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戦場ジャーナリストを批判する人々。似たようなことあったなあ?=映画業もよく当て外れの非難をされるからなあ。 [my opinion]

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戦場ジャーナリストを批判する人々。似たようなことあったなあ?=映画監督業もよく当て外れの非難をされるからなあ。

拉致されていた安田が帰国。昨日、記者会を行なった。その数日前からネットで、いくつもの批判が流れていた。数年前の後藤建二さんがイスラム国に処刑された件でも、無神経な声を数多く聞いた。年配のオジさんがこう言っていた。

「自己責任だよ。危ないところへ行くからだ。自業自得だね」

それなりの年齢。会社員。それなりの役職。家族もいる良識ある人だ。が、その発言はおかしい。後藤さんは旅行で危険な国に行った訳ではない。先に拉致された友人を受け取りに行ったと言われている。そして捕まった。が、その辺はしっかりと報道されていない。一説にはある大手テレビ局の依頼で行ったとも言われる。

おまけに、拉致されているときに、どこかの国のバカな総理が敵対する国に人道支援(結局、その国は戦費に使うことが多い!)を発表。さらに「テロには屈しない」と発言。その後、後藤さんは処刑された。その経緯をそのオジさんは知らず「自己責任だ」「危ないところへ行くからだ」「自業自得だ」と発言する。

そもそも、戦場ジャーナリストとはどんな仕事なのか? 僕らは知っているのか? 危険なところに行くのが仕事であることは分かる。なら「危ないところ行ったから、自業自得」というのはおかしい。なぜ、人は自分が知らない仕事に対して、事情も知らないのに、分かった顔をして当て外れな批判するのか?

思い当たるのが映画という仕事。何度か書いたが、地方で映画を作ると様々な誤解があり、揉めたり、ありえない批判を受けることがある。映画完成。いよいよ監督料を受けとるというときになり、地元の人にこう言われた。

「お前、ギャラ取るのか? 俺たちはボランティアでやってんのに、お前らギャラ取るの? 金のためにやってるのかよ?」

映画作りは仕事だ。農作物を作る。車を作る。家を建てる。それらと同じ。だが、その中年の社長は激怒していた。1つには映画作りは趣味の延長だと思っている部分。映画とか、音楽とか、演劇とか、そんなものは学生時代の趣味その延長。好きでやっている。それで金取るなんて、甘えているという発想。

また、自分たちの町のアピールのために映画を作っている訳で、お手伝いする市民はボランティア。それは最初から決めていたこと。東京からプロのスタッフを呼ぶ。一緒に撮影。その間に、その社長は「一緒にがんばる仲間」と思い始め、連帯感を持つ。撮影が終わり、スタッフ側がギャラを要求すると、「何でお前たちだけが!俺たちも一所懸命やったんだ!」という裏切られた気持ちになったのもある。

それはおかしな話で、スタッフは映画作りの技術を持っている。その社長はお手伝い。物を運んだり、車を誘導したり、そのことで製作部スタッフの数を減らし、人件費を少しでも浮かす。製作費を節減できる。それが理由。要は市民は町をPRする活動。スタッフは仕事。その両者が一緒に撮影した。

なのに、地元の社長が「俺たちも一生懸命やったのに」「ギャラがもらえない」「だから、お前らもノーギャラだ」というのはおかしな話。でも、映画撮影という特殊な状況の中で彼は、いろんな思い違いをしてしまったのだ。映画の世界は一般からは分かり辛く、誤解されることがよくある。

「映画監督は金持ち」というのも都市伝説みたいなもの。それはハリウッド監督の話。日本では映画だけで食える監督は5人くらいだ。「撮影が終われば映画は完成!」という誤解もよくある。その後に編集作業が3ヶ月ほど。ようやく完成したら、地元の人に言われた。

