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俳優業に必要な「感受性」とは何か? 才能ではなく感受性が大事。しかし… [映画業界物語]

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俳優業に必要な「感受性」とは何か? 才能ではなく感受性が大事。しかし…

俳優だけではないが、クリエーター、表現者、アーティストは「才能」ではなく、まず「鋭い感受性」が必要だ。何度も何度も書いたが「才能」なんてものは存在しない。前回も詳しく書いたので次に行く。では、「感受性」とは何か? 美しいものを美しいと感じること。悲しいことを悲しいと感じることだ。

自分の悲しみを悲しいと感じることは簡単だが、他人の悲しみを自分のことのように悲しむ人がいる。話を聞いただけで涙してしまう。或は映画を観て号泣してしまう。世間ではそんな人を「涙もろい」というが、鋭い感受性を持つ人なのだ。そんな人が表現の仕事。アーティストに向いている。

ただ、感受性が鋭いと大変だ。小さなことで悲しんでしまう。多くの人が「へーーそうなの?」で終わることでも、泣いたり、落ち込んだりしてしまう。逆に小さなことでも大喜びしたり..。これも世間では「ひ弱」とか「子供っぽい」とか言われがち。

つまり、子供の頃は純粋で感受性が豊か。子供はすぐに泣いたり笑ったりする。それが成長過程で、特に日本では感情を押さえることが大人なのだという習慣がある。また、教育はあれこれ想像せずに、与えれたことを確実に再現するだけの勉強が多い。文学を読み、作品を堪能するとか、絵画を観て感動する。それを語り合うという教育はほとんどない。そのため感受性が固まって行き、大人になると、多くが無感動、無関心になりがち。感動的な映画を観ても涙が出ず

「女、子供なら泣けるが大人の男性を泣かせるほどの作品ではない....」

そう偉そうに言う人がいるが、大人の男性こそが感受性が固まり、感じる力を失っていることに気付いていない。そう考えると、感受性が鋭いのは、子供、若い人。女性が多いことになる。

つまり、それらの人たちは表現、アーティストという仕事に向いているともいえる。実際、若手俳優で演技派の女優は数多くいるが(僕の映画にも何人も出演してもらっている)大人の俳優、若手の男性で感性豊かな人は多くはない。その背景にも感受性というものがある。

あと、芸能界で有名な人たち。シャイで恥ずかしがり屋の人が多いこと。よく言われる映画やテレビでは堂々としていても、インタビューをされると、言葉が出て来ない。相手の目を見て話せない。それも感受性が強い現れと考える。何百人もの観客のいる舞台で堂々と演じる俳優が、マスコミのインタビューにはうまく答えられなかったりする。

アメリカでもウッディ・アレン、ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ダスティン・ホフマンという名優たちはインタビュー嫌いで、気難しいと有名だ。彼らもシャイで恥ずかしがり屋というのは本当の理由だと思える。その証拠に皆、演技派の名優だ。

日本の名優のエピソードをひとつ。現在は「相棒」で大活躍中の水谷豊さんはその昔70年代後半に「カリフォルニアコネクション」という歌が大ヒットした。が、当時の人気番組「ザ・ベストテン」への出演を頑なに拒否した。「撮影中」というのが理由。

それでも局側が粘り一度だけ、ロケ現場から中継で出演したことがある。そのときの水谷さんは(当時は「熱中時代」で大ブレイク。そのときは「刑事篇」だった)番組で演じる陽気な2枚目半キャラとは全く違う、シャイで、恥ずかしがり屋。超ナイーブな青年。司会の久米宏さんの質問にもうまく答えられない。

「えーーーー素顔はこんな人かあ!」

と当時学生だった僕も驚いた。今にして思えば、もの凄い鋭い感受性を持つ人だったということだろう。だからこそ、その後も活躍。現在は「相棒」で10年以上に渡り、主役を演じている。もちろん、芸能人はそんなタイプばかりではないが、やはり名優と呼ばれる人、長く映画界で活躍する人の多くは感受性が鋭い人が多い。音楽界でも同じ。尾崎豊や小室哲哉のエピソードでも、それを感じるものがあるが、長くなるので次に行く。

つまり、鋭い感受性があるから、悲しみも、喜びも、怒りも人一倍強く感じる。だからこそ表現の仕事=演技ができる。他人の悲しみを自分のものとして感じるから、他人が演じられる。つまり、演技ができるのだ。前々回も書いたが、役者がある役を演じる。悲しみに打ちのめされ涙する。でも、観ていても全く悲しみが伝わらないことよくある。その役者は形だけ悲しい振りをしているだけだからだ。

