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なぜ、尊敬すべき先輩は時代からズレてしまったのか?② =年齢だけではない。情報がなくなると人は老いる。 [my opinion]

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なぜ、尊敬すべき先輩は時代からズレてしまったのか?② =年齢だけではない。情報がなくなると人は老いる。

昔、お世話になった尊敬すべき人たちが近年、首をひねるような意見を言うことがある。という失礼千万な記事を先日書いた。理由は年齢。50代以上。それ以上の方もいる。時代からズレてしまったのではないか?と考える。

でも、以前から一目も二目も置いていた方々。ショックだった。父親に再会したアムロのような気持ちー「ガンダム」知らないと分からない話だがー結論として、年齢。そしてスピードが加速する時代に付いていけなくなっていると考える。

それからも、あれこれ思いを巡らせて別の側面に気づいた。例えばHさん。ある業界で活躍していたが、事情で故郷に帰った。この10年ほどお世話になり、いろいろ教えてもらった。が、最近は話すと、違和感があり、へ?ということをいう。その背景を考えた。もう60代という年齢があること。同時に田舎に引っ込んだというのも大きいかもしれない。今までは都会で仕事をしていたのに、今や田んぼと畑の町だ。

東京なら渋谷を歩くだけでも、若い人のファッション。巨大な看板。新しいビルがオープン。再開発計画で町が変化していく様子。いろんな情報が溢れている。そこからいろんなことを知り、考える。

「今どきの子はこんな趣味なんだ。こんな店に今は列ができるんだな。何だ〜このお菓子は? 見たことねえ。この店。変わってるなあ。どこの国の料理なんんだ?」

とか、考えるが、田舎で仕事をするHさんのまわりには田んぼと畑しかない。町には若い人がおらず、顔を合わせるのはお年寄りばかり。話題も限られてくる。テレビはニュース番組しか見ない。Facebookはやっているが、たまにアップするだけ。

こうして考えると東京暮らしの時代に比べて、圧倒的に情報量が減っている。情報はたくさん持っているとか、情報が早いということが大事ではない。生の情報。つまり一次情報が大事。町で見かける若い人たち。そこからファッションや髪型。会話の内容。そんな情報を受け取ることで時代を感じることができる。

対して、田舎の生活はお年寄りと田畑。近所の人との会話しかない。情報はテレビニュースのみ。それも二次情報。「今、***がブーム」とか言っても、どこかの企業が製品を売るために広告代理店が作ったニュースかもしれない。

太平洋戦争でも、アメリカは徹底して日本を調べ分析して戦いに臨んだ。一方日本は日露戦争時代からの教本通りの戦いを続け、物量で負けても精神的には日本人は強いという発想で戦いに挑んだ。戦争でもビジネスでも同じ。ターゲットを知らないと正確な判断はできない。戦争以外でも同じ

「これからの時代はインターネットだ!」

というには、自身がネットを利用しているだけではなく、自分が知る多くの人もネットを使っていることを知っていなければ確信を持っていえない。また、それが一次的なブームでなく、永続的に続くものであるということも感じているはず。もし、田舎に住み。周りの人は誰もパソコンを持たず、携帯は皆ガラケー。テレビで「パソコンが売れています!」と報じても

「何だかんだいってもテレビだよ。そんな簡単にパソコンの時代にはならなよ〜」

と考えるかもしれない。それがパソコンどころかスマホの爆発的な普及。東京で電車に乗ればすぐに痛感する。だが、田舎に住み。電車に乗らない。移動は車。付き合いは近所の年寄り。若い子はいない。となると「まだまだテレビの時代だよー」という意見をいってもおかしくない。これがたぶん、Hさんの背景なのだ。

尊敬すべき先輩であり、何度も相談に乗ってもらい、いつも鋭い答えをくれた。が、この数年「え?」というような意見しか言わないのは、年齢だけでなく、そんな環境が影響しているのだろう。例えば僕が「これからはネットの時代ですね。ネットで宣伝大事ですね」と言っても、Hさんは

