明日にかける橋ー編集日記 粗編集済みの場面を確認 [「明日」編集]
「シーン」というのは物語が進む場所のこと。シナリオでは場所が変わるたびに「シーンナンバー」が変わる。例えばシーン①「学校」そのあと主人公が駅に行けばシーン②「駅」となる。そしてシーンが集ったものを「シークエンス」という。これは場所ではなくエピソードで区切ったもの。学校、駅、電車と、同じひとつのエピソード内であれば、それらは同じシークエンス。そのシークエンスで「明日」を分けると下の50個となる。
粗編集をスタートして1ヶ月。かなり作業が進んだことを実感。丸
のついたところは素材を並べただけでまだ粗編をしていないところ。その手のシークエンスはかなり重く、もの凄い気力と集中力が必要なので、あとまわしにした。がついていないのは粗編が終わったもの。
こうして見ると丸は6個しかない。それらのシークエンスのいくつかは軽い粗編をしたものもある。かなり作業が進んだこと実感。12月下旬の先行上映に間に合うように、夢中でやっていたので、もの凄いストレスとプレッシャーだったが、前に進んでいることが分かった。あとは頭から本編集をして行けばいい。何とか今月中にできそうだ。ただ、現段階はあくまでも「粗編集」本編集はもっともっと集中力が必要だし、神経が切れそうな戦い。本来は何ヶ月かかかる作業なのだ。覚悟せねば!
①オープニング
②みゆきの家(部屋ーダイニング)
③通学路
④高校(里美先生、山田先生、三者面談)
⑤帰り道(銀行ー海岸)
⑥自宅(両親の説教、家出準備、コロッケ)
⑦バス停
⑧朝の自宅
⑨交通事故
⑩葬式
⑪流れる季節の中で
⑫大人のみゆき(現代)
⑬自宅(アル中の父、病気の母)
⑭お通夜
⑮明日橋の奇跡
⑯モーニングサービス
⑰銀行ー自宅ー学校、里美先生ー授業)
⑱授業(リプライズ、山田)
⑲三者面談
⑳みゆきvsみゆき
21みゆきVS母
22張り込みー怪しいバー
23尾行ー彼氏の正体
24バス停?みゆきVSアヤカ
25尾形社長
26朝の自宅前(張り込み)
27交通事故(リプライズ)
28実験室(祝杯?刑事?)
29みゆきの家(刑事たち)
30犯人とケンケン
31実験室(時代が修正?)
31大豪寺邸
31お寺前(みゆきVS父)
32近所の噂
33実験室(記憶の中の事件)
34おばさん軍団ー犯人探し
35犯人からの電話
36駄菓子屋(女子高生探偵団)
37尾形社長、再登場
38法多山の父
39南海建設の社員たち
40法多山で張り込み
41駄菓子屋(犯人は石松寺)
42石松寺(さらば達也)
43現代
44石松寺(さらばアヤカ)
45図書館
46石松寺(おばさん軍団VSみゆき)
47図書館(達也とアヤカ)
48二重坂(ケンケンが!)
