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明日にかける橋ー編集日記 作品は成熟する。それを見つけるのが編集? [「明日」編集]

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昨日もなかなか編集を始められなかったが、「編集の友」であるコーヒー、ガム、お菓子、いろんな手を使い自分を物語に送り込み、夕方頃にようやくスタートした。が、やはり重いシーンはダメ。とりあえずタイムラインに並べて、軽いシーンを進める。編集もむずかしくないシーンだ。

主人公の母・桐子(田中美里)が大人・みゆき(鈴木杏)と対面する場面。そこで祖母の話をする。そこを編集していて涙が零れた。泣けるシーンではない。にも関わらず2大女優の芝居が心に突き刺さる。美里さんの台詞がとても台詞に思えない。悩み続けた母がやっと見つけた答えを伝えようとしている。そんなふうにしか思えない重さがある。

シナリオを書くときには一応、見せ場として感動シーン。泣けるシーンというのを想定するが、撮影でその通りに撮れるとは限らない。俳優の芝居が今ひとつだったりとか、時間がなくバタバタと撮影を終わらねばならないときとか、もともとシナリオに問題があったときとか、いろんな理由で感動シーンにならないことがある。

そんなシーンを編集時に「盛り上がらないなあ」と劇的な編集をしたり、あとで感動的な音楽を付け盛り上げたりすることが多いのだが、結果としてうまく行かない。映画を見ていて「ここ感動シーンのはずなのに泣けないなあ」と思うことがあるだろう。その理由は上記。それを編集で盛り上げようとするので、余計にしらじらしくなり、大音量で音楽を流して、これも余計に観客が冷めてしまったりする。

逆に、感動シーンではないのに泣けるシーンになることもある。現場で俳優が盛り上がり素晴らしい演技をして、感動シーンではないのに感動シーンになることもある。これは偶然そうなるのではなく、俳優が芝居をしやすい環境を作ることが大事。そんなとき、まれに奇跡のシーンが生まれる。

でも、そのシーンをシナリオ通りに編集したのではダメ。「ここ感動シーンになりそうだ」と感じたら「その登場人物の気持ちをどうすれば表現できるか?」を考えて編集する。そんなとき編集作業は楽しい。作家が意図せぬところで物語が成熟して行っているということ。

それを見逃してシナリオ通りに編集してしまっては、感動シーンを潰してしまうことになる。大切なところである。


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