「違うよ。やっぱテレビだよ。ネットなんか意味ないし、すぐに廃れる。俺のまわりじゃ誰もやってないしさ」

という感じなのだ。これは仮の話であり、実際とは違うが、あのH先輩が、そんなズレたことをいうなんて…。ショックを受け、アムロのお父さんを思い出した。

僕にとっては尊敬すべき先輩だが、新しいものを受け入れにくい年齢になっていること。新しい情報が得られない地域に住んでいること。まわりは皆、高齢者。田んぼと畑ばかり。考えると、時代から取り残されない方が不思議かもしれない。たぶん、そういうことだろう。

もう一人の先輩。Nさん。彼は今も東京に住んでいる。若い頃からお世話になっているが、この数年ズレを感じる。なぜだろう? 考えてみた。彼の場合。個人事業をしている。同僚は皆、昔からの仲間だ。テレビを見ない。スマホは持っているが、パソコンはない。

50代。ニュースはヤフーニュースを見る程度。Facebookはやっていない。仕事は製品作りなので、お客と直接合わない。作業は昔からの仲間と。さて、どこに原因があるのか?

彼もまた人生において、いろいろ教えてくれた人の1人であり、叱ってもくれ、アドバイスもくれた。これまで納得できないことを言われたことはない。が、やはり数年前から「え?」という発言がある。原因のひとつはやはり年齢だろう。50代とはいえ、やはり新しいものをどんどん吸収できる年齢ではない。むしろ、これまでに経験した古い価値観で生きているはず。

思い出してみる。彼は数年前に重い病気をした。そこから変わったのか? 趣味も考えた。映画は好きだが、テレビは見ない。音楽も聞かない。読書も好きではない。新聞も読まない。最近は仕事、仕事。若い人とも接することはない。他業種の人とも接しない。政治にも興味がない。

今、気づいたが、彼は普通のサラリーマンと同じ生活をしている。50代の会社員といえば今流行りファッションとか、芸能界で誰が人気とか分からなくなっている歳。そう考えるとズレてくるのは当然? 逆にいうと時代を反映した意見を言えるための背景のなにがあるか?というと「東京で生活している」しかないのだ。 

何かが彼の中で変わったのだ。病気だろうか? これは確証有るわけではない。が、病気以降は内向きになった気がする。以前は飲み歩いたり、遊んだりしていていた。仕事より遊び。だが、今は仕事熱心、飲みに行ったりしない。

仕事以外の他業種の人たちと交流もあった。でも、病気のあとは仕事一本。つまり、先のHさんと同じ。新しい情報が入ってくる環境がなくなった。だから、古い情報しかなく、古い価値観でものごとを考える。時代に即した新しい判断ができない。だから、ズレた意見をいうようになった。それではないか?

念のために付け加えるが、新しい情報を持っていることが大事ではない。その情報をもとに考えることで、現実に即した意見が持てること。戦争で例えると、敵の勢力を正確に把握していれば、自国の軍事力と比べて戦えるかどうか?を判断できる。が、古い情報しかなければ、その後軍備拡張していても気づかず、間違った判断になる。ビジネスも同じだ。

では、自身を振り返ってみる。「僕は時代からまだズレていない!」と言い切る自信はない。時代からズレるというのは「表現者」にとって致命傷。映画でも、歌でも、芝居でも、小説でも、「素晴らしいものが評価される」というのはあるが、「素晴らしい」とは何か?というと表現力だけでなく、「時代を反映しているか?」ということだ。

例えば80年代前半は流行ったのはパロディだ。過去の名作を皮肉るようなものがウケた。代表的なアニメは「Drスランプ」「うる星やつら」それが後半になると、少しひたむきに真面目になる。ヒット作は「ドラゴンボール」「めぞん一刻」。前者はどちらも鳥山明。後者はどちらも高橋留実子である。

漫画家たちは時代の流れを敏感に感じ取り、その時代にふさわしいものを描いていたのだ。時代を反映しているからこそ、多くの人がその作品を喜んでくれる。人々は時代を意識していないくても、反映があるものを支持する。

