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【確実性が大事。延期して着実に準備しようーそれはアウト。映画作りは「思い」が問題を超え完成させる! [1月ー2017]

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【確実性が大事。延期して着実に準備しようーそれはアウト。映画作りは「思い」が問題を超え完成させる!】

 ゴジラの生みの親でもあり、特撮の神様と言われた円谷プロの社長だった円谷英二。「ウルトラQ」を作るとき、当時は驚愕的に高額なオプチカル・プリンターをアメリカの会社に注文した。そんな費用を円谷プロでは払えないのにである。発注してから社員はパニック。どうするの? 払えないよ。キャンセルしよう!と連絡したが、すでに船便で発送したあと。機械はすでに太平洋の上。

 結果、TBSが支払いを肩代わりするのだが、円谷が支払いのあてもなく注文したオプチカル・プリンターのお陰で「ウルトラQ」は歴史に残る名作となる。もし、彼が堅実で慎重な人で「会社に資金的な余裕が出来てから、その機械を買おう」と言っていたら、与えられた中で、地道に堅実にやっていたら、あの時代に「ウルトラQ」は誕生していない。つまりは「ウルトラマン」も「ウルトラセブン」も、さらには「怪奇大作戦」も生まれていない。

 「ウルトラQ」であのクオリティの高い特撮はできなかったし、他の会社が同種の機械を買い、そちらが飛躍し歴史に残ったかもしれない。当然、その後の円谷プロの隆盛もなかっただろう。特撮ドラマ・ブームも起きなかった可能性がある。全ては「ウルトラQ」から始まったことであり、そこで歴史が変わったのだ。その全ては円谷英二の無茶な決断からスタートしたのだ。

 あの大林宣彦監督が名作「転校生」のクランクイン直前にスポンサーが降りたというのも有名な話。普通なら、撮影は延期、または中止にして、新たなスポンサーを探す。状態を立て直して、改めて撮影に入る。が、大林監督はそのまま尾道に行き、スタッフ&キャストと合流。撮影をスタートさせる。製作費もないのにだ。そのあとの展開はすでにあちこちで語られているので、省略するが、大林監督はいう

 「あのとき、僕が撮影を中止にしていたら、今の僕はないでしょう。当然『時かけ』も『さびしんぼう』もない」

 さらに言えば、原田知世や富田靖子も世に出ていないだろう。ひとつの決断が歴史さえも変えてしまうのだ。そのこととてもよく分かる。80年代。自主映画をしていた頃。

多くの若い自主映画監督たちは撮影現場で苦闘した。素人の彼らの前に次々に難問が立ちはだかる。友人の1人はそんな問題に直面。このままでは撮影は破綻すると感じてスタッフに告げる。

 「このままいい加減な形で続けるより、一度撮影を中止して問題をクリアーした上で、改めて撮影を再開したい。このままではいい作品はできない。だから、しばらく撮影を中止にするが、必ず再開するので、そのときはもう一度協力してほしい」

 誰もがその言葉に「やる気」と「慎重さ」を感じ。撮影中止を了承。撮影再開を待つことにした。監督の言葉を誰も疑わず、信頼していた。が、一見、「やるき」と「慎重さ」を持つ、彼の言葉。その考え方がいかに机上の空論であったか?を数ヶ月後、全員が痛感する。

 何ヶ月待っても撮影は再開されず、年を超えても連絡はなし。本人に会ってもまるで「やる気」を感じず、映画のことに触れようとしない。「なぜか?」それは彼の言った「問題をクリアーした上で、改めて撮影を再開したい」という言葉。それがどれだけ困難なことであるか? 誰も分かってなかったのである。

 一見、正しいことを言っているようだが、一度、出航した船をもう一度、港に戻して修理、再び出航するには、かなりな時間と、膨大なお金と、強い意思と、深い理解と、もの凄い量のエネルギーが必要なのだ。そして、一度、港に帰って来て、ほっとしたところから、嵐の海に乗り出す気力は想像以上。つまり、撮影を中止して立て直すエネルギーも同じ。そして当然、撮影を再開しクランクアップまで持って行くもの凄いエネルギーも必要。

 だから、どんな困難があっても、撮影を中止せず続け、クランクアップまで無理にでも持って行く方が実は現実的なのだ。一度、止めて、また動かすのは想像を絶するエネルギーが必要。その現実を若い自主映画作家たちは知らなかった。「このままいい加減な形で続けるより、一度撮影を中止して、状態を立て直し、問題をクリアー」などという。それがどれだけ大変なことか?分からなかったのである。

 実際、自主映画の撮影はよく中断する。それで再開し見事な作品として完成したケースを僕は見たことがない。スタートしたら石に齧りついても、最後まで走り続けることが絶対に必要なのだ。だからこそ、大林監督はスポンサーが降りたにも関わらず、撮影を強行した。でなければ「転校生」は幻となること実感していたのだろう。

 つまり、言葉の上では「もっともだ」「堅実だ」「慎重さがある」と思えるものであっても、実際は機能しない、無意味であることが多い。別の角度からいうと人は目標を掲げると、まわりの人々は「可能性が低い」「前例がない」と批判することが多いが「可能性が高い」ことは誰でもできる。「前例がない」からこそ、成し遂げたときに評価される。慎重さや堅実さ、前例や可能性を大事にするのなら公務員になるべき。「税金を投入したけど失敗しました!大赤字です」ということをしてはいけない立場。

 でも、映画作りは戦い。そこで安定や確実性を求めるのは違う。「無茶だ」「もっと慎重に」「地道に」「チャンスはまた来る」とか言われたときに、それに逆い行動したときに成功はもたらされることが多い。そういえば僕が「製作費を集めて、映画を作り、監督する!」と宣言したときも、誰もが反対、批判。先輩たちからも何度も説教された。が、結果的に目的は果たした。初監督作の「ストロベリーフィールズ」は自身で製作費を集め、企業等を呼び込み、商業作品として映画製作をした。

 その後、2作目、3作目も自身でスポンサー集めからスタート。今は監督依頼が来るようになった。が、ただ待っているだけだったら、未だに劇場用映画を監督することはできなかったかもしれない。可能性が低くて、友人たちに批判されても、勝負するときに勝負することは大事なことなのだ。それを僕は大林宣彦監督や円谷英二から学んだ。





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