49蛍通り
50明日橋(現代)
明日にかける橋ー編集日記 藤田朋子さんとの出会い [「明日」編集]
藤田朋子さんのインタビュー原稿が届き、読ませてもらう。かなり嬉しい発言があり、ニコニコ。そもそもの話だが、藤田さんと一番最初に仕事をしたのが、今から22年前! 日米合作の「GAIJIN」という大型時代劇だった。そのことを語るだけで大河ドラマになるだけの量で、ライター時代に「コスモポリタン」誌にルポを書いたことがあるくらいなので、今回は簡単に紹介する。
アメリカの三大ネットワークのひとつNBCテレビが制作した時代劇。大ヒットしたミニシリーズ「GHUGUN」の続編。あれで島田陽子さんが国際的なスターになった。それもあって多くの有名俳優がオーディションに挑戦。僕は当時、アメリカ留学から帰国。監督デビューを目指しながらアルバイト。個人的にシナリオを書いていた。
先輩からの連絡でそのオーディション・スタッフとして参加。ビデオカメラをまわしていた。数々の名優、大物、ベテランが参加。その全てを僕が撮影。そのビデオを見てアメリカ人スタッフがキャスティングをする。
その中に藤田さんの姿もあった。彼女は当時すでにブレイク。国民的俳優だったので日本映画に疎い僕も名前は知っていたが、そのルックス、歌も歌うことから元アイドルだと思っていた。それがオーディションでの演技を見て衝撃を受けた。日本にもこんな凄い女優がいたのか!と驚いた。いつか、この人に映画に出てもらいたい! そう思った。1995年のことだった。
その年は激動の年で、阪神大震災。円高が影響して、その日米合作ドラマは制作中止となる。その後、僕は脚本家デビュー、ドラマ監督デビュー、そして映画監督デビューして行く。いよいよ、藤田さんに出演依頼!何かの役で出てほしいと思ったのだが、彼女は国民的女優。ギャラも高いし、売れっ子でスケジュールもタイト。それなりの「これだ!」という役でないとお願いするのは失礼。
実はあのオーディションのときから、藤田さんに出てもらうとしたらどんな役がいいか? ずっと考えていた。が、これがなかなか難しい、すでに彼女がドラマで演じているようなキャラはダメ。今までに演じてない役をオファーしたかった。そんなことを考えている内に15年が過ぎた。そんなあるとき、彼女が出演する舞台を見に行き、楽屋にご挨拶に行ったときのことだ。ここからトコちゃん。太田組出演のプロローグとなるのだが、また長くなるので以前に書いたブログを読んでほしい。
こちら=>http://takafumiota08.blog.so-net.ne.jp/2012-07-11
こうして「青い青い空」に出演してもらったのだが、そのときは小さな役で、特別出演とのいうべきもの。いつか、ちゃんとした重要な役で出てほしいと思い考えたのが帰国子女のエリカ。そう「向日葵の丘」である。その映画のパンフで彼女はインタビューにこう答えている「太田さんの映画ならいつでも無条件で出演したい!」あーなんて嬉しい言葉。それを信じてて、今回も藤田さんの役を考えた。前回同様、出演OKをもらう前から当て書きで里美先生役を考えた。
前回のクールでヒッチコック好きの帰国子女とは違い、SF好きでおちゃめな化学教師の役だ。だが、多忙な女優さん。いくら本人が出たい!と言ってくれても、スケジュールが合わないかもしれない。心配になる。万が一、ダメだったら誰にオファーしようと考えた。他の女優で里美先生ができる人。あれこれ考えたがいない。例えば、美人女優はたくさんいる。可愛い女性もたくさんいる。二枚目刑事をできる俳優も多い。この人がダメでも、あの人にできる。
ところが藤田朋子という女優の代わりが出来る人がいないのだ。これは凄いこと。だからこそ余計に出てもらえるか?心配になった。が、オファーするとOKをもらえた。こうして3たび藤田さんに出演してもらえることになったのだ。そして昨夜、届いたインタビュー原稿。そこには今回の撮影現場での思いが綴られていた。あの台詞の意味もしっかりと理解してくれていた。なるほど。だからこそ、そのシーンを編集していて僕は泣きそうになったのだ。映画のメッセージをちゃんと理解し演じてくれていた。
そのインタビューが掲載されたパンフレットは12月下旬のロケ地での完成披露上映会で販売される。俳優たちがいかに熱い思いを抱いて撮影に臨んだか?がよく分かるインタビュー。ぜひ、読んでほしい。
明日にかける橋ー編集日記 ここまでの出来はなかなか!ただ、体調は悪い? [「明日」編集]
①2回目の脅迫電話
②板尾さん法多山の階段を登る
③女子高生探偵団、走る!
④怪しいバーのダンサー
⑤南海建設社員がんばる!
