明日にかける橋ー撮影日記 8月24日 森町ー大洞院ロケ 少女探偵団活躍!? [「明日」撮影]
磐田市の駄菓子屋さんから移動。森町にある大洞院へ。ここでまず昼ご飯。
委員会メンバーの方々がお弁当を用意。御茶と共にスタッフ・キャストに配ってくれる。
この日はとんかつ弁当。
午後からはまたまた大変な撮影。先ほどの女子高生軍団に再び活躍してもらう。
ここは森の石松の墓もあるお寺。あの有名な「森の石松」は森町出身なので「森の」というのだ。彼の古里がこの森町。そこにある大洞院での撮影だ。
ここの座禅堂に子供が監禁されているとの情報。みゆき(鈴木杏)らが女子高生と共に駆け付けるが....という場面。先日撮ったおばんさん軍団との戦い(?)はこのシーンのあとに繋がるものだ。
スケジュールの都合とは言え、前半と後半を逆に撮るのはむずかしい。うまく繋がるだろうか?
ただ、今回もお天気の神様は味方。先日と同じ晴天。これが雨とか曇りだと同じ日の同じ時間のシーンなのに、急に空が曇る!というおかしなことなる。雨ならもっと変。でも、今回は本当にお天気には付いている!ありがたい。
♫ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団〜。。
♫来たぞ、それ、取り囲め〜! BD7、BD7、BD7は少年探偵団!
そんな撮影。森町の大洞院ロケ。
明日にかける橋ー撮影日記 8月24日 女子高生大集合の巻 [「明日」撮影]
明日にかける橋ー撮影日記 8月24日 高倉健と共演した市民俳優さん!? [「明日」撮影]
この日は磐田市にある駄菓子屋さんでロケ。ここで出演してくれた市民俳優さん。実は「朝日のあたる家」「向日葵の丘」にも出演。今回も出て頂くレギュラー市民俳優ともいえる方。
そもそもは「朝日のあたる家」帰宅指示に反対して立ち上がる女性たちという場面で、台詞がないのにとても素敵芝居をしてくれたのが、この方。ただ、立ち上がり目を閉じるだけなのに悲しみが伝わる。「凄い方だなあ」と思っていた
ら、「向日葵の丘」の市民俳優オーディションにも来てくれた。台詞もお上手。そこで芳根京子扮するヒロインと会話するお手伝いさん(エリカの家)役をお願いした。台詞があるむずかしい役だが、これも素晴らしかった。
そこで今回もお願いしたのだが、聞くとエキストラの世界では有名方で、高倉健さんとも共演したことがある凄い方なのだ。太田組の市民俳優レギュラーの方々も彼女に会うとまず挨拶。やはり、凄い方だった。今回は駄菓子屋の女主人役。
ぜひ、過去2作で彼女を探してみてほしい。
明日にかける橋ー撮影日記 8月24日② 磐田の駄菓子&お好み焼き屋さんロケ [「明日」撮影]
明日にかける橋ー撮影日記 8月24日の朝ご飯。 [「明日」撮影]
この日はいつものおにぎりに加えて、パンも! 女性スタッフに大好評。おにぎりとパンの両方を食べる人も。委員会の皆さんが作ってくれる朝ご飯。毎日、好評。
さあ、この日もザ・ロンゲストデイ(何度あるのか!)もの凄い量の撮影を何カ所でもせねばならない。果たして撮り切ることができるのか? そしてもちろん、クオリティを落とさずに撮れるのか?戦いが始まる。
明日にかける橋ー撮影日記 差し入れに支えられてがんばる! [「明日」撮影]
2年前の今日。書いた記事。一度会いたかった芸能人・コロッケさん! [思い出]
【才能ではない。考え続ける努力するから、トップランナーになれる】
2015年9月
長年、お会いしたいと思っていたお笑いタレントのコロッケさん。その彼がパーソナリティを担当するFM番組にゲストで出してもらうこととなった。「向日葵の丘」の宣伝をさせてもらうためだ。スタジオに入ると、ナマ・コロッケさんがお出迎え。果たしてどんな人なんだろう? モノマネ芸人さんの世界ではトップ。帝王的な存在。デビューからほぼ30年。テレビや舞台で活躍している。お茶の間にいると、当たり前の存在に思えるが、それはスゴイことなのだ。
多くのタレントや歌手。そして俳優たちがこの30年に登場しては消えて行った。一世風靡したタレントでも、今はその名前さえ思い出されない人もいる。そんな中で30年間トップを走り続けるというのは、毎年宝くじで1億円当てるようなものなのだ。が、視聴者からすると「おもしろいオジさん」「楽しい芸人さん」という認知のされ方しかしていない。
もちろん「才能あるお笑いタレント」と評価する人も多いが、プライベートでどれだけの努力をしているか? 想像する人は少ないだろう。彼はいつも楽しそうにモノマネをするが、その目は絶対に笑っていない。そして、いつもタレント・コロッケを演じている。僕はそう感じるようになってから、テレビに映らないコロッケさんとはどんな人か?を考えていた。
