が曲を作るとメッセージが弱まる。それを歌手が理解しないと、さらに駄目になる。理解しても、50%60%では弱くなる。それをそもそも作ったクリエーターが全てを担当すれば、そのメッセージはダイレクトにリスナーに届き、感動を伝える。間に人が入ることで、弱くなるのだ。

だから、歌謡曲形式が衰退。バンドスタイルが人気を博している。映画も同じ。昔は脚本家の先生が書いたものを、現場の仕切りのうまい現場監督が演出し、センスのあるエディターが映像を編集して映画が作られた。が、それでは「思い」は寸断され伝わらない。

 1人のクリエーターが全てを担当することで、「思い」がダイレクトに伝わる。バンドと同じ。ハリウッド監督のルーカスも、スピルバーグも、キャメロンも、皆、自分たちで企画した映画を、自分でシナリオにし、演出、編集。完成させる。「思い」がダイレクトに伝わる。だから、彼らの映画は世界中で人気となった。

 僕の映画も同じスタイル(予算は全然違うが!)、僕自身が企画。原作はなくオリジナル・シナリオとして 、僕自身が書き、僕自身が現場で演出。僕自身が編集し、仕上げる。1年近く休みなしの作業になるが、そうすることで「思い」をダイレクトに観客に届けることができるのだ。

 ま、残念ながら、バンドでいう「歌う」=「演じる」はできないが、それをやってしまったのが、チャップリンだ。彼の映画が時代を超え、感動を伝えるのは彼の思いがダイレクトに届くからだと思える。



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映画作りと料理はとても似ているという話①専門店がなぜウケるか? [地方映画の力!]

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昨日掲載した「映画はみんなの意見を取り入れると駄作に成る?」ー好評だったのでもう少し書いてみる。映画表現の話だったので、大きな反響は期待していなかったのに、ここ最近で一番の「いいね」を頂いた。むしろ批判が多いかも?とさえ思って書いた記事なので意外だ。

というのも世間では「みんなで仲良く、いろんな人の意見を取り入れて進める」という考えこそが正しいという思いがある。政治ではそれが民主主義。会社でもワンマン社長より重役会を開き、みんなで意見を出して方針を決めるとか、学級会でも、みんなで話し合う。意見を出し合うというのが大事という考え方をする。

ワンマン社長は暴君と呼ばれたり、どこかの有名百貨店の社長のように放漫経営をして会社を潰したり、政治なら独裁政治と呼ばれたり、みんなが意見を出すことが大事というのが日本人の発想。以前に同じような記事を書いたときも、コメントで「松下電気は広く一般にアイディアを求め、大きな会社になったんですよ」と書き込んだ人がいた。

表現の世界はやはり理解し辛いのだと思ったが、今回は非常に好評。その理由を考えてみた。料理の話が分かりやすいというコメントを頂いたが、そこがキーだったのだろう。映画作りも料理作りも実はとても似ている。例えばレストランを作るとき、オーナーたちが集まり、何の料理にしようか?と話あっても、それぞれに趣味志向がありむずかしい。

「中華だ」「洋食だ」「和食だ」「トンカツ屋だ」「イタリアンだ」となかなか結論が出にくい。それをシェフが「じゃあ、それぞれの代表料理を出す店で...」とか説得してまわり、レストランを出す。結局それは1970年代にデパートの最上階にあった食堂と同じ。お子様ランチがあった店と同じで和食、洋食、中華。何でもあるレストラン。いろいろあるけど、それぞれはさほど美味しくない。そんな店は今、流行らない。それを映画界では今もやっているのだ。みんなの意見を取り入れるというのは、乱暴な言い方をすればそういうことになる。

今、人気のレストランというのは専門店。「洋食」「和食」というカテゴリーですらなく、例えばオムレツの専門店。そのシェフがオムレツ愛があり、徹底して研究し、卵やソースにこだわり調理する至福のオムレツ。そんな店が人気となる。料理をしたこともないオーナーたちが、あれこれいう意見をシェフがまとめて店の方針を決めるのではなく、シェフが愛してやまない料理を作る。そんな店を多くの人が支持する。

映画も同じ。企業があれこれ出してくる要望を監督がまとめて、どの企業からも文句が出ないようにして映画を作ると、デパートの食堂と同じような作品になる。観客は支持しない。先のオムレツのように監督自身が愛してやまない題材で作った作品に観客は心打たれるのである。つまり、今の時代はレストランも映画作りも出資者である企業やオーナーは自分たちの願望を押し付けるのではなく、監督やシェフの「思い」「愛」を応援してこそ、素敵な料理や映画ができる。映画と料理。とても似ているでしょう? 


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映画はみんなの意見を取り入れると駄作に成る? [地方映画の力!]

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先の記事を書いていたら、昔のことを思い出し、また怒りが込み上げて来た。編集に関しては本当に腹立たしい思い出がいっぱいある。二度と仕事をしないと決めた人たちが何人もいる。そんな経験を踏まえて、僕が監督する映画はシナリオ、キャスティング、演出、編集に関しては一切口出し無用という形を取らせてもらっている。意見は聞くが最終決定は僕がさせてもらう。

でも、考えたら作品を作るということは、作家の思いが前面に出てこそ、観客は感動する訳で、いろんな人がいろんなことを言ったのを監督がまとめて作品にして感想作が出来る訳がない。そんな例を紹介する。

