矢沢永吉に学ぶ映画作り? =「え?彼はミュージシャンだよね?」 [映画業界物語]
矢沢永吉に学ぶ映画作り? =「え? 彼はミュージシャンだよね?」
映画監督業を目指していた頃、スピルバーグ、ルーカス、コッポラ等のインタビューを読み漁った。彼らからの発言。仕事ぶりからもあれこれ学んだ。
が、ある意味で監督たち以上に学んだのが、矢沢永吉だ。へ?ミュージシャンだよね? はい。そんな彼のバンド「キャロル」のメンバーだったジョニー大倉が「笑っていいとも!」に出演したとき。タモリがこう聞いた。
「矢沢永吉ってどういう人なの?」
それに対してジョニーは「大阪商人ですね!」と答えている。つまり、矢沢は歌がうまい!とか、作曲が上手というミュージシャンとしての力だけでなく、ビジネスマンとして優秀ということなのだ。実際、彼の自伝である「成り上がり」を読むと、芸術家というより、やり手のビジネスマンの側面が綴られている。
僕も10代にその本を繰り返し読んだし、彼のインタビューが掲載された雑誌は必ず買ってファィルした。そんな矢沢はキャロルを解散するときにこう言った。
「もう2度とバンドは組まない。今後はソロでやる!」
というのは「何かをしようとしても、他のメンバー3人を説得しなければならない。でも、1人なら自分が行きたい方向にすぐに進むことができる」という。ソロデビューしてからのアルバム「ドアを開けろ」かな?そこからはプロデュースも彼自身が担当。
とてもよく分かる話で、僕が監督業を始めてからも同じことがあった。僕が企画し、お金を集め、シナリオを書いて、演出もするのに、年寄りのPがあーだ。こーだと。自分の趣味や古い価値観を押し付けてくる。
それでもPなので説得するのだが、無駄に時間がかかる。隠れて勝手なことをしたり、やるべきことをしなかったり。そんなPが続いた。で、ある時期からは自身がPを担当し始めた。あれこれ他の人を説得せずに進めることができる。Pがいない方がトラブルも少なく、スムーズに進んだ。
矢沢はその後、コンサートの演出も、興行も自身でやるようになる。90年代からはバックを務めた元ドゥビーブラザースのメンバー等も自身で交渉。ギャラを決めて日本に呼んでいる。(もちろんレコーディングも彼ら!)
対して、映画界。日本の監督はP任せ、作品の中身のみに集中する。本来それがいいのだけど、僕には任せられるPがいない。彼らは社員であることが多いので、作品に命懸けにはならず、次もまた無難に仕事できる環境作りを優先。何より製作費を抜き、コネを作ることばかりに精を出す奴が多い。だから、僕がやるようにした。ちなみに矢沢も似たようなことを言っている。
「ビートルズには有能なマネージャー・エプスタインがいた。でも、俺にはそんな人がいない。だから、マネージメントも自分でやるしかなかったのさ!」
とてもよく分かる発言だ。矢沢が他のミュージシャンと違う展開をし、アメリカの凄腕ミュージシャンたちと仕事ができるというのは、ビジネスマンと側面が強い。
僕は現在、低予算ながらメジャーで撮れば1億円近いレベルのことをやっている。多くの有名俳優が毎回、何人も出てくれる。そこは矢沢から学んだ部分が大きい。手抜き、金抜きのPと組んだり、あれこれ説得せねばならない連中がいたら、できなかっただろう。「先人に学べ」は正解。ただ、矢沢は大金持ちになったが、僕はダメ。そこは音楽界との違い。残念!
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