90年代はホラーが流行った。「リング」から始まり、「呪怨」が大ブレイク。映像業界は猫も杓子もホラーだった。ホラーは不安の時代に流行する。あのときは平成不況(ま、それは今も続いてるが)古くは「エクソシスト」の頃のブーム。あの頃はオイルショックだった。その次は….詳しく書くと字数がどんどん増えるので省略。とはいえ、作家が

「今、こんな時代だからこれがウケる!」

とか言って作品を作る訳ではない。今の時代に生きている作家だから当然、時代を感じて生きている。作品には当然それが反映される。それを観客は感じるのだ。つまり、時代を感じる力をなくした作家が作った作品は支持されない。

それは作家が趣味で作っただけの作品になってしまうからだ。しっかりと時代を感じてなければ、感動してもらえる作品は作れない。今回の「明日にかける橋」はとても好評なので、まだ大きくはズレていないと思うのだけど、いつズレてしまうか? は分からない。

Hさんのように急に田舎で生活するとかなると、どうなるか? 僕もNさんのようにテレビをあまり見ない。新聞も読まない。シナリオ、編集の期間は人と全く会わない。話さない。ううううう、危険だ....。ただ、映画という仕事をしていると、若い人と接する。今回も若い俳優が多かった。

越後や長澤は16歳17歳だ。そんな越後が尾崎豊を聴いていてびっくり。僕が若い頃に聴いていたアーティストだ。同世代のオジさんにいうとこう言われた。

「今時の若い奴は尾崎なんて聞かないよ、笑っちゃうだろうね?」

でも、越後のような10代が存在するのだ。また、映画を作るといろんな人に出会う。今回もロケ先に皆さんには大変お世話になった。そこでおばちゃんたちがいかにパワフルで行動的か?を痛感した。他の業界でも、実はおばさま方にお世話になった。鋭く聡明な方々で、映画の応援をしていただいた。

それに比べてオジさんたちはどこに行っても消極的な方が多い。そんな日本の現状を知ることができるのも映画という仕事をしているから。

シナリオを書くとき、いろんなことを調べる。書道、原発、1983年。今回は1989年。バブル経済についてもあれこれ調べた。劇中に登場する「大日本銀行」のキャッチコピーを「世界に広がる大日本銀行」にしたのは、いろいろ調べて、バブル期の海外への融資は都市銀行より地方銀行の方が遥かに額が多かったからだ。全然知らなかった。

また、「戦中の教育」と「現在の教育」の共通点もあれこれ勉強していて気付いたこと。原発問題も調べると、日本という国の構造まで見えてきた。電力会社があれほどの力を持っていたこと。知らなかった。

それ以来、すぐに映画を作る訳ではないが、あれこれ調べている。その種の本を読む。情報を探す。特に安倍政権は疑問が多い。彼の家系を知りたくなる。奥さんは大手菓子メーカーの娘ーなるほど。総理は祖父・岸信介のことはよくいうが、なぜもう1人の祖父の名前を上げないか? 彼もまた政治家であるのに….。そして故郷・山口県のこと。

背景に存在する日本会議とは何か? 日米合同委員会? 日米地位協定? 日米原子力協定? その辺を探っていくと、北方領土問題に繋がってきた!? さらに沖縄問題も関わる。

すぐに映画にできる訳ではないが、ニュース番組ではなかなか扱わない、その種の事実を見つめることで、いろんな疑問が解け、今の日本と世界が見えて来る。また「朝日のあたる家」を作ったことで、いろんな業界の人が、いろんな情報をくれる。「え? 本当ですか?」というような話も聞く。陰謀論とかいってスルーしてはいけない事実もある。

映画業でなければ、この歳で、こんな勉強をすることもなかっただろう。でも、そんなふうに新しい情報を吸収する、現実を見つめる、そんなことを続ければ、時代からズレずにいられるのではないか?

しかし、あれほど鋭かった人たちが…..正直悲しい。昔からバカな奴もいて、今もバカというより。尊敬すべき人が、あまりにズレた意見をいう姿。本当に寂しい。でも、それが老いるということなのだろう。そして僕にもいつかそんな日が来るはず。そんなことを考えている。



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