明日にかける橋ー撮影日記 市民の力で古里を全国発信! [「明日」撮影]
今回の撮影が無事に終了した一番の理由。委員会メンバーの皆さんの力に支えられたからである。もともと、その皆さんが「古里の魅力再発見と発信」をテーマに映画作りを企画。協賛金を集め、スタッフ&キャストを呼び、映画をスタートさせた。
そしてメンバーは皆ボランティア。ギャラも、交通費等も取らない。あくまでも市民活動なのである。今回のキャッチフレーズでもある大人の文化祭なのだ。そう文化祭は誰も利益を得ず、自分たちで何かを発信するイベント。いや、今振り返ると大人の文化祭を超えた。そう。文化芸術の活動にまでなっていた。
メンバーの皆さんは本業の合間に、或は仕事を休んで撮影に参加。単なるお手伝いでは終わらない活躍をしてくれた。それも特別な人たちではない、いわゆる普通のおばさん。おじさんなのだ。それもいくつもの市を超えて集ったメンバー。
古里のため。子供たちのための文化活動。きっと静岡でのモデルケースになるに違いない。「自分たちは普通の市民だから何もできない」と思い何かしたいのに出来ないでいる人たちが多い中、大いに励まされるものだ。感銘を受けた地元テレビ局が彼女たちを中心に取材。ニュース番組で放送。来週にもまた別の番組でも放送される。
映画撮影が無事に終わったのも、メンバーのお陰。スタッフ一同、今も感謝している。そして彼らは今も映画完成のために必要な費用を寄付で集め続けてくれている。さらに年末の上映会の計画。全国公開。それによって、町の魅力が全国に発信される。この日記ではそんな彼ら彼女らの活躍もお伝えしたい。
明日にかける橋ー撮影日記 1989年のTシャツ [「明日」撮影]
このシャツは1989年のポール・マッカートーニー・コンサートの記念。そのライブでポールは初めて「ゴールデン・スランバー〜キャリー・ザット・ウェイ」を歌った。その年こそ、今回の映画「明日にかける」の舞台となった年。
実は同じ年にRスートンズが6年振りくらいにコンサート。さらに、あのTheWHOが再結成コンサートをした年でもある。
1989年は美空ひばり、手塚治虫、松田優作らが死去。昭和から平成に変わった年でもある。来年で平成も終わり、その意味で平成元年が舞台の映画を今、作ることは平成を振り返ることでもある。
ちなみに、このシャツを撮影中に来ていた。出演者の藤田朋子さんはポールの大ファン。彼女が出演の日にこれを着た。
明日にかける橋ー日記 8月22日 撮影8日⑩ 宝田明さん出演! [「明日」撮影]
明日にかける橋ー編集日記 次々に素材が送られて来る! [「明日」編集]
音が付き、色合いが調整された撮影素材が順に送られて来る。撮影順ではなく、シーン順なのがありがたい。それをまず見る。オープニングはみゆきの部屋。朝、ベッドから起き上がる。森町の民家で撮影させてもらった場面。真夏の部屋を締め切って、エアコンも止めての撮影。サウナのような状態となったこと思い出す。
続いて家族の朝食シーン。板尾創路さん。田中美里さんが登場。元気な弟も出演。そのあとは登校シーン。ここも森町。「倉ストリート」とスタッフが呼ぶあの場所で撮影したもの。古い倉が本当に美しい。その前を高校生たちが通学して行く...。
早く編集作業を始めたいが、スタートすると現実から映画の世界に入り込むことになる。編集は作業ではなく、編集者自身が映画の世界に飛び込み、主人公と共に物語を体験すること。「不思議の国のアリス」のような体験なのだ。
と言うと「頭おかしいんじゃない?」と言われそうだが、映画作りとはそういうもの! 特に映画監督は変人と思われる仕事。シナリオ執筆も、撮影も、編集も同じ。物語の世界に入り込まねばならない。特にシナリオと編集はそう。
その間、編集室に籠もり、誰とも会わず連絡も取らない。が、それを始めると外部と接触できなくなる。映画の世界から帰って来れないのだ。しかし、月末にはスタッフのギャラを振り込まないといけない。書類の整理や経費まとめもある。地元用ポスターの制作も進めている。なので、完全に世界に入らず、準備をしながら少しずつ始めるすることにする。