よく「***製作委員会」というクレジットが入った映画があるが、いろんな会社が出資をして作られた映画。映像関係でない会社も多い。そんな各社があれこれ意見をいう。「主演は**がいい!」「音楽は今流行の***だね」「ロケ地はうちの会社のある**県」「共演にはうちのCMに出ている**」とか。それらを監督がとりまとめて、どこからも文句が出ない作品を作るのが制作委員会方式なのだ。だから、おもしろい映画は出来ない。

その種の映画をよく監督する友人がいるが、本当に我慢強い。みんなにいい顔せねばならない。自分がやりたいことを押さえて、ひたすら耐えて粘り強く仕事をする。ある意味で立派。でも、彼を知る友人がいうのは「自主映画時代の彼の作品は良かったんだけどなああ〜」という台詞。彼が監督したメジャー映画で評価されるものは1本もない。作家の思いが出ていない映画は観客の心を打つことはできない。

代わりに彼は高額のギャラをもらう。僕は製作費が赤字になり監督料を埋め合わせに使うことがあり、ノーギャラということによくなるが、一切、指示は受けず、好きにやらせてもらう。そして必ずそれなりのものを上げる。映画だけに関わらず、作品というのはそうしないと良質のものはできない。

分かりやすくいうと、料理をするとき。料理をしたこともない人たちが「私は人参が嫌いだ」「俺は豚肉が好きだ」「パクチーがマイブームだ」「中華であることがマストだ」「麺類はやめてくれ」「イタリアンがいいね」とかいう人たちの意見をまとめて料理を作って、おいしいものが出来る訳がない。映画は料理と似ている。作り手に強い愛があってこそ、感動が生まれるのだ。



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明日にかける橋ー編集日記 センスのないオジさんが映画を壊す? [「明日」編集]

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確認作業が続く、映像を通して見て、おかしなところがあると、編集機に戻り修正。間を延ばしたり、削ったり。別のカットと入れ替えたり。そしてまた本編映像の確認に戻る。

最初は果たして繋がるのか?と思えた動きーつまり、撮影中に同じ場面を別角度から何度も取るので、どうしても俳優の動きが違って来る。上がった映像を見ると引き絵と寄り絵の俳優の動き出すタイミングや位置が違ったりする。プロでも全く同じ動きが出来る人は少なくて、なかなか難しいところ。(ハリウッド映画でも編集で苦労する)

それを編集で直して行くのだが、動きを滑らかに繋ぐと、引き寄りがおかしな具合になる。引き寄りの演出を主にすると、俳優の動きが繋がらない。というところが何カ所かあった。が、それも何とかスムーズに見えるようにつなぎ。通してみると全く気にならないので、自身で驚いたりする。一時はどうなるか?と思えたシーンも問題がなくなる。(ま、それでも気になる部分もあるのだけど)

しかし、自由に編集できるというのは、本当にありがたい。昔は頭の古い年配のプロデュサーがあれこれ注文を付けて来て、そのたびに衝突!殴り合い寸前のことがよくあった。編集は「感性」であり、言葉で説明しづらいところが多い。あと1秒延ばした方がいいか? 1秒短くした方がいいか?はどちらが正しいではない。「感性」なのだ。

おまけに多くのプロデュサー。それも50歳を超えたオジさんに趣味のいい人は少ない。感性の鋭い人は稀。それを自覚せずに、あれこれ口を出す人が多かった。また感性なら「この人センスないから」と諦めも着くが、編集の基本が分かっていないプロデュサーもいた。転職したばかりとか、映画が本業でない人とか、経験値が低いのに、編集の常識を破るような指示をする。先の感性と違い、明らかな間違いなのだ。

それを説明するのに編集の基本、常識から話さなければならない。彼は見習いではなく、プロデュサー。編集中は神経質になり、ビビットになっているのに、なぜ、素人のような奴に基本のABCから説明せねばならないのか?また、その手の人は基本を説明しても「私はそうは思わない!」と言い出し、名作映画を見せて「このシーンも同じ手法でしょう?」と言ってみたり。

そんなど素人のために何時間も浪費せねばならないの?と思うことがよくあった。「2時間ドラマのような編集をしろ!」と言い続けたPもいた。だったら、映画やめてテレビの仕事して?と言いたいのだが、感性が古いので新しい編集の方法論が受け入れられないようだった。とにかく、オジさんたちは古い価値観を押し付けるのが好きで、大手の映画でも、そのために若い観客にそっぽ向かれた作品は数多くある。

まず身内と戦わなければならない、というのは本当に不幸なことで「一緒に素敵な映画を作ろう!」という仲間が真剣に映画をダメにすることに努力する。そんな構図は映画界ではよく起こるので、近年はその種の人々を小池発言以前から排除。理解ある人たちと仕事をしている。そして編集に関しては誰からの指示も受けないという姿勢を通している。

映画はいろんな人があれこれいう意見を取り入れて作ると、無難な作品になってしまう。作家の「これだー」という思いを前面に出してこそ、観客の心を打つ作品ができる。その辺が分からない人が業界にも多く、その種の人をいかに参加させないか?も大事なことなのである。




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明日にかける橋ー未公開写真①(再掲載) [キャスト]

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毎週末にこれまで未発表のスチール写真を公開している。第3弾まで来たので、以前のものも再掲載してみる。

写真は全て事務所から許可を頂いたもの。Facebook上でのシェアはOKだが、このシリーズに関わらず、写真を無許可で転載するのは違法行為なので、よろしく。

第1弾が板尾創路さんと岡村洋一さん。撮影終了後に撮った記念写真。第2弾が鈴木杏ちゃんたち、先週の第3弾が藤田朋子さん。撮影風景を中心に紹介している。さて今週末は誰の写真かな?


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