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【「君の名は」「シンゴジラ」の意外な共通点とは?ー原発事故】 [映画感想]

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(ネタバレあり。これから観る人は注意)どちらも物語の背景に福島の原発事故を感じる。ゴジラは「歩く原発事故」であり「君」は「彗星激突」がそれにあたる。いずれも多くの犠牲を出す。つまり、作者は原発事故のあと「あのときどうするべきだったのか?」を顧みて、原発事故を「ゴジラ」「彗星激突」に例えて、それぞれの作品で思い描いているのだ。

「シン」ではゴジラに対応するために政府が縦割りではない、思いあるエキスパートを集め、力を合わせることでゴジラを止める(収束させる)これは原発事故当時に役所が縦割りで、情報が官邸に上がらず。スピーディの分析結果さえ文科省で止まっていたり、東電が情報を隠したり伝えなかったりということで、対応が後手後手にまわったことで爆発。日本中に放射能をまき散らす事になったこと(この辺は映画「太陽の蓋」で詳しく描いている)をふまえて、「では、どうするべきだったか?」をゴジラ相手に考えたのが「シン」という物語だろう。

「君」で言えば、原発事故は彗星の激突に当たる。誰もが予期しなかった事故。そのために大切な人を失ってしまう。美しい田や畑。自然も壊滅してしまう。そこにやはり原発事故を重ねているのだ。どうすればよかったのか? こちらはタイムスリップすることで過去に戻り、皆が必死に危険性を訴える。信じ合うことで人々を救う。現実的に過去に戻ることはできないが、それを未来の教訓として、次はこんなふうにすれば事故も被害を押さえられるはず!という作者のメッセージを感じる。

また、男女の高校生が入れ替わる設定も、重要だ。福島=三葉(ヒロイン)の住む田舎。東京=東京(都会)。つまり、電気は福島で作られて東京に送られていた。そのために原発が作られ、危険は福島に押しつけ。電気で謳歌するのは東京という構図。しかし、原発事故が起こるまで、それを知る東京の人は少なかった。主人公2人が入れ替わることで、相手の立場に立つことを体験させてくれる。

自分たちの使う電気を送ってくれた福島の一部がもう住めない町になっても、東京に人は「大変だねー」と人ごとに感じる。だから「君」では主人公2人を入れ替え、どちらも家族や友達の住む大切な町であることを観客に感じさせたのだ。だから、それを体験した主人公は必死に三葉の古里を救おうとする。それこそが悲劇を避ける原動力となる。それが原発事故前の東京(日本人)にはなかったと伝えているのだ。

まったく違うタイプの映画。怪獣ものと、青春アニメだが、テーマも背景も全く同じ。どちらも福島の原発事故への思いが底辺にあると感じる。それゆえ、SFやファンタジーという枠には嵌らない、感動が込み上げる。単なる娯楽映画ではない。物語の背景に人々への熱いメッセージがあるのだ。





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