ウッディ・アレンが人嫌いになった理由を感じる日々(下)誰とも接しなければ問題が起きない? [映画業界物語]
ウッディ・アレンが人嫌いになった理由を感じる日々(下)
誰とも接しなければ問題が起きない?ー2015年の記事からー
ただ、僕も1週間前に予定を立て、その街にお寄りするという形は取れない。監督業はご存知のようにブラック企業を超える仕事量。スケジュールも突然変わる。帰京予定日が変わったり、現地に予定以上に滞在したりもする。そんな中で帰京途中。
「あ、今日なら時間あるから**市で途中下車できる。明日、東京に着けば仕事にも影響しない。きっと喜んでくれるだろう」
と、その街を訪ねる。けど、地元の方も急に来られては困る方がいるという現実を知った。笑顔で迎えてくれたのに内心は迷惑だったと後で伝えてきた。他の方々は笑顔で接してくれたが、同じように「急に来られてもなあ〜」と思いながら我慢していたのではないか? そんなことはないと思うが、全員が喜んでくれたわけでないことは理解した。
ただ、一部の声を受け入れると、また別のところから不満の声が上がるだろう。何をしても、良かれと思っても、誰かが不満を言う。誰が悪いということではないのに、歯車が噛み合なくなっていくようだ。もしかしたら、何もしないこと。誰も訪ねない、挨拶もしない方が誰も傷付けず、迷惑かけないのかもしれない。映画監督業を始める以前は考えもしなかったことだ。
そんなとき、ウッディ・アレンの話を思い出す。もちろん、彼は大スターであり、僕は無名の監督。同じレベルでは語れないが、人嫌いと言われるアル・パチーノも、ロバート・デ・ニーロも、ウオーレン・ベティも、僕が体験したことの数百倍もの困った経験をしたのではないか...........。
その結論が、誰とも会わない。人前に出ない。マスコミには最小限しか関わらない。良かれと思っても、あれこれ揉め事が起こる。誰かが傷つくから。そんなことではなかったか?と考えてしまう。(了)
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