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『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』と太田隆文監督のこと。by Saven Satow [映画感想]

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太田隆文監督『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』(2019)のこと。

by Saven Satow


「千島の奧も、沖繩も、
八洲の内の、護りなり、
至らん國に、勳しく、
努めよ我が兄、恙無く」。
『蛍の光』4番

 何度民意を示しながらも、安倍晋三政権は沖縄の思いを踏みにじる。なぜ政権がそのような姿勢を続けるのかと言えば、他の46都道府県の世論が沖縄の抱える問題への関心が低いからだ。いくら沖縄を虐げても、支持率に影響がないと官邸は高をくくっている。

 沖縄県は、46都道府県のほとんどと違い、第二次世界大戦において地上戦を経験している。当事者と非当事者の間では関心や知識に差が概してあるものだ。しかし、他と比べて沖縄県がほぼ全土に亘って激しい地上戦が繰り広げられた理由を認識していて、無関心を装うことはできないだろう。それが十分でないため、沖縄戦の実態を知ろうとする認知欲求がわかず、46都道府県の世論が冷淡な傍観者でいる。

 太田隆文監督『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』はこの現状に立ち向かう労作である。2019年12月9日(月)〜10日(火)に完成披露上映会が沖縄県那覇 パレット(県庁前)市民劇場において予定されている。

 太田監督はこれまで5本の物語映画を制作している。『ストロベリーフィールズ』(2006)、『青い青い空』(2010)、『朝日のあたる家』((2013)、『向日葵の丘 1983年夏』(2015)、『明日にかける橋 1989年の想い出』(2018)はすべて商業ベースで、一般の映画館で公開されている。

 主人公はいずれも思春期の少女で、友情や家族愛をテーマにしている。今、ピュアで傷つきやすい青春像を描かせたら、彼の右に出る映画監督はいない。ホラーやSFの要素が入っていたり、ハッピーエンドを迎えなかったりする作品もあるが、あくまで感動ドラマである。その作風は「アメリカの良心」フランク・キャプラーに通じるものがある。

 少女を主人公にした作品と言うと、大林宣彦監督が思い浮かぶ。ただ、大林作品は主人公を盛り立てるように他がキャスティングされている。一方、太田作品は全体のバランスの中で主人公を含め配役が設定されている。そのため、大林監督と比べて、太田監督は群像劇に力を発揮する。少女たちの織り成す人間関係の描写は非常に繊細で、太田作品の主要な魅力の一つである。

 近年の日本映画はすでに話題になった小説や漫画、ドラマを原案・翻案としている作品が多い。これは興行成績が振るわなかったときの言い訳のためである。無名の脚本を採用して当たらなかった場合、その決定者は組織内で責任が追及される。他方、知名度のある原作で失敗した場合、そうした事態は生じない。今の映画界はリスクをとる気概に乏しい。

 ところが、太田作品はすべて監督のオリジナル脚本である。全体を理解した上での撮影・編集なので、意図が不明瞭だったり、整合性が不明だったりするカットがない。また、制作意図が明確だから、俳優やスタッフとの共通理解がうまく形成されやすい。それはショットの構図のよさにも現われている。

 太田作品は大企業が出資することもない地方映画である。予算の制約などの厳しい条件の下で、脚本に惹かれた名優が出演したり、有望な新人が抜擢されていたり、心意気に応じたスタッフが参加したり、市民がボランティア協力してくれたり、監督が一人何役もこなしたりするなどして良質さを確保している。

 特筆すべきは『朝日のあたる家』だろう。これは、3・11を受け、静岡県湖西市を舞台に原発事故に翻弄される家族を描いた作品である。制作自体を反対されたり、映画館がなかなか上映してくれなかったりする困難に直面しながらも、商業ベースの一般公開にこぎつけている。このように太田隆文は気骨のある映画監督である。

 その太田隆文監督の『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』は沖縄戦をめぐる新事実の発掘を意図していない。通常のドキュメンタリーは新事実を提示して世間の関心を深めたり、高めたりしようとする。NHKを代表にテレビのドキュメンタリー番組は豊富な予算と人員、技術、時間を活用して新事実を発掘・検証する。他方、ドキュメンタリー映画制作は、概して、そうした資源に恵まれていない。そのため、小さい世界やよく知られた世界の裏側を扱い、それを観客に問う。しかし、沖縄戦に関して人々の間の認知欲求に格差がある。このような現状では、全体像を把握しないまま、新事実を知っても格差は必ずしも是正されず、知識の断片化にとどまりかねない。この映画は沖縄戦を局所的に撮るのではなく、時系列の編集が示すように、全体的に描いている。

 「知られざる悲しみの記憶」は沖縄戦における人の命の軽さである。戦争ドキュメンタリーは概して新事実を重苦しく突きつける。確かに、そうした事実は深刻で、重い。だが、それは人の命が軽く扱われることで起きる。重苦しい編集はそれが伝わりにくい。

 『ドキュメンタリー沖縄戦』は耳を疑うような凄惨な事実を抑制的に語る。インタビューの際、話の合間に関連映像が挿入される。ドキュメンタリー番組と違い、インタビュー・シーンは長々としておらず、その間のナレーションや効果音も禁欲的である。

 茶の間で見るテレビは音声だけで内容が分かるようにするため、新聞や雑誌などの活字媒体に近い。そのため、押しつけがましくなることもある。また、一般のドキュメンタリー映画は深みや重さを出す効果として無言のシーンを多用する。その言語化し得ない映像が重苦しさを観客に与える。しかし、あまりに陰惨な内容をそのように示しても、それはシニシズムにつながりかねない。

 その抑えた口調に重い事実を引き受けて生きざるをえなかった人の悔いや憤り、哀しさなどが入り混じった複雑な思いがにじむ。住民の命を奪ったのはアメリカ軍だけではない。日本兵も行っている。また、戦争は現実検討能力を奪い、認知行動にゆがみをもたらす。沖縄の住民は大切な人であるから守るのではなく、殺すと追いこまれる。体験者の淡々とした話し方が現実にあったことだと強く実感させる。

 そもそも軍部は本土決戦の捨て石として沖縄を軽く扱っている。また、戦前の皇民化教育もそれを用意している。悲惨な出来事は人の命を手段としてそのように軽く扱うことから生じている。それが知られず、内地の人々と共有されていない。そこに「知られざる悲しみの記憶」があり、今の沖縄にも関連する。『ドキュメンタリー沖縄戦』はこの記憶の共有への願いを人々に語りかけている。
〈了〉



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