そして、打ち合わせでディレクターさんが話してくれたが、僕の「向日葵の丘」監督ブログをかなりの量、読んでくれているという。プリントアウトしたコピーを見せてもらったが、スゴイ量だ。1回きりのゲストのために、テレビや舞台で多忙なコロッケさんが、それを全て読んでくれたという。そして、その中のひとつについて番組内で話をしたいという。
僕の記事を読んでくれている人なら分かるだろう。僕のブログ、Facebookはほぼ毎日更新。1日に数度アップすることもある。毎回、長ーーい記事を書いている。書くよりも読む方が大変!という量。それを事前に読んでくれている。
それだけで、コロッケさんという芸人さんが分かる。ラジオ番組に出る無名監督とトークをするために、相手を知らなければ!と読んでくれたのだ。さあ、そのコロッケさん。ご挨拶をして、テーブルを挟んで向かい合って着席。ヘッドフォンを被り準備。その間も彼は気を使い、いろいろと話をしてくれる。
「『向日葵の丘』は見せてもらいましたよー。ほんといい映画ですねー。僕もどこかのシーンで出たかったなあ。もう、映画館のロビーで上映を待っているだけの客でいい。でたかったなあ。分かるんですよ。あの時代感。僕と監督は同世代ですし、自分が1つ上だけど、映画で描かれた時代はとても懐かしいし......」
と、ゲストを和ませるために、あれこれと話をしてくれるのだ。モノマネ界の帝王とは思えない気遣いと、腰の低さ。僕も仕事がらいろんな人に会うけど、本当に凄い人は決して上から目線で話さない。さて、番組が始まる。オープニングはコロッケさんのモノマネから。18番のトシちゃん。そして、ゲスト紹介があり。トークが始まる。ここから先はラジオで聞いてくれた人もいるだろう。
だが、僕がもっとも関心を持った部分は曲の間に解明する。生放送ではないが、音楽を流す部分は実際に音楽が流れ、その間、スタジオ内ではコロッケさんがいろいろ話をしてくれる。これは録音されない。そのとき、彼はこういった。
「監督のブログ読ませてもらったんですけど、スゴイ量ですよね?で、共感する記事が結構あって、その内のひとつのことをこのあと、お聞きしたいんですけど。一番、共感した、そーだよ、その通りだよな! と思った記事があるんです。僕もずっと考えたことで、若手にもよくいうんですよ」
一体、どの記事か? コロッケさんは言う。
「『才能なんてない』って記事ありますよね。あれ、本当にその通りだと思うんです」
あーーーーーそれかあ。なるほど。そうかーーーーーー。全てに納得がいった。その記事。読者の方も読んでくれた人は多いだろう。あとで、その記事のアドレスを記すが、簡単にいうとこんな話。若い頃、僕や映画監督を目指す友人がよく「俺って才能あるのかな?」と考えた。映画監督だけでない、歌手や俳優や小説家を目指すというと、大人たちはこういう。
「お前才能あるのか? 才能がないとやっていけない世界だぞ」
でも、自分に才能があるかどうか?なんて分からない。果たして自分が映画監督になれるのか? その才能があるのか? その後もプロデュサーや先輩に言われた。「お前は駄目だよ。才能ないよ」それでも考え続けて気づく「才能なんて存在しないんじゃないか?」今、振り返って断言する。「才能なんてない」そんな便利なものはない。夢を掴むのに必要なのは「才能」ではなく「努力」であること。そんなことを書いた記事だ。
その記事が「一番共感した!」とコロッケさんはいうのだ。そこで全てが結びついた。起きてから寝るまで、食べるときも、テレビ見るときも、常にモノマネのことを考え続けるコロッケさん。その結果、モノマネ界のトップに駆け上がり30年も君臨している。友人はいう「才能ある人だからなあ」でも、ご本人に言わせば違うのだ。「才能ではなく、努力なんだ」コロッケさんは続ける。
「後輩たちにもいうんですよ。才能なんかじゃない。努力なんだ。こうすれば似るかな? こうすれば面白いかな? そんなことを考え続けることなんですよ....」
日本中の人を笑わせる、モノマネ界の帝王の言葉は重い。「才能ではない」「努力なんだ」と、彼はそれを実践し、トップを走り続けている。僕が10代から考え続けた「才能なんてない」論が証明された瞬間でもあった。たぶん、どの世界でもそうなのだ。映画界でも、お笑い界でも、歌の世界でも、いやいや、カタギの世界だって同じだろう。
