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演技レッスンを受けたこともないのに、もの凄い芝居が出来る人たち? [映画業界物語]

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演技レッスンを受けたこともないのに、もの凄い芝居が出来る人たち。「鋭い感受性」「経験」他に俳優に必要なものは何だ?

俳優、そして表現の仕事をする上では「経験」も重要だが、経験にばかり囚われて表現力を養わないと無意味となる。そんな話を前回書いた。人生に置いて様々な経験をすることは表現の仕事をする上でプラスになる。が、いろいろな体験をしているからと表現の仕事ができる訳ではないということだ。

例えば外人部隊として海外で戦争に参加した人がいたとする。その体験は貴重であり、なかなか経験できないことだ。が、だからといって、彼は作家になれる訳ではない。1本はその経験をもとにノンフィクションの体験小説が書けるかもしれないが、それで終わり。大事なのは表現力。作家なら書く力だ。それがなければ作家の仕事を続けることはできない。

俳優業も同じ。どんな素晴らしい経験があっても演技力がなければ俳優の仕事はできない。そして、それら表現力を伸ばすには、繰り返し表現を続ける。つまり、作家なら書き続ける。俳優なら演じる。それを何年何年も続けてこそ、卓越した文章力、演技力になるのである。

では、俳優業や作家業は幼少の頃から訓練し、何十年と続けないとプロとして通用しないのか? 高校を卒業してから、30歳を過ぎてから挑戦しても無理なのか? それは違う。俳優の仕事はバレリーナやピアニストのように幼少の頃にスタートしなくても、ブレイクする人たちはいる。

では、才能があればいいのか? それも違う。繰り返し書いているが「才能」なんて存在しない。でも、あるものを持ち、磨いて来た人であれば、30歳、いや、40歳、50歳を過ぎてからでも表現の仕事がし、業界に通用させることができる。まず、こんな話を紹介しよう。

ワークショップをすると、なかなかの実力派が集る。というか、それなりの経験がある役者に勉強してもらうためのワークショップなので当然ではあるが、プロとして知名度がなくても、水準以上の芝居ができる人たちは多い。台詞もできる。動きもOK。笑えといえば笑えるし、泣けといえば、すぐに泣ける。

ま、でも、それらは本当に重要なことではない。演劇学校へ行けば教えてくれることであり、それを長年練習して来たのだろう。彼ら彼女の多くは俳優事務所に所属。或は劇団のメンバーだ。そこそこ、映画やドラマにも出演している。が、食って行けるところまでは行かず、皆、アルバイトをしながら俳優をしている。

30代を過ぎた人も多い。「私は一生、俳優を続ける!」という意思も感じる。応援したくなる。が、問題がある。そこそこの演技はできる。下手とは言えない。が、普通の演技なのだ。つまり、代えが効くということ。A君がいる。ドラマで刑事役をする。その役をB君が演じる。でも、さほど違いがない。そう、個性がないのだ。どちらも普通の人。このタイプが実は多い。女性も同じ。皆、ずば抜けてはいないがルックスはいい。芝居も出来る。そこそこの役ならワークショップの参加者のほとんどがこなせるだろう。でも、Aさんがやっても、Bさんがやっても大きな差はない。

ひとつは個性がないということ。それで演技力が同じなら、オーディションでも何でも、「その俳優をぜひ欲しい!」にはならない。そんなところにデブ、チビ、ハゲ、というキャラの個性的な俳優がいたらどうだろう? 完全に持って行かれる。主人公の友達、同僚、家族、という役柄ならアウトだ。普通の兄ちゃんや姉ちゃん。少し芝居ができても、個性派には勝てない。

チビ、ハゲ、デブという個性的な人たちは一般世間ではモテないだろうし、コンプレックスが多い人生だろうが、この世界ではそれは武器となる。ずば抜けた演技力がなくても、そこそこで十分通用する。逆にいうと、可愛い、美人、巨乳という女優は山ほどいる。上には上がいる。それで勝負するのは大変。男性でも、二枚目、イケメン、いい男も捨てるほどいる。この世界で容姿だけで勝負するのは無謀。

ということは、ワークショップに来てくれる真面目な青年俳優たちはどうすればいいのか? 抜群の演技力を付けるか? 自分なりの個性を探し出し、それを前面に出して行くか?なのだ。つまり、幼少から演技レッスンを受け、長年稽古して来ても、それで演技派に成長するとは限らないのが俳優業だ。18歳からスタートしても、花咲く人もいるし、子役からがんばっていても、パッとしない子も多い。

単に長期間やっていれば、うまくなるというものでもない。といって、30歳を過ぎて行きなり俳優になり、高い表現力が発揮できるか?というと、それも難しい。その辺は経験のない人がいきなり小説を書いて、素晴らしい作品が書けるものではないのと同じ。

しかし、演技経験がないのに、30代で初めて映画主演した人がいる。50代を過ぎて連ドラのレギュラーになった人もいる。いや、意外にそんな人たちは多い。若い頃から演技の勉強をしていたか? NOー全くしていない。劇団に所属していた? NOーしていない。なのに、長年俳優を続けるベテランを超える芝居をしてしまう人たちがいる。さて、どんな人たちか? その前にクイズを出そう。以下の人たち。有名俳優だが。共通点は何か?

