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「カリオストロの城」を見て再発見したルパンの魅力=新作にはそれがないので詰まらないのか? [映画感想]

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「カリオストロの城」を見て再発見したルパンの魅力=新作にはそれがないので詰まらないのか?

現在、公開中の映画「ルパン3世」CGアニメ版。あまりに酷い理由を知るために同作品が目指したであろう「カリオストロの城」をBDで見直した。やはり、同じ設定、同じセリフを使っており、リスペクトがあることを感じる。が、なぜ、尊敬する作品には遠く及ばない退屈な作品になってしまったのか?詰まらない理由は昨日の記事で紹介した。今回は「カリオストロ」から新作が学べていない部分を考えてみる。

劇場公開以来、すでに20回以上も見ている作品だが、見だすと止まらなくなる。展開も結末も知っているのに目が離せなくなる。新作を見たばかりなので、この名作からいろんなものを取り入れていることも分かる。パクっているのではない、オマージュなのだが、決してそれらは生きていない。新作にない表現を上げていく。

努力するルパン。汗を流し、体を使い、走り、泳ぎ、飛ぶ。そんな姿に少し微笑み、観客は共感する。対して新作ではどんなトラップも、危機も難なく乗り越えてしまう。スーパーマン的なルパンがいる。驚きはあっても共感や微笑ましさは感じない。

また、ルパンと次元との関係性。観客は2人が仲のいい、長年の友達であることを知っている。そのせいか新作ではそこをあえて描いていない。友達らしい会話、友達らしい態度、時々冷たい態度を取っても、友達関係であるという展開。対して「カリオストロ」はあえて仲の良さを描いている。ジャンケン、スパゲティの取り合い、子供同士のように無邪気な2人が描かれる。

それらの描写によってルパンや次元に強い感情移入をしてしまう。「あいつらいい奴だな」という好感を持ってしまう。新作では「それは分かっているだろう?」というかのように描かれていない。次元だけではない。五右衛門、不二子、銭形も「カリオスロ」ではとても魅力的だ。クールな五右衛門も、いつも裏切る不二子も、敵であるはずの銭形でさえ「いい奴!」なのだ。

それをちょっとしたセリフ、ちょっとした態度で描いている。本筋とは関係ない部分だ。が、それが観客に強く伝わる。そして新作ではそれらがない。サイボーグが五右衛門や不二子を演じているだけのような味気なさ。間違った描写はないが、好きになれない。銭形の性格をコピーしたロボットのようなのだ。

そして新作ではない部分。ルパンの敗北。血を流し倒れるルパン。観客は応援せずにいられない。それも、どか食いして一晩で復活しようとする。健気なルパン。新作ではひたすら頭脳明晰で、運動能力が優れたスーパールパンが描かれる。他のメンバーもまるで超能力者。なので感情移入ができない。応援したくならない。放っておいても大丈夫という安心感。それが新作を退屈にした原因だろう。

それは何かと言うと、人間味だ。人間性だ。クリエーターはルパンのキャラは把握しているが、そこに特別ではない普通の人の、いや、ダメな奴らと共通する人間性を持ち込んでいない。人は優れたところに憧れるが、同時にダメな部分に共感する。それを新作のクリエーターは気づいていない。ルパンの魅力はスーパーヒーローというだけでない、人間的な部分にもあること。「カリオストロ」を見直して気づいた。



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