「監督。撮影が終わってから何していたんですか? 旅行でも行っていたんですか? さっさと上映してくれればいいのに〜」

遊んでいると思われ、その人は皆にこう言っていたらしい。

「あの監督はいい加減だ。あんなに撮影のとき、応援したのに、音沙汰なし。映画もさっさと上映してほしい」

近所の人も、映画に詳しくない。「そういえばそうだよね。撮影終わってもう2ヶ月。やっぱ、あの監督いい加減だね〜」と事実ではないこと。映画作りを知らないだけなのに「遊んでいる」ということにされ、ーボロボロになって編集しているのにー地元で批判されていたこともある。

「監督は女優を連れて飲み歩いている」

というのも、ときどき言われるが、監督はたいてい貧しい。女優は昔と違い、金のない監督を相手ににはしない。こんなのもある。

「結局、監督は自分が撮りたい映画を撮っているだけなんだよな。俺たちを利用して...」

そもそも「撮りたい映画を撮っているだけ」というのが変。撮りたくない映画を撮る方が大事なのか? もちろん、会社から依頼されて、撮りたくない映画を撮る監督もいる。しかし、巨匠・黒澤明監督もいう。

「監督が撮りたい映画を撮るから、いいものが出来る!」

そこが大事。それを「撮りたい映画を撮っているだけ」という批判は成立しない。実はその批判する人の価値観はこうなのだ。

「仕事は辛いもの。楽しいのは遊び」「嫌なことでも我慢してするのが仕事」「だから、撮りたい映画を撮るのは遊び。自己満足だ」

そして「俺たちを利用して」というのは、地方映画のときに言う人が必ず出て来る。例えば「町興し映画」なのに、その監督は町のアピールには繋がらないSF映画を作った。これはダメだ。町を利用して、自身が作りたい映画を作ったのだ。

しかし、SFでも、ミステリーでも、アクションでも、その町が舞台で、魅力が伝わる作品であれば、利用したのではなく、町のために映画を作ったということ。にも関わらず、当て外れな指摘をするのは、先の価値観。好きなことをするのは遊び。嫌なことを我慢してするのは仕事。つまり、その監督が暖めていた企画でその町を舞台に映画にした。自身が作りたいものを作った。だから、俺たちは利用された。というのだ。

暖めていた企画だろうが、その場で考えた物語だろうが、要は町のアピールになることが大事。それを「あいつは自分が作りたいものを作っている」という批判をするのは理解できない。黒澤も言う通り、監督は自分が作りたい映画を作ったときに、素晴らしいものができる。素晴らしい映画は観客が支持する。町のアピールに繫がる。だが、その人の価値観だと嫌なものを我慢してやるのが仕事。だから、やりたいことをやる監督はダメということだろう。

通常の仕事。会社員等の多くは仕事を好きでやっていない人が多いだろう。やりたい仕事はなかなかできないもの。だから、仕事=やりたくないもの。やりたいこと=趣味。と考えがち。その論理で映画の世界を批判しても当て外れなものになってしまう。同じように自分たちの業界、会社、一般の発想で、映画作りやスタッフを批判する人がいる。

先日からの戦場ジャーナリスト批判を見ていて、同じような愚かな意見が多く呆れた。ビートたけしという人はいつも分かりやすく、おもしろく、的を得た意見を言うと思っていたが、今回のジャーナリストを登山家に例えて「失敗だった」と批判するのも的外れだ。

ジャーナリストは登山家ではない。映画監督を証券マンに例えて論じられないのと同じ。先に上げた映画の仕事を自分たちの仕事の尺度で批判するのと同様の構図だ。給与や名誉以外の大切なものもある。映画人もギャラに見合うだけの仕事をしていたら、絶対に素晴らしい作品はできない。戦場ジャーナリストもきっと、僕らが想像しない何かを大切に仕事をしているはず。命を失うかもしれない。それでも危険地帯に赴き、情報発信をしようとする人たちだ。言われるまでもなく自分の責任で行動している。その仕事内容も詳しく知らない人たちが無神経にあれこれ批判する風潮。とても悲しい。


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