岸部一徳、武田鉄矢、沢田研二、片岡鶴太郎、ビートたけし、竹中直人、萩原健一、内田裕也、いかりや長介、泉谷しげる

皆、個性的な俳優だ。さて、共通点は何か? 答えー元々は俳優ではなく、別の分野で活躍する人たちだ。歌手か、お笑い芸人なのだ。「相棒」の官房長官で怪演していた岸部一徳さんも、実は元タイガース。あのグループサウンズのメンバー。歌手なのだ。沢田研二さんも同じタイガース。竹中直人さんは物まねからスタートした人。萩原健一さんはテンプターズ。いかりや長介さんはご存知ドリフターズ。元々はバンド。その後「全員集合」でお笑いをやっていた。

思うのだが、彼らの演技は通常の俳優。特に劇団系などの正当派の俳優たちには絶対にできない芝居をする。若い人はご存知ないかもしれないが、沢田研二は「太陽を盗んだ男」で映画初主演(タイガースがメインの映画等を除き)31歳だったが、もの凄い演技を見せた。あの役は他、誰ができるだろう? その後の「ときめきに死す」でもラストの絶叫。名だたるベテラン俳優でも、あの芝居ができたか? ビートたけしは自らの監督作での演技だけでなく、「コミック雑誌なんかいらない」のクライマックス、豊田商事事件の犯人がモデルの役。あの迫力と異常さを誰が真似できるか?

上記に上げた俳優たちのそれぞれの作品をひとつひとつ解説したいほど、迫力と狂気と、熱情と、悲しみに満ちた演技に何度も打ちのめされたのを思い出す。彼らはミュージシャンであり、歌手であり、お笑い芸人だ。子供の頃から児童劇団で勉強した訳でもなく、俳優の仕事を主にやって来た人ではない。出演前に演技レッスンに通ったのでもないはず。中にはドラマデビューが30代40代50代の人もいる。

いかりや長介はコントは長年やっていたが(映画「全員集合」というのもあったが)本格的な映画出演は黒澤明監督の「夢」。当時59歳。武田鉄矢の「金八先生」シリーズにしても、上記に名前は上げなかったが長渕剛も「とんぼ」「シャボン玉」等のテレビドラマでは、俳優一筋で来たベテランでは考えられない演技を見せ、大ブームを起こしている。

僕は基本、劇団系の俳優さんが大好きなのだが、歌手やお笑い出身の俳優陣の力は本当に凄いと思える。となると、演技レッスンって何だ? 長年の稽古って何だと考えてしまう。では、なぜ、彼らがそんな凄まじい演技ができるのか?説明して行く。これも才能なんてものではない。演技=表現。つまり彼らは長年に渡って「歌」や「笑い」という表現をやって来たのだ。元々、鋭い感受性のある人たち。歌うこと。笑わせるという表現を長年やり、試行錯誤し、自分のスタイルを確立した人たちだ。その方法論を演技という表現に置き換えたのだ。

歌を歌うというのは、ただ歌詞を歌うだけではない。歌詞で描かれた物語。その主人公の気持ちになり、伝えるのが歌だ。悲しみや喜びをどうやって歌詞で伝えるか? その歌を聞き、観客は悲しんだり、感動したりする。歌手の仕事は俳優と同じなのだ。その登場人物に成り切ること。俳優はそれを言葉と動きで伝える。歌手はそれを言葉と音楽で伝える。そんな仕事を長年し、その世界で成功して来た人たちが「演技」という形で、表現をするのが俳優への転進なのだ。

お笑いも同じ。観客を笑わせるということは感情を操ること。間の取り方。言葉のトーン。早さ。ちょっとした表現で人は笑ったり、笑わなかったり。そんな仕事をして来たお笑い芸人。もの凄い技術を持っているのだ。それを演技に生かした。演劇学校で感情表現のトレーニングとか良くやっているが、観客相手に生で勝負しているお笑い芸人。それもその世界で成功して来た人たちの技術は学校で学ぶレベルではない。

結局、演劇とはレッスンで学べるものではないと思える。ワークショップに参加してくれる若者たち。事務所のレッスン。演劇学校。他の監督のワークショップ。いろいろと参加し勉強している。でも、それらがどれほど意味があるのか? 目の前にいる観客を笑わせるために日々、努力するお笑い芸人。観客を湧かすために歌う歌手。彼らが長年続けて来たその経験と努力が大いに表現、演技に生きていることが分かる。

僕が伝えたいこと。表現の仕事は学校では学べない。そして、短期間で上達するものではない。といって幼い頃からの英才教育でもない。また、大学を出てからスタートしたのでは遅過ぎるのもある。しかし、昔から歌をやっていた。お笑いをやっていた。いや、それ以外でもいい。何か感性を磨くことをやっていたのであれば、それを使うべきだ。そして、できる限り多くの舞台やカメラの前に立ち。芝居をすること。それが上達する早道。早道といっても、そこから5年10年かけて、うまくなればいい。

作家も、歌手も、お笑い芸人も同じだと思う。場を踏み。考える。そしてまた観客の前に、カメラの前に立つこと。学校で学ぶことではない。映画監督業も同じだ。僕が若い頃。「俺に監督させろってんだよ。最高の作品撮ってやるよ」という友人がいた。どの業種でもそうだが、何の根拠もないのに、若い内は「俺は違う!」と思えるもの。ま、以前に書いたインプット作業ばかりしているからなのだが。

でも、映画を数観ても監督業はできない。8ミリだろうと、ビデオであっても、自分で撮ることで力が着く。何よりも真剣勝負のときに学ぶことが多い。映画学校で学んだことで役に立つものはほとんどないと感じる。実践が一番大事。もちろん、その場に立つまでにいろいろ困難はあるが、今回はそのことを伝えたい。


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