⑥大人みゆきVSおばさん軍団@石松寺
やはり日が暮れてからは調子が出る。が、本日は胃が痛く、体が弱っている感じ。寒気がするので風邪の引き始めか?いずれにしてもヤバい。さらに、真夜中になり本格的にやろうと思ったら、何と次のシーンは⑥みゆきVSおばさん軍団。ここは重い! もの凄い気力でかからねければはじき飛ばされる。
なのに、本日は体調不良。胃が痛い。熱っぽい。まだ0時前だというのに〜。手頃なところの粗編集をしようと残りを確認する。
⑥大人みゆきVSおばさん軍団
⑦里美先生の授業(リプライズ)
⑧大人みゆきVS山田先生
あーー全部、重いシーンだ。これは今日の体調で出来るか? とはいえ、もう11月だ。少しでも前に進みたい。なのに。これらのシーンは巨大な崖のように立ちはだかり、これを登るのは並大抵なことではない。感動シーンでもあり、映画のメッセージ場面でもあり、また、俳優たちが渾身の力で挑んだシーンだ。んーーー夜食を食べてから考えよう。
しかし、逆に考えると、粗編集がかなり進んだということ。一度、頭から見直してみるか? 仮の音楽をつけて。と思い。昼に途中から見てみた。ら、これがなかなか、「おーーーどうなるんだろう?」と自分で思ってしまった。涙あり、感動あり、ハラハラドキドキ。何よりも俳優たちがいい。
鈴木杏ちゃんは本当に見事なくらいに計算して演じている。ヘンな例だが、「あしたのジョー」のホセ・メンドーサみたい。無駄がない。完璧。細かな動き、まなざし、歩き方。全ての計算が見事。それに対して藤田朋子さんはカーロスリベラか? 陽気に楽しく演じているようでいて、もの凄くシャープなパンチを繰り出してくる。昨夜、編集したところも涙が出そうになった。
そう。その台詞こそ。この映画のメッセージのひとつであり。大切な部分。それを彼女は理解しており、見事に言葉にしている。コメディリリーフ的な役柄なのに、そこを外さずに台詞を発していた。まさにカーロス・リベラだ。(って「あしたのジョー」を読んでない人には分からないけど)その意味で宝田明さんは丹下団平? 山田先生はウルフ金串? いずれにしても皆、本当にいい役者だ。
そんな人たちと仕事をすると、本当に嬉しくなる。大手の映画と違い、キャスティングは全て僕が担当する。上から言われて決めたという俳優は1人もいない。こればかりはスポンサーでも地元でも、「***さんでお願いします」は受けられない。人気があるから、演技ができるから。だけで選んではいけないのだ。その役に相応しい俳優を真剣に選ぶ。それでも毎回、失敗した....という人が1人2人は出る。初めてでその俳優の心まで読み切れなかったとか、お仕事で演じる人とか。よく知る俳優でも甘えが出たとか。それでダメなことがあった。
が、今回はゼロ。全員、よかった。そんな俳優たちの演技を堪能しつつ、粗編した映像を見る。かなり行けるかも?「こんな面白い映画。なかなかないぜよ!」と思いつつ、行き詰まると「だめだーーー」「今回は泣けないかも・・」とか思ってしまう。真夜中の編集を続ける。肩こりがもう限界。明日は指圧に行きたい......
