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歳を取っていいこと。意外にあるので面白い①=「才能」は本当に存在するのか? コロッケさんの言葉 [映画業界物語]

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歳を取っていいこと。意外にあるので面白い①
=「才能」は本当に存在するのか?

若い頃の疑問ー歳を取ることで、その解答を知ることがある。例えば、20歳前に共に「脚本が書ける映画監督」(コッポラやルーカスのような存在)を夢を見る友人とこんな話をした。僕はこう言う。

「才能なんてない。経験が大事。映画を作り続けるためにも、アメリカに行っていろんな体験をしたい!」

友人はこう言う。

「俺は俺に才能があると信じる。経験がなくても映画を作ることはできる。だから、このまま助監督を続けて日本で頑張る」

それから30年が過ぎた。結果、友人は監督になることはできず、数年前に故郷に戻った。もちろん、日本で頑張った彼がダメで、アメリカに行った僕が正解という意味ではない。日本にいても夢を掴んだ奴もいるし、アメリカに行ってもダメな奴もいた。見つけた答えは何か?というと「才能」なんて存在しないということ。

僕は監督になり、ある映画のプロモーションでお笑いタレント・コロッケさんのFM番組にゲストとして呼んでもらった。デビューより30年以上も第1線で活躍する人。新しい芸を次々に編み出し、観客を笑わせる。そのコロッケさんが事前に僕のブログを読んでくれたという。テレビに、ステージに、ラジオに忙しい日々を送る彼が膨大な量ある僕のブログを読んでくれた。

売れ続ける人の努力の凄さを感じたのだが、もっとすごかったのは、彼が一番印象に残ったという記事だった。それは「才能なんてない」ということを書いた僕の文章。番組中にご本人から直接聞いた。

「僕も本当にそう思って30年間やって来ました。弟子にも常々そう言っています。才能なんてないんですよ。努力です...」

誰もが才能の塊と思う大芸人コロッケさんの言葉は説得力が違う。彼の様々な芸の数々も、才能によるものではなく、努力だと言われた。物凄く納得。僕も10代からずっとそう思って来た。それが30年の時を経て、納得できる答えを聞くことができたこと。嬉しかった。

友人が夢を掴めなかった理由も「才能」がなかったのではなく、「才能」があると思い、努力しなかったからだと思える。助監督業は忙しい、新しいことを吸収したり、映画業界以外の経験をする機会がない。10代からその世界にいた。そうやって仕事で疲れ切り、書いたシナリオも何年経っても認められず。監督になることを諦めたのだ。

才能というものが存在しないことが分かれば、きっと彼は別の努力をしたはず。でも、当時、20歳前の僕らにその真偽を確かめる術はなかった。今、50代になり、友人の挫折。第1線で活躍し世間で「才能」と言われる人から「才能なんてない」と聞くことで理解した。若い頃には見つけられない答えである。それを見つけられたのは、長い年月を生き、いろんな人と出会ったからだ。その意味で歳を取るのも悪くないなあと思える。


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