営業でいい成績を上げる人も「才能」ではなく「努力」だ。まじめに、がんばるというだけではない。コロッケさんのように、朝起きてから寝るまで、考え続ける人だ。悩み続けるのではない。考える。彼が「どーすればあの歌手に似ることができるのか?」と考えるように、「どうすれば製品が売れるのだろう?」「どうすれより良い商品が開発できるのか?」と考え続けること。何事も同じだ。
9時5時で仕事をして「あー終わった。飲みに行きゾー!」というのも人生だ。でも、そこからも考え続ける人もいる。そんな人が成功する。トップに駆け上がる。才能ではない。才能があれば、何でもできると思いがちだが、そうではない。考え続けること。それが成功への道ということ。目の前でマイクに向かい楽しそうに話すコロッケさんを見つめながら、そう感じた。
この1点だけでも、番組に出してもらえてよかった。さて、番組終了後に、もうひとつ面白い話があるのだが、これはまた別の機会に紹介するが、これ以降、テレビでコロッケさんを見かけるたびに、彼の言葉を思い出す。タレントも、歌手も、俳優も、そして映画監督も同じ。いや、他の職業も同様。「才能」ではない。考え続ける努力こそが大事。そう思えている。(了)
コロッケさんが読んでくれた記事=>http://aozoraeiga.blog.so-net.ne.jp/2014-06-17
明日にかける橋ー撮影日記 撮休⑤ 町の四季を撮影するむずかしさ? [「明日」撮影]
この日は撮影休日。でも、休むこともできない。カメラマンと共に町の風景を撮影せねばならない。映画は俳優が出る場面ばかりでなく、風景カットも大事。どんな町かという説明のために映像ばかりでなく、季節の移り変わり、時代、ときには風景が登場人物の気持ちを代弁することもある。
建物だけでなく空や草。雲や地面さえも意味を持つ。ドラマ「北の国から」を見ると、単なる雪景色だけでなく、雪から顔を出すキツネ。ラベンダーの花。草原。大きな雲と北海道ー富良野の美しい自然や動物まで映し出している。
あれらがなければ「北の国から」というドラマの魅力はかなり失われるだろう。映画「砂の器」でも親子が彷徨う四季の風景が美しい。あれがないと単なるミステリー映画になってしまったかもしれない。あの風景が文芸作品に押し上げている。
今回の撮影移動中、板尾創路さんとそんな話をした。彼もついこの間まで「火花」という映画を監督していたのだ。俳優が本業だが、すでに3本の映画を監督している。そのときに風景撮影の重要さを感じるという。まさに「砂の器」を例に上げてくれたので、話が盛り上がった。
「でも、風景。四季を撮るとお金がかかるんですよね〜」という。まさにその通り。だから、メジャー映画でも春夏秋冬の風景が入るものは本当に少ない。だが、近年の太田組作品はすべて四季の場面がある。板尾さんからも「どうやってるんですかあ?」と聞かれた。
通常、メジャー映画で四季を撮影するとなると、そのロケ地に監督、カメラマン、助手、プロデュサー、助監督等最低でも5−6人。ヘタすると10人以上のチームで行く。となると交通費、宿泊費、食費、機材レンタル代、そして人件費。総額数百万になる。撮影終了後にそれだけの費用を用意することはかなりむずかしい。それでなくても撮影中に予算を超え赤字になることが多いのだ。
とても四季を全て撮影する予算なんてない。ところが、僕のやり方はコンパクト。四季を撮影するのは僕とカメラマンの2人。交通費も宿泊費も安く済む。その際のギャラを僕はもらわない。機材もカメラマンが安く借りて来てくれる。車でロケ地に行き2人で撮影。そうすることで極力安く撮影ができる。それを3回繰り返せば(あとの1回は本編撮影中に季節を撮れる)四季が全て撮影できるわけだ。
製作費がなくなり、自腹で四季撮影をしたこともある。が、個人で払える額。最悪、僕1人がカメラをレンタルしてロケ地に行き撮影すればいい。それだけの労力で地元の美しい四季を映画で見せることができるのだ。が、先にも書いたように企業映画ではそれはできない。
多くのカメラマンは「助手がいないと撮影できない」とプライドを掲げる、ベテラン監督たちは演出部や製作部がいないと困る。「宿の手配を俺がするのか!」と怒り出すだろう。製作費の管理。支払いのためにプロデュサーも行かねばならない。
でも、その全ての雑用を僕がして、カメラマンが1人で撮影してくれれば四季撮影は可能。それだけで数百万円の節約。それが企業や映画会社ではできない。あ、ヤバい。これ書くと真似する奴がいるかも?とも思うが、大変なので、誰も真似しない。そんなふうにちょっとした努力で映画のレベルが2段階ほど上がるのだ。こうして地元の美しい四季を毎回、映画の中で紹介できるのである。