明日にかける橋ー編集日記 カメラに向かってピースするエキストラ? [「明日」編集]
本日、編集しているのは宝田明さん演じる尾形社長の号令で、社員たちが地図である場所を探すシーン。続いて「怪しいバー」のステージで踊るダンサーと客たちという場面。この2つは物語の展開を見せるシーンではなく状況描写だ。繋ぎ方に決まりはない。例えれば映画オープニングにある都会の描写のようなもの。「繋がり」とか「時間軸」とか基本的な編集ルールは関係なく、センスと感性で繋ぐことが重要なシーンである。
偶然だが、その2つのシーン共に市民俳優さんが大活躍した場面だ。そんなシーンの編集では出来る限り、参加してくれた人が映ることを心がける。せっかく参加してくれたのに、映ってなかったでは申し訳ない。極力、何秒かでも画面に残すように努力。ただ、それを優先し過ぎて、作品のテンポがなくなったり、ダラダラ感が出てしまうとダメ。映画として退屈せずに見れる上で、皆さんの顔が分かるようにすることが大事。
だが、こんな厳しいこともある。ある俳優さんの後ろにいつも座る客という役で出て頂いた場合、その俳優の演技があまりに酷くて全カットということもある。当然、後ろに座る客役の市民俳優さんも全カットになってしまう。その方がどんなに素敵な芝居をしてくれても、肝心なプロの役者がダメだと映画としてダメなので、カットせざるを得ない。そんなときは本当に心が痛む。
交通費を出し、時間をかけ、撮影現場まで来てくれたのに、そして撮影もされたのにカット。申し訳ない。けど、その人の参加は無駄ではない。皆さんが来てくれたからこそ、その場面は撮影できたのだ。映っていてもいなくても、その現場に来てくれた人たちのお陰でその場面が撮れたのだ。だが、こんな場合もある。
例えば撮影中にカメラを見るエキストラの方。これは完全にアウト。皆が真剣に芝居をしているのに、1人だけカメラのレンズを見て「おーこのカメラで撮ってんだ〜」という顔をする。これはカットせざるを得ない。今回のことではないが、カメラに向かって手を振ったり、ピースをしたりする人もいた。最初から面白半分で撮影に来ているのだろう。そんな際はカメラを止めて注意。もう一度最初から撮影するのだが、多くの人が出演するシーンだと現場で気付かず、編集で分かる場合もある。これが大変だ。
その人が映らないように工夫。ピースサインを出す前でカットしたり、画面サイズを変えて見えなくしたりする。さらに困るのは、ある役を演じているのに、表情が完全に見物人になっている人。「へーー撮影ってこんなふうにするんだあ。結構、手間かかるなあ〜」という顔をして芝居をせず、そばで演じる俳優をぼーと見ていたりする。それでは撮影を見物する人が映ってしまった!になってしまう。
この手の人も「映画撮影か?面白そうだな」と興味本位で来た人であることが多い。もちろん、それがいけない訳ではない。そもそも市民俳優もエキストラもボランティアだし、参加者は皆、プロではない。演技ができない。芝居がまずい。というのは仕方ないのだが、芝居そっちのけだったり「また、同じ芝居するの? 何度やらせるんだよー」といういい加減うんざりという顔になってしまう方がいる。
この辺、本当に難しい。撮影は本当に大変で、待ち時間も長く、楽しいものではない。暑い、寒い、疲れる。そんなことを経験してもらうことで「映画って大変だなあ」と思ってもらえればいいのだが、興味本位だけで来た人は「家でテレビ見てればよかったよ。早く撮影終わらないかなあ」という表情になってしまい、明らかに動き方が面倒くさそうになる。現場では分からなくても、撮影後に大きな画面で見ると、それがモロ分かりになることもある。
それはもうカットせねばならないが、メイン俳優の後ろのエキストラだったりすると、切るに切れない。合成でその背景を入れ替えようか?とも思うが、費用も時間もかかる。専門家を雇い作業してもらわねばならない。ギャラも払う必要がある。予算がない。だから、どうすれば目立たないようになるか?を考えて編集で何とかする。
もちろん、その種の人は極々僅かであり、撮影に参加してくれるほとんどの方々は興味津々で意気揚々と来てくれる。感謝感謝なのだが、こちらのケアが足りないこともあったりして、1人のために、その映像が使えないということもまれに起こる。でも、そのカットがないと物語が繋がらない場合もあり、編集で工夫。時間と労力をつぎ込むことになる。映画作りは辛い。