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キャスティングまだ続けている。俳優を呼ぶということ。思い出す逸話 [6月ー2017]

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出演者の発表。なかなか続報をお伝えできずにいるが、かなり決まっている。あと一息まで来ているのだが、最終的な部分でまだ奮闘中。そのために早く依頼したい俳優さんに連絡できずにいる。たぶん「何で俺に連絡来ないんだよ〜」と思っている俳優さんもいるはずだが、ご存知の通り、Aさんが決まらないとBさんが決められないということがある。

しかし、決まった顔ぶれを見るとなかなかだ。とても地方映画とは思えない。といってテレビドラマによく出る有名俳優が複数出演ということではない。役に相応しい実力ある俳優が並んでいるということだ。それによって素晴らしい作品ができる。それが何よりも大事。というのは思い出すことがある。

ある町から映画製作の相談をされたとき、地元の名士と言われる人たちに説明会をした。彼らはこういう「どーせ映画を作るならパーーと派手にやりたい。高倉健とか吉永小百合を呼ぼう!」そんなことをいうので「だったら、10億円くらいの製作費が必要ですよ」と答えると「どこにそんな金があるんだ!」と言われた。

彼らにとって映画というのはリアリティのない夢であり、自分たちが映画を作るという段になっても、憧れや願望を語るだけで、「それに向かって製作費を用意しよう!」ではなく、外部からレクチャーに来た者に対して「どこにそんな金があるんだ!」という本末転倒なことを言い出す。では、いくらなら用意できるのか? もし、本当に健さんで映画が撮りたいのなら、どうやって製作費を集めるのか?ということを考えるべきなのだ。

別の町でもこんな話があった。ある市民団体。年度内の予算が5万ほど残りそうだった。「それでタレントを祭りに呼ぼう!」と考える。当時、マツケンサンバが大ヒット。その松平健を祭りに呼ぼうと考えた。事務所に連絡するとギャラだけで500万ほどといわれらしい。市民団体は答えた「そこを何とか5万円で! それしかないんです」先方はあきれ果てたという。

なぜ、大俳優が田舎の市民団体の残った予算に合わせて仕事をせねばならないのか? 5万しかなければ5万なりのタレントを呼ぶべきなのだ。なのにテレビに出ている有名な人を求める。先の町でも「映画というと高倉健!」というオジさん世代が中心だったので出て来た発想だ。

だが、映画やテレビで活躍するということは本当に凄いことで、そんな人たちは業界でもなかなか出演してくれない売れっ子なのだ。それを田舎の団体が5万で出てくれというのは、何と言えばいいのか? やはり、芸能人や俳優というものがどんなものなのか?というリアリティがないのだろう。

映画祭でも似たような話がある。実行委員たちが自分たちの好きな俳優をゲストで呼ぶ。上映する映画よりそちらに興味が行ってしまう。委員たちはゲストで来た俳優と一緒に飲み会。委員と親しい人たちだけ呼ばれる。でも、彼らは映画祭には来ない。要は好きな俳優と懇意になるために映画祭を利用しているのだ。次第に映画祭には力が入らなくなり「次は**さんを呼ぼう」となっていく。観客はどんどん減る。やがて映画祭は中止。有名なあの映画祭もそんな形で消えて行った。

これらから言えること。俳優は魅力的だし、来てくれれば映画撮影も映画祭も盛り上がる。でも、どちらもファン交流会ではない。映作りであり、映画を観る会なのだ。その辺を勘違い。結果、全てを失うことが多い。その辺もあり、あまり早く俳優を発表するのも問題。「***さんが出るんだ!」「***さんが来るんだ」ということばかりが先行して、市民が作る映画なのに、協賛、応援するより「あの俳優に会いたい!」というノリの人が増えてしまう。

先の映画祭と同じように、上映する映画より俳優を優先してしまう。映画祭も映画製作も同じ。まず、作品だ。作品が一番大事。そのことを認識しないと大変なことになること。大事なのは映画で町の魅力発信であり、古里再発見。僕の作る映画の地元はこれまでに、その種のことで脱線したことはない。その意味で毎回感謝。でも、そのことを毎回、心がけて撮影に臨む。


明日に.jpg
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