同じような芝居でも、観ているだけで涙を誘う芝居がある。簡単に言えば演技がうまいということだが、本当の理由は、その俳優が本当に悲しんでいるからだ。感受性が強く、台本に書かれている役にしか過ぎないキャラクターの悲しいを自分のこととして悲しむことができる。だから、観客の心に届く。

例えば葬式で、家族を亡くした人が涙しているのを見ると、もらい泣きしてしまう。その人は演技がうまいのではない。本当に悲しいんでいるのだ。だから、まわりの人にも気持ちが伝わり、もらい泣きする。舞台でも、映画でも同じ。それは演技力というより、鋭い感受性が成せる業なのだ。

子供頃は多くが持っている鋭い感受性。大人になるにつれ失われる。だから、ワークショップに来てくれた若い人たち。プロの俳優を目指している人たち。努力している。でも、すでに感受性が固まってしまっていることが多い。それに気付かず、形や技術だけで演技をしようとする。日本の教育で考える力を育てず、与えられたことだけをして、10年前後の期間を過ごして来た結果である。その間に感受性が鈍くなり、固まってしまったのだ。

でも、一般社会を生きて行くにはその方がいい。小さなことで泣いたり、笑ったり、他人の不幸をいちいち悲しんでいたら社会人として生活が成り立たなくなる。上司に叱られたからと1日塞ぎ込む。同僚が左遷されたら涙に暮れる。仕事にならない。逆にいうと、社会生活を送るには他人の悲しみは人ごと。喜びも悲しみも強く感じない。ロボットのようなタイプが日本の社会には適しているのだ。

それでも人は完全にロボットに成りきれない。社会人も悲しみや苦しみを押さえ、隠して仕事する。だからこそ、仕事帰りに酒を飲み感情を発散する。そして映画や舞台を観る。主人公が泣き叫んだり、怒ったり、することに共感し、精神が解放される。だから感動する。カラオケで悲しい歌を歌ったり、喜びの歌を歌うのも同じ作用がある。

ただ、そちら側にいる人が映画や芸能に憧れて、プロを目指しても、すでに固まった感受性では勝負にならない。ただ、ワークショップに来た若い人たちを見ていて思うのは、喜びも悲しみも感じなくなりつつある自分に無意識に危うさを感じ。演技をすることで本当の自分を取り戻そうとしているのではないか?ということだ。

では、逆に感受性の鋭い人の人生はどんなだろう? 日本の教育でも社会生活でも感性が鈍くならない人はどうなのか?当然、社会生活は送りにくい。人一倍傷つく。落ち込む。塞ぎ込む。無神経になった方が今の時代は生きやすい。学校、会社、サークル、近所付き合い。感受性が鋭いと本当に人付き合いが大変。

特に感受性の鈍い人や無神経な人と接するのは、心がギタギタになる。そんな人たちにどう説明しても理解は得られない。やがて、心を閉ざし。引きこもるか? 孤独な生活を送るしかない。感受性の鋭さがそこそこなら、どうにか我慢して、週末にストレスを発散して社会生活を送るが、本当に鋭い人は人生地獄だ...。

ところが、そんな人でも、その「感受性」を生かせる世界がある。それが芸能界であり、映画や音楽の世界だ。その能力がなければ通用しない世界。そういう人たちが成功する世界なのだ。その鋭い感受性があるから素晴らしい演技ができる。感動させる歌が歌える。心に突き刺さる小説が書ける。だって、他人の悲しみを自分のことのように感じる力があるのだから、だから、多くの人が共感する素晴らしい詞が書ける。涙する曲が演奏できるのだ。

まだ、話は続くが、ここで気付いたと思う。俳優や歌手やミュージシャン。小説家という表現者たちは、努力してなるものではない。一般の社会では生き辛い、鋭い感受性を持った人たちが、なるもの。日常をまともに送れない。送り辛い人たちが演劇、音楽、小説、絵画、という武器を手にしたときに生まれるのが表現であり、芸術なのだ。映画「XーMEN」で描かれる超能力者というのは、実はアーティストのことではないか?と思える。ずば抜けた能力があるから生きにくい人たちの物語だ。

しかし、鋭い感受性を持っていれば、皆がアーティストになれる訳ではない。また、鋭過ぎる感受性を持っていたからこそ潰れる者も多い。逆に僅かな感受性しかないにも関わらず、成功する者もいる。そんな人たちを襲う社会生活以上のプレッシャーとストレス。あまりにも残酷な現実。その中で生き残るのは、ほんの一握り。

また、その世界では感受性以外の様々なものが必要とされる、感受性の欠片もない人々も君臨。力ある者を踏みつぶしたりしている。では、どのようにして鋭い感受性を持つ人たちが、それぞれの分野で戦い。アーティストとして大成するのだろうか? どんな努力が必要なのだろうか? それはまた別